記事一覧

トップ > 2007年11月

風変わりなアップグレード

近頃、新たにノートパソコンを入手した。買ったのは、現在使っているマシンの上位機種である。上位と言えば聞こえはいいが、性能がいくらか上回るだけで、同じくらい古い時期のものであることには変わりがない。普通に考えれば、あまりメリットがない買い物であろう。

だが、それを補うだけの利点もある。まず、中古なので本体が安く手に入ること。メモリ、バッテリー、ACアダプターなどのパーツが流用できること。キー配列が全く同一であること。あらかじめ分解方法を心得ていること、などなどである。

性能で勝るこのマシンで何でもかんでもやってしまうのが理想だが、インストールやカスタマイズといった環境構築には時間がかかる。しばらくはDVDの再生、動画のエンコーディング、CD-Rの書き込みなど、他のタスクと平行して実行できない、または実行しない方がいいようなタスクを任せようと思っている。

related page(s) パソコン

グレゴリオ聖歌のCDをまとめ買い

待降節も近づいたことだし、クリスマス前後のグレゴリオ聖歌を予習でもしようかと、都内の中古CDショップに立ち寄って、ディスクのコンディションもお構いなく、安いのをいいことに3枚も買い込んできた。

さりとて、せっかく予習したとしても、ミサでは侍者のお役目が回ってきて聖歌隊に加わることができないのは必定。早く後進に道を譲りたいものである。

聖三木図書館が再開へ

今日、聖三木図書館から封書が届いた。ここは移転のため長らく休館していたので、何の手紙かはすぐ察しがついた。もちろん、図書館再開の知らせである。

しかしながら、この図書館へ足を運んでは閲覧していたある本を、休館の間に手に入れてしまった。再開は喜ばしいが、今後どれだけ利用するだろうか。

マイナーな洗礼名の利点

カトリックの洗礼を受けるときに、あまり有名でない聖人の名を霊名に選ぶと、後で少々面倒なことになる。

私の場合がそうである。霊名を訊かれて答えても、いつも相手の反応が悪い。そのため、何世紀のどこどこの聖人で、かくかくしかじかのことをした、といった説明を加えなくてはならない。

だが、そうそう悪いことばかりでもない。いかにマイナーな聖人でも、その祝日がミサ典書に記載されているならば、主日と重ならない限り、年に1度祝われるのである。

その日、司祭がミサ典書を開くと、その聖人の名前から、1番目か2番目に私のことを思い出す。そういうことを期待できる司祭を何人か知っているというのは、ちょっとした幸せである。

related page(s) カトリック聖人伝

「加害者」不在のいじめ論議

昨日、文部科学省が2006年度のいじめ件数を12万件と発表した。前年度の6倍になったことについては、いじめの定義が変わったという話もある。だが、どう詳細に調査を行ったとしても実数とは違うだろうから、特に数字に興味はない。

気になるのは、いじめられた生徒・児童や、学校側の対応ばかりに関心が集まり、肝心のいじめっ子が話題にならないことである。いじめが度を超して大きな事故につながった場合ですら、担任の対応が良かったの悪かったのと議論をしているような有様だ。バランスから言えば、いじめた側にもっと焦点を当てるべきである。

また、いじめをさせない、という気構えも欠如しているように思う。誰か「今いじめをしてる人は即刻やめなさい」と訴える人はいないのか。「ウチの子が余所の子をいじめたらただじゃおかない」というくらいの気骨ある人は現れないのだろうか。

related page(s) 教育

映画「めぐみ」がテレビ放送へ

横田めぐみさんが拉致されて、今日で30年になる。

それは、単に遠い日の出来事から30年経ったということではない。帰りたくても帰れない、会いたくても会えない、という日々が30年も続いたということである。そして、再会の見通しはまだ立っていない。

救う会などの運動員から「拉致問題に関心を持って下さい」と言われるまでもなく、誰もがそのことを知ってはいる。一度は感情を揺さぶられたこともあるだろう。だが、それは多くの人の中で抽象化し、単なる知識として凝固しつつある。

死んだ知識を生きた知識として再活性化するには、拉致被害者の声を聞いたり著作を読んだりするのがいいのだが、来る17日の深夜に「めぐみ - 引き裂かれた家族の30年」のテレビ放映があるので、これを観てもらうのが手っ取り早い。録画でもいいから、必ず観て欲しい。

ピウス12世の列福を請願する運動

今年の初め頃、ウェブサイトの引っ越しにあたって、レンタルサーバーが用意した複数のドメインの中から、何を選ぼうかと随分頭を悩ませた。サブドメインと併せてサイト名を反映させられるものか、短くて覚えやすいものにしようと思っていたが、どちらも決め手を欠いていたからである。

後者の候補の中には現在使っている xii.jp があった。しかし、そのときは、覚えやすいが無意味な綴りとしか思っていなかったため、決して有力な候補ではなかった。

そうして何日も経ったある日、考えてみると遅すぎる気もするのだが、この xii が突然ローマ数字に見えたのだ。そこで浮かんできたのが、教皇ピウス12世の名前である。

ピウス12世は在任中、異端的な傾向のあった数々の神学者たちを敢然と排斥した教皇であった(残念なことに、後継者のヨハネ23世は彼らを可愛がり、第2ヴァティカン公会議をリードさせてしまった)。そういうことが頭に入っていたので、この信仰の擁護者に敬意を表して、これを使わせてもらおうということになった。そうして、日本におけるピウス12世ファンクラブを思わせるようなアドレス pius.xii.jp を決定したのである。

さて、前置きが大変長くなったが、そのピウス12世の列福運動がネット上で始まった。投票ページにアクセスし、必要事項を入力して送信するだけの簡単なものなので、是非とも力を貸して欲しい。

ミサ答えのラテン語

トリエント・ミサの侍者を務めるようになってから、もう3年以上になる。最初の頃はミサ典書やカンニングペーパーが必要で、その後も自信のなさのためにそれらをしばらく手放すことができなかった。しかし、いつの頃からかラテン語も暗記してしまい、今では手ぶらでも不自由はない。

もちろん、覚えているのは自分が唱えるところだけである。司祭がつっかえてしまったときでも助けられるように、司祭のパートも覚えた方がいいのではないかと考えているのだが、その前にある課題に気が付いた。

それは、せっかく覚えたそのラテン語がかなり自己流になっており、修正が必要だということである。それは2ヶ月前に購入したミサレットを開いたときに判明した。アクセント位置を間違えていたり、無視していたり、というのが何カ所も見つかったのだ。

言い訳をするならば、ミサ答えのラテン語を英語訛りの録音で練習したこと、単語ごとのアクセント表記の有無がミサ典書によっていくらか違っていること、会衆の一人としてミサに与るとき、いつも固有文のページだけを開いて式次第は見ていなかったことが挙げられる。

侍者が応答するラテン語の質など、ミサ聖祭においてそれほど重要でないことは分かっている。だが、下手なのは仕方がないとして、明らかに間違っているのは直さねばならぬと思う。