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神父の放言「母なる教会ー聖ピオ10世会について」について2

それでは、母なる教会ー聖ピオ10世会についてから、気になる記述を少しずつ抜き出していこうと思う。

聖ピオ10世会の今の立場は、「公認されていないカトリック団体」ということだが、それが一番簡潔な表現だと思う。

「公認」という言葉で何を言わんとしているのかはっきりしないので、然りとも否とも言えないが、もしも教会から修道会として認可されてないという意味であるならば、それは間違いであるということを指摘しておく。

詳しいことは小野田神父様が既に書いている(【質問】聖ピオ十世会は教会認可の正式な修道会と思ってよいか)のでそちらを参照していただこう。

ついでに、教会法を無視して聖ピオ十世会の認可を取り消そうとした一連の悪巧みのことも広く広く知ってもらいたいものだ。

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神父の放言「母なる教会ー聖ピオ10世会について」について

昨日、この日記が属するブログランキングのエントリー中より、母なる教会ー聖ピオ10世会についてという記事を見つけた。

指摘したいこと、反論したいこと、カトリック信徒として聞き捨てならないことがいくつかあるのだが、ここ3カ月のうちに日記で書いたばかりのことを繰り返さねばならないかと思うと少し気が重い。

とりあえず今日のところは「宣戦布告」ということで。

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召命の増え続ける神学校では何を教えているのか

聖ピオ十世会がアメリカに持っている聖トマス・アクィナス神学校が、移転プロジェクトのための新しいウェブサイトを立ち上げた(New Seminary Project)。動画もあるので後で見てほしい。

今どき神学校に若者が押し寄せて手狭になるというのは、世界でも珍しい現象だろう。

だからといって特別なことをしているわけではない。カトリック教会が第二ヴァティカン公会議の前までずっと教えてきた司祭職を、今もそのまま教えているだけである。

ここの神学生は、修道服とローマンカラーを常時着用し(着衣式後)、毎日毎日トリエント・ミサに与り、侍者を務め、ロザリオを唱え、聖務日課を唱え、グレゴリオ聖歌を歌い、ラテン語もトマス哲学もしっかり学び、そして近代主義の誤謬に反対する誓いを立てて司祭に叙階されていく。

こんな記事ひとつで日本から召命が出るということもないであろうが、「自分の小教区の若者がこのような神学校で召命を試してくれたら」と願うカトリック信徒が少しでも増えたら幸いである。

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渡部昇一氏が第一志望校に行けなくなってしまった理由

上智大学名誉教授である渡部昇一氏は、上智大学の卒業生でもあるのだが、本来の第一志望は東京高等師範学校(後の東京教育大学で、現在の筑波大学)であった。

といっても、受験に失敗したということではない。その年に限って私立と国公立の試験時期にずれがあったため、まずはいわゆる「腰掛け」として上智大学に入学し、2カ月後に本命の入学試験を受けるつもりでいたのである。

ところが、最初の時間からかなり程度が高くて、「ああ、これが大学というものか」と、ほんとに大学に入っているような感じがした。それから、ライエル先生は日本語を使わないので、全部英語で説明するのですが、何もわからない。しかし、一生懸命やりました。

また日本人の先生も、教科書がないからといって、初めは「リーダーズ・ダイジェスト」、その次がブランデンの東大講義ですよ。イギリスの文化使節として来たエドマンド・ブランデンが、東大で大学の先生たちを集めて行った講演集が、大学一年生の教科書になった。えらく高級なことをやるな、と思ったけれども、ぼくの猛烈な知識欲は完全に満たされて、もう第一志望に行かないと決めちゃったわけです。

この話はかなり前から馴染みだったのだが、最近になって、聖ピオ十世会のミサに初めて行ったときの感覚に似ていることに気が付いた。

あのときはトリエント典礼についてほとんど無知で、ラテン語の基本的な応答さえ出来ず戸惑うばかりだった。それでも、修道服を着た司祭や、グレゴリオ聖歌を歌う信徒ら、カソックを着て奉仕する侍者などに、「ああ、これが本来のカトリックというものか」と圧倒され、約半年後にはもうノヴスオルド・ミサには与らないと決めたのである。

「超伝統主義」の「超」とは一体何か

ロイターという通信社は聖ピオ十世会に対して、枕詞のように ultra-traditionalist すなわち「超伝統主義」というレッテルを貼る。

こんな書き方をすれば、よく知りもしない読者が、「きっと極端な方向に走っていった修道会だろう」と思い込んでも不思議はない。

しかしながら、聖ピオ十世会は走るどころか歩きもしなかったのが事実だ。それまでカトリック教会が何世紀にも渡ってやってきたことを、そのまま続けているだけなのだから。

だとしたら、ロイターの記者たちは、単なる「伝統主義」と一線を画す「超」の要素をどこに見出したというのだろうか。

いくつかの記事を読む限り、traditionalist と ultra-traditionalist の厳密な使い分けはないようである。わざわざ「超」を付け足したのは、マスコミにありがちな印象操作の疑いが濃厚だ。

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カトリックが伝統主義で何が悪いのか教えて欲しい

いつだったか、カトリック新聞が聖ピオ十世会のことを「伝統主義団体」と書いていたのを見かけたことがある。

修道会と分かっているのをわざわざ「団体」と呼ぶあたり、「正式な修道会とは認めないぞ」という意志があるのではないか、と勘ぐりたくなった(ちなみに聖ピオ十世会は教会法に基づいて設立された正式な修道会であり、その正式さは、聖座が手続きによって廃止を目論んだことがあるほどだ)。

それはさておき、「伝統主義」の方もどことなく否定的なニュアンスで使われているような印象がある。

しかし、そもそもが啓示宗教であり、聖書と聖伝とを信仰の源泉とし、使徒継承を重んずるカトリック教会で、もしも「伝統主義」がある種の差別用語になっているとしたら、それは異常事態と呼ぶほかない。

とりあえず、用例がこれだけでは断定するわけにはいかないので、今後もカトリック新聞の言葉遣いを注視していきたい。もっとも定期購読などする気にはなれないが。

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コルベ神父についての講演動画を発見

聖ピオ十世会ポーランド管区長のシュテーリン神父(Ks. Karol Stehlin)はいくつもの講演を動画で残しているが、残念なことにみんなポーランド語である。

かねてより、そのうちの1つか2つくらい英語で話したものがないだろうかと思っていたところ、最近になってようやく見つけることができた。

それもそのはず、その動画(St. Maximilian Kolbe & the Militia Immaculata)は今年の6月にローマで開かれた国際ファティマ会議で撮影された、比較的新しいものだったのだ。

約1時間の動画なので、いつかゆっくり時間を取って、メモ帳を片手に聴いてみようと思う。それまでは聞き流しの要領で。

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聖ペトロ会がいったい何をしているというのか

昔ほどではないが、今もなおカトリックの掲示板に現れる聖ピオ十世会批判として、「教会を変えるなら教会の中でするべきだ」というのがある。

とりあえず、教会の外になど出ていないのに勝手に出ていったことにする愚は目をつぶろう。「教会の中で」というのも百歩譲って、「ローマとの和解をしてから」という意味に解釈するとしよう。

しかし、ここまで譲歩してもなお、先の批判は机上の空論でしかない。

何しろ、教会の正常化のためにはまず教会内の重大な問題についての告発や議論が不可欠なのに、それを放棄することが和解の条件なのだから。

実際、聖ペトロ会など、先に聖ピオ十世会を離れてエクレジア・デイ委員会の傘下に入った修道会が何か目立った働きをしたという話は聞いたことがない。あるなら教えてほしいくらいだ。

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第二ヴァティカン公会議を受け入れていないのは誰か

最近はそう多くもない気がするが、聖ピオ十世会は第二ヴァティカン公会議を受け入れていないと非難するカトリック信徒がいる。

それでは、受け入れているという教会の実状はどうか。

例えば典礼憲章について言えば、ラテン語の使用についても、グレゴリオ聖歌の扱いについても、無視または逆行しているとしか言いようがない状態である。

また、公会議文書は、神学校でラテン語とトマス哲学とを教えることを定めているが、これも十分にはなされていないはずだ。

問題はこの2点だけかも知れない。だが、いずれも聖ピオ十世会にはるか及ばない実施状況だ。普通なら「他人のことは言えない」と感じるところではなかろうか。

これに関連して、ルフェーブル大司教の次の言葉は頭に入れておいた方がいい。

私はこの公会議と改革の中で、聖伝と完全に調和するものを全て受け入れています。私が創立した事業がそのことを十全に証明しています。私たちの神学校はとりわけ公会議によって表明された望みとカトリック教育聖省の「基本理念 Ratio fundamentalis」に完全にかなっています。

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聖ピオ十世会総長が来月ローマを訪問へ

聖ピオ十世会の総長フェレー司教は、教理省長官レヴェイダ枢機卿の「招き」(この部分は如何様にも解釈できるが)によりローマに行くことを、叙階式の説教(2011年6月17日、ウィノナで行われた叙階式でフェレー司教様がされた説教)の中で明かしていたが、その日付が聖十字架称讃の祝日9月14日に決まったそうである。

当日のことはどうなるか分からないが、何かよい知らせがあるよう祈るだけだ。

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