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地震と津波による災害で家族と連絡が取れなくなった方々のために

カトリック信徒の間では、なくしものを探すときにはパドゥアの聖アントニウスに取りなしを願うとよいとされている。

実際には、なくしものだけではない。この聖人は、人捜しにも力を貸してくれると言われている。行方不明者はもちろんのこと、将来の配偶者探しにも一役を買い、「縁結びの聖人」という異名すらあるほどだ。

さて、報道によれば、11日の地震と津波による行方不明者が1万人を越えているとのことである。

家族が生きているか死んでいるかも分からない、という状態はとても苦しいことだろう。例え悲しい事実であっても、一刻も早く知りたいことだろう。

ただ、彼らの多くは聖アントニウスを知らないであろうから、カトリック信徒は代わりに祈ってあげてほしいものである。

世界中のカトリック信徒たちが日本のために祈っている

今回の地震と津波による被害は既に世界中で報じられているだけでなく、教皇ベネディクト16世の呼びかけもあって、多くのカトリック信徒が日本のために祈ってくれていることは間違いない。

しかし、分かってはいても実感が湧かないということもあろう。ならば、カトリックの掲示板に寄せられた声に目を通してみてはどうだろうか。

伝統派カトリックのサイト Angelqueen.org が主催するフォーラムでも、Japan 8.9 EARTHQUAKE and Tsunami というトピックが立てられ、この記事を書いている時点で39の書き込みがある。

また、被災地が秋田に近いこともあって、Japan quake epicentre near Marian site of Akita というトピックも若干の関心を集めている。聖母のメッセージと今回の災害との短絡的な結び付けは控えるべきだが、よくよく考えるに値するだろう。

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カトリック信徒が被災者のためにできることは何か

東北地方太平洋沖地震が起きてからというもの、何か書かねばと思いつつも、その被害の甚大さに言葉を失っているような有様であった。

もちろんカトリック信徒としては、月並みに「祈りを捧げよう」と書いて済ますこともできたかも知れない。

ただ、救助活動や支援活動に携わっている人々の連日連夜の働きを思うと、祈りを呼びかけるだけでは消極的に思えて仕方がなかったのも事実だ。

とはいえ、現実的な問題として、応援をするために被災地に行けるものではなく、義捐金も今日明日に役に立つわけではない。

その点、祈りならば、今すぐにも聞き届けられ、困難な状況にある被災者たちの助けになるやも知れぬ。そしてそれは、昼夜を問わず、世界のどこにいてもできる。

このように、祈ることの積極的な側面を思い起こし、被災者のための祈りを呼びかけたい。

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「アヴェ・マリアの祈り」を批評してみようかと思ったが

これまで口語の天使祝詞として使われてきた「聖母マリアへの祈り」が不評のため、これに代わる改正案「アヴェ・マリアの祈り」が作られ、試用が始まったそうである。

そこで、この新しい祈りについて批評をしてみようかと思ったのだが、やめておくことにした。

仮に、やれここがおかしい、こう直すべきだと提案したとしよう。さらに、それが受け入れられて、正式版に反映されたとしよう。

そうなったら、その理想的な祈りを使うことにするだろうか。一応は評価しつつも何やかや理由を付けて、文語の祈りを使い続けるのではないだろうか。

それくらいなら、さらっと「まだ文語の方がいい」と言ってみせるのがスマートだろう。

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教皇ベネディクト16世のために日本で最もよく祈っているのは

日本における聖ピオ十世会の巡回聖堂では、ミサ聖祭の直後に数々の祈りを唱えるが、そのうちの一つに「教皇のためにする祈」がある。その他にも、教皇の意向のために主祷文・天使祝詞・栄誦を一度づつ唱えている。

これを毎月、大阪で2度、東京で2度(最近まで3度)行っているわけだから、小教区で毎主日に祈っているのにまあまあ近いと言えよう。

そうなると、教皇のために日本で最もよく祈っているのは、実は自分たちではあるまいか、と思いたくなってくる。

もちろん、そのようなことがあってはならない。「何をうぬぼれている。同じ意向でもっともっと祈っている小教区がいくつもあるぞ。例えば、・・・」、といったお叱りがあれば有り難く受けたい。

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ロザリオの月とはいえど

10月はロザリオの月とはいえ、特別にペースが上がるということもなく一週間が過ぎようとしている。

その中で多少の慰めとなっているのは、「聖会の保護者なる聖ヨゼフに向う祈」を欠かさず唱えることができていることである。

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大天使聖ミカエルの祝日に思う2

ちょうど2年前に大天使聖ミカエルの祝日に思うという記事で触れた聖ミカエルへの祈りだが、「聖会のための祈」全体をミサの後に唱えている動画(Dominican Rite Low Mass (Commentary) - J3 Concluding prayers at foot of altar)が見つかった。祈りであるからテキストさえあれば十分なのだが、参考までに観ておいてほしい。

さて、この祈りについて、有名なエクソシストであるガブリエル・アモース神父は、著書『エクソシストは語る』の中でこう述べている。

替わりとなる適切な祈りもなしに、ミサが終わったあとに唱えるのを習慣としていた大天使聖ミカエルへの祈りを削除してしまったのは間違いであったとわたしは信じています。

本当に、典礼改革とやらのせいで、この40年間というもの、どれだけの祈りが唱えられることなく失われたのだろうか。

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言い訳を考案するよりも祈るが易し

四旬節には四旬節の祈りがあったはずと、公教会祈祷文を手に取った。ページを開いて、そういえばこんな祈りだったと思い出した。

主よ、願わくはわれらの心に聖寵を充たし、われらにおのが罪を嘆き、祈りと善業とをもってこれを償うを得しめ給え。そは来世において永遠に罰せらるゝよりも、この世においてこれを償うをまされりとすればなり。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

四旬節の間中毎日唱えるのが望ましいが、とても短い祈りなので、祈れないという言い訳を考える方が時間がかかることだろう。

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祈りの言葉を暗記するのが苦手な人のために2

ロザリオに必要な祈りと各玄義の文言とを全て1枚の紙の面に載せるプロジェクトは着々と進行し、栄えの玄義に加え、喜びの玄義と苦しみの玄義の分も出来上がった。ちなみに、光の玄義の分を作る予定はない。

さて、何かいいネーミングはないかと考えてみた。思案の末にやっと思いついたのが「めでたシート」である。私自身はあまり気に入っておらず、別の名称を模索しているのだが、困ったことに、時間が経つにつれて慣れてきている。

祈りの言葉を暗記するのが苦手な人のために

ロザリオを祈るときに祈祷書を必要とする人は、いつも小さな我慢をしなければならない。というのも、使徒信経を含む基本的な祈りは前の方のページにまとめられ、ロザリオの各玄義の文言は中程のページにあり、ファティマの牧童の祈りはまた別のページにあるため、あちらこちらに移動しなければならないからだ。

その程度のことが面倒ならば暗記・暗唱してしまえばよい、と言ってしまえばそれまでだが、なかなかそうもいかない。

もしも、すべての言葉が一枚の紙に収めてあったら、きっと便利なはずである。さらに、それぞれの玄義を描写する絵が添えてあったら、黙想の助けにもなるだろう。もっとも、そこまですると、あまり小さくすることはできないけれども。

そこで、とりあえず栄えの玄義の分だけ作成にとりかかった。頭で思い描いたレイアウトがワープロ上ですんなり実現し、基本的な形は出来上がった。あとは仮名(文語体なので必要な人のために)を振って、少し見栄えを整えれば、人前に出せるようになる。

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