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聖ドン・ボスコの祝日に

今日は聖ドン・ボスコの祝日である。しかしながら、近ごろ典礼暦をよく見ていなかったせいで、祝日に気がついたのが今日の午後。関係する本をどれか再読しておきたいと思うが、今日中に読み終えるのは難しいだろう。

続・売られた喧嘩2

前回(続・売られた喧嘩)の引用部はコメントの前半であり、まだ続きがある。

>ましてや、さいたま教区長の『認可』など受けているはずもない。

ラテン典礼じゃないんだし谷司教の認可がいるわけないでしょ。彼らはカトリック教会法に縛られる存在ではないのですよ。
教区事務所まで提供しているんだから、彼らの典礼に利用する許可は与えているでしょ。
それに比べてピオ10会のミサはカトリック教会法に背く違法ミサ。まともな思考力のある信徒ならのこのこでかけて行くようなもんじゃありません。

「ピオ10会のミサはカトリック教会法に背く違法ミサ」という部分に対する反論はひとまずおくとして、違法と非難しているところを見ると、どうやら angelic feline 氏は聖ピオ十世会を「カトリック教会法に縛られる存在」と認識しているらしい。

これは、離教とか破門とかいったような、「教会の外にいる」という批判とは一線を画するものだ。もしも教会の外にいるという認識ならば、合法違法という議論を持ち出す必要は全くない。公教要理にもある通り、他宗派の礼拝に行ってはいけない、そこで献金してはいけない、と言えば十分だからである。

しかしながら、これらの両立し得ない非難を同時に行う人は少なくないらしい。この angelic feline 氏がその中の一人であるかどうかは、判断材料がない(探せばありそうな気もするが)のでここでは保留する。(この項、まだ続く)

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Angelic Feline (01/24 00:52) 編集・削除

おかしな反論ですね。
SSPXが判事的破門により離教になっているのに認めようとせず、ローマ・カトリックだと自己主張しつつ教皇様や教会法には服さないという矛盾した状態になっていることに起因することじゃありませんか。
私の主張が矛盾しているのではなく、SSPXの主張が矛盾しているから変なのです。
SSPXシンパのあなたがここの副題を「一カトリック信徒による…」と名付けていることからもわかるとおり、SSPXがローマ・カトリックだと主張しつづけるなら、本来は教会法によって聖職停止処分になっているSSPX司祭たちは、その土地の司教の許可も得ずに勝手にミサをあげてはならないはずです。
聖座からの通達を無視し、それでもミサをあげているから「違法ミサ」なのですよ。
聖職者としての権能は有している者たちが、その権能を悪用し、有効なミサを不法にあげているから「違法ミサ」なんじゃないですか。

まずはSSPX自身がどういうスタンスをとるか決めるべきです。
ローマと和解するか、完全に離れて独立した存在になるか。
宙ぶらりんな状態のままでは、違法ミサと言われてもしかたがないでしょう。
もっともあなたが望むなら、今からでも「他宗派の礼拝に行ってはいけない」という言い方に改めても構いませんが?

ヨゼフ・ジェンマ (01/25 00:40) 編集・削除

その通り。

お久し振りです。

管理人 (01/26 06:23) 編集・削除

私はこのエントリーで反論などした覚えはありません。反論はあるけれども、「ひとまずおく」として、まだ何も書いていないではないですか。書いてもいない反論を「おかしな」とは一体どういうことですか。全体を見渡しても、引用部の一字一句さえ否定していないことは、誰の目にも明らかなはずです。

管理人 (01/26 06:25) 編集・削除

ちなみに、ヨゼフ・ジェンマ氏のコメントは、Angelic Feline 氏のコメントが公開される前に投稿されたものです。従って、私の意見に対する賛同と思われます。多分。

イグナチオ平八郎 (01/26 16:34) 編集・削除

Angelic Feline 殿

 世界中で、司教の許可を得ずに、有効な叙階の秘跡を受けた司祭が、有効なミサをささげています。一日に何百回も世界各地で、聖なるミサ聖祭がたてられていることでしょう。

 使徒座の誰が「違法だから」与ってはいけない、と正しい信仰を求めるカトリック信徒に「禁止」しているのですか。最も最近の事例を教えてください。

Angelic Feline (01/26 19:29) 編集・削除

はて、反論ではないと?
>これらの両立し得ない非難を同時に行う<
は私の論理矛盾を指摘する表現と読みましたが、反論でないとしたら、なんと定義すればお気に召すのでしょうか?
「ご意見」でも「お考え」でも「前口上」でも結構です。私には小さなことなので管理人さんの定義に合わせますが、いずれにせよ、このエントリでおっしゃったことはおかしいと思っています。

前口上(?)は伺いましたので、そちらの準備が整われましたら反論をお聞きしましょうか。

ヨゼフ・ジェンマ URL (01/27 14:40) 編集・削除

私が前回のコメントで「その通り」と言ったのは、管理人さんがお察しの通り、管理人さんの発言に対してのものでした。
でも、今回は、Angelic Felineさんの最後の言葉に対して「その通り」と言いたいと思います。

> もっともあなたが望むなら、今からでも「他宗派の礼拝に行
> ってはいけない」という言い方に改めても構いませんが?

Angelic Felineさん、その通りです。そのような言い方に改めて下さい。あなたのお立場からすれば、そのように言うことこそ正しいのです。あるいはこう言うべきです-----「SSPXは事実に反して自らをローマ・カトリックであると装っている詐欺師集団である。」
私はあなたの主張に同意する者ではありませんが、しかしあなたの立場からすれば、そのように語を置くことが正しいのです。

何故なら、「違法」という語を与えられるのは、当然のことながら、「法の内」にあるものだからです。

思うに、管理人さんはそのことだけを言っています。それはSSPXに関する議論ではありません。「違法」という語の、あるいは概念のことを言っています。Angelic Felineさん、私は、言葉をそこそこ厳密に扱おうとすることは、私達思考の素人にとっても大事なことだと思います。

SSPXが語の正確な意味において「違法」ならば、SSPXは今も「教会法の内」にあるというこです。聖座はSSPXに対して今も、ルフェーブル大司教様が聖座との交渉のさなかにあった時のように、「直接の」統治権、裁治権を保持し且つ維持しているということです。
しかしそうであれば、SSPXは確かに破門以前です。
そしてそうであれば、聖座は現実に世界大に広がっている「違法」を事実上放置しており、それは聖座の「大怠慢」であると言うことができます。(私達は「違法」をさっぱり取り締まらない警察を想像できるでしょうか。)

ですから、Angelic Felineさん、あなたは今後あなたご自身の立場において、「他宗派の礼拝に行ってはいけない」と言って下さい。あるいは「SSPXは事実に反して自らをローマ・カトリックであると装っている詐欺師集団である」と言って下さい。「違法」という語をそこに置くのは「フェアー」なことではありません。

私は、今、SSPX擁護者としては思い切ったことを言いました。SSPXの人達に怒られそうなことをです。でも、それは、今回管理人さんが指摘したことは、「SSPXを肯定するか否定する」かには関わらない、それとは一つ別の空間にあるものだからです。

私達の主に栄光あれ。
私達の霊魂がキリストの愛に輝きますように。

(あるブログで、「あなたは議論するより祈りなさい」と怒られちまいましたが、今回思いもよらず私の短いつぶやきを管理人さんが表示して下さいまして、ついまた議論の場に踊り出て...〈( ^.^)ノコリャコリャ...しまいました。これにて終わります。多分。)

ヨゼフ・ジェンマ (01/28 00:49) 編集・削除

いわずもがなですが、私の投稿の扱いは管理人さんにお任せしますので。

内容はともかく、言葉(日本的に言えば「言霊」)が悪いですよね(笑)

ナニ? 内容も悪い!?

管理人 (01/31 06:30) 編集・削除

ご指摘の箇所では、私は全くあなたのことに言及してません。その次の文はあなたに関することですが、(論理矛盾を指摘しようにも)材料がないと書きました。

と、一応説明してみましたが、反論になっていないものを反論であると、指摘もしていない論理矛盾を指摘したと言い張るあなたには無駄な気がします。また、あなたのことを直接間接に知る人たちから話を聞いて、その確信を強めました。

邪推や勘違いの類はある程度仕方のないことですが、妄想には付き合えません。今度投稿するときは、病気を治してからにして下さい。それまでお大事に。

A FOX URL (02/02 18:44) 編集・削除

管理人さんへ
そうですね。
これ以上無駄な論争はやめたほうがいいですね。
こちらの管理人さんは、賢明な方ですね。
  

Vincent (09/15 10:06) 編集・削除

かつてあの悪名高い偽預言者リトルペブルの講演会で、偽預言者の隣で通訳を務めていた女性がいます。主催者側ということになります。このブログによく投稿される方に、Angelic Felineという人がいます。カルト教団で人々を誤導する側にいた人が、その後にどのような信仰の遍歴を経て来たかは知りませんが、いまだ性懲りもなく他の信徒の信仰についてあれこれ口を挟んで来ているとするなら、戦慄を覚えざるをえません。過去をわずかでも省みるこころの持ち主ならば普通、ネット上の各所で他の信徒たちに論争を挑んで回るなどということは、到底できるはずもありません。だれかこのような大暴走に歯止めを掛ける人は、おられないのでしょうか。他に対する大迷惑という点では何ら変わりありません。他人の信仰について詮索する前に、まず自分の過去を痛悔すべきではないでしょうか。

管理人 (09/15 12:21) 編集・削除

その人について私は既に匙を投げております。迷惑をかけられた方々については大変お気の毒に思います。ただ、果たして手強い論者なのか、それとも話が通じないだけなのか、よく見極めて下さいと申し上げるだけです。

Vincent (09/15 21:52) 編集・削除

「手強い論者」どころか、どこぞの「趣味」で論じる未信者と意気投合して、その未信者からいろいろ知恵をつけられてるような水準の人ですからね。信仰に関する事柄を未信者から学ぶなど通常ありえないことですが、それが矛盾であることに少しも思いが至らないとは、やはり出発点が出発点だけに、著しい要理教育の欠落を感じさせられますね。

司祭叙階式の写真

少し古い話だが、昨年12月にオーストラリアの聖十字架神学校で叙階式が行われた。その報告自体はすでにサイトに掲載されているのものの、当日の写真の方はまだである。今回は参加することができなかったので、余計に様子が知りたい。

それで更新を待っていたところ、DICIというサイトに掲載されているのを発見した。拡大画像を見るためにいちいちサムネイルをクリックしなければならなかったけれども、数々の懐かしい顔を見ることができた。

この叙階式では1人の司祭叙階があった他に、3人の副助祭が助祭となった。今年の末、彼らが司祭に叙階されるときは、できうるならば行って祝福したいと思っている。一方で、新司祭からの初祝福を受けてくることにもなるのだが。

ただ、再会したときには、これまでのようにファーストネームで呼ぶという訳にはいかない。叙階式の前までは Reverend、後からは Father と呼びかけなければならない。ぎこちなくなりそうだが、その戸惑いもまた喜ばしいものだろう。

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続・売られた喧嘩

以前にも取り上げたことのある半可通(売られた喧嘩を参照のこと)が、また例のブログに現れてコメントを書き込んだ。この人物の頭の中が相変わらずなのは、私が「そのうち」としていた反論を先延ばし(何と半年も)にしていることにも一因がある。その点では仕方がないと思っているが、黙っているには余りにも興味深い投稿なのでここに紹介しておく。

49. Posted by angelic feline 2008年01月03日 23:23
コプトの異端呼ばわりはヒドすぎ。
1973年にパウロ6世がアレキサンドリアのシェノウダ3世と共同宣言をだしていて、三位一体の理解などが一致していることを確認しています。
今後も話し合いは続けられ、平和のための協力は惜しまないことなども盛り込まれており、どちらから見ても「異端」などではないのは明らかなんですが。

コプト教会についてほんの少し調べれば、単性論を採る異端だということがすぐに判りそうなものだ。「どちらから見ても」と言うが、一体何を見たのだろうか。恐らくこの angelic feline なる人物は、異端という用語の意味を知らず、レッテルか何かのように思っているのだろう。(この項、続く)

related page(s) 聖ピオ十世会

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Angelic Feline (01/06 10:59) 編集・削除

>一体何を見たのだろうか。

何を見たかって、あなたが引用している私の文章に記載されているとおりカトリック・コプトの共同宣言ですよ。
それにコプト教会のサイトに記された彼らの歴史や教義に関する記載です。

共同宣言さえ読まずに「コプト=単性論」だと決めつけるとは知的怠慢じゃありませんか?
まるで歴史の教科書に「カトリックは免罪符を売って、罪が免除されると教えていたのでルターが異議を唱えた」と書いてあるからと鵜呑みにし、教会攻撃をする中学生と変わらないようなレベルの話ですね。
共同宣言↓
http://www.vatican.va/roman_curia/pontifical_councils/chrstuni/anc-orient-ch-docs/rc_pc_christuni_doc_19730510_copti_en.html
コプトのサイト↓
http://www.coptic.net/EncyclopediaCoptica/
彼らの言葉をちゃんと読んでみましょうよ。
>The Coptic Church has never believed in monophysitism the way it was portrayed in the Council of Chalcedon! In that Council, monophysitism meant believing in one nature. Copts believe that the Lord is perfect in His divinity, and He is perfect in His humanity, but His divinity and His humanity were united in one nature called "the nature of the incarnate word", which was reiterated by Saint Cyril of Alexandria. Copts, thus, believe in two natures "human" and "divine" that are united in one "without mingling, without confusion, and without alteration" (from the declaration of faith at the end of the Coptic divine liturgy). These two natures "did not separate for a moment or the twinkling of an eye" (also from the declaration of faith at the end of the Coptic divine liturgy).<

知的生活をしたいなら、少し調べる程度じゃダメダメだと思った方がいいかもしれませんね。

管理人 (01/06 19:40) 編集・削除

それでは、まず異端の意味について確認したいと思います。聖ピオ十世の公教要理からの引用です。

229 異端者とはだれですか。
異端者とは、洗礼を受けていながら、天主によって啓示され、カトリック教会が信ずべきこととして教える真理を頑固に拒絶する人々のことで、アリウス派、ネストリウス派、プロテスタントの宗派などがあります。

この理解でいいですか。「頑固に拒絶する」の前に「一つでも」を補っても差し支えありませんか。ご面倒でも返事をお願いします。

Angelic Feline (01/24 01:09) 編集・削除

いいえ、その表現はトリッキーで、問題が生じる可能性があります。
CCC 2089の
「受洗後、神的かつカトリックの信仰をもって信ずべきある真理を執拗に否定するか、またはその真理について執拗な疑いを抱くことを異端と言う。」
と習いました。

ちなみに同箇所に離教の定義もあります:
「ローマ教皇への服従を拒否し、または教皇に服属する教会の成員と交わりを拒否することを離教という。」
一旦サインしたエキュメニズムの教令や信教の自由に関する教令を、あとになってから否定するどこかの大司教や、あるいは聖座が認めていない司教を勝手に叙階してしまう大司教などはまさにこれに当てはまっているでしょう。
判事的破門になったまま、なおかつ聖座の通知を無視し、勝手に秘跡を執行しつづける司教や、その司教に従い聖座を無視する自称ローマ・カトリック司祭もこれに連なることでしょう。

管理人 (01/26 06:22) 編集・削除

私は議論を整理するために、ひとまず一点に絞って質問をしました。

しかし、二週間以上も経ってやっと得られたあなたの回答には、表現がトリッキーだと言うだけでその説明がありません。そのため、私はもう一度質問しなければなりません。聖ピオ十世の公教要理の説明は、どこに問題がありますか。回答をお願いします。

また、「ちなみに」以下の段落は、この議論に全く関係がありません。分量から言っても極めて不適切です。これではまるでコメントに見せかけた荒し行為ではないですか。今後は、逸脱が目に余るような投稿は承認しません。その場合には、書き直して再投稿して下さい。

離教について一言だけ言うならば、定義はその通りですが、あなたの解釈は間違っています。これについては、このエントリーでは扱いません。また別の機会に論じます。

Angelic Feline (01/26 19:13) 編集・削除

言葉は時代によって少しづつ変化していくものです。
だから時代にあわせて司教たちや聖座は、その時代の人々のためのカテキズムを書いて来ました。
「一カトリック信徒」と名乗るブログ主のあなたが1992年版のヨハネ・パウロ2世のカテキズムをあえて用いない理由はなんですか?
さらには「どちりなきりしたん」やピオ5世のカテキズムではなく、ピオ10世のにこだわるのは何故ですか?

どのローマ・カトリック信徒も、今はCCCをベースに教理を理解するのが当たり前になっています。
わざわざ一時代前のものを用いるのではなく、今のカテキズムをベースにして語り合うべきでしょう。ピオ10世のカテキズムでなければいけない理由があるとしたら、あなたにとって都合の良い理由が隠されているからでしかないと推測できます。改めて確認させていただきますが、あなたはローマ・カトリック信徒、つまりローマ教皇の教えるところに従う方ということでよろしいですか?

説明せずともおわかりかと思いこんでいたので、説明が足りなかったようで申し訳ありません。上記の理由からトリッキーと申しました。

管理人 (01/31 06:38) 編集・削除

すでに続・売られた喧嘩2のコメント欄に書いた理由によって、もう Angelic Feline 氏は相手にできない、相手にしないと決めました。

今回書かれたコメントにしても、表現がどうトリッキーなのかという質問に対してまたもや回答はなく、どうしてトリッキーと書いたかという理由が延々と書かれているだけです。要するに、差異は見つけられなかったが、きっとトリックがあるに違いない、と。謝罪の言葉は一応ありましたが、ポイントがずれてると思いました。

チラシあれこれ

今日は、私の関係する拉致問題を考える川口の会のために、署名活動で使用するチラシのファイルを改訂した。これまでにも何度も手を加えているので、あまりいじるところが残っていなかったものの、それでもいくらか印象を変えることができた。

しかし、例え拉致被害者家族の支援者によるチラシとしては出来が良くても、家族の声を伝えるという点では、とても合格点に達しない代物である。今度の署名活動ではそれを使うより仕方がないとしても、近いうちに新たに作り直さなくてはならないと感じた。

問題は、新しいチラシを作成するために、十分な時間が取れるかどうかだ。だが、不満足ながらも既にひとつ出来上がっていることに甘えて、作業を先延ばしにしたい気持ちをどう抑えるか。その方がより大きな課題だと思う。

related page(s) 署名活動 救う会

一年の計

年が明けた。とは言っても、何がどう変わったのか分からないが、これを機にとにかく何かを始めたい衝動に駆られた。特に思い入れもなかったはずなのに、新年とは何とも不思議なものである。

さて、始めるとなれば、単なる願望では不十分だ。それは何に代えてもやらねばならぬことがいい。また、そうでなければ早々にあきらめてしまうだろう。

そのようなときに、聖ピオ十世会の総長フェレー司教が提案していたロザリオの十字軍のことを思い出した。それは、ルフェーブル大司教らに対する破門宣告の撤回(破門の撤回ではない)を求めて行うものである。この「破門」のレッテルのために多くの霊魂が、聖ピオ十世会に、本当のミサに、本当の秘蹟に、本当の教えに近づくことを妨げられていることを考えると、重要な意義を持つ運動である。

ところが、これはトリエント・ミサの解放を願って2年前に行ったような組織的なものではなく、定まった期間というものもない。また、霊的花束として捧げるにしても、誰が適当な相手なのか、私には判らない。

それでも、ロザリオの数だけは記録しておいて、いつでも出せるようにはしておこうと思う。いつの日か管区長からも追認されて、いくらかまとまった動きになることがないとは言い切れないからである。