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東京連続集会に参加して

今日は久しぶりに、救う会主催の東京連続集会に参加してきた。

以前は人が多すぎて、年輩者に席を譲り床に座って話を聴くなどということもあったが、今回はほぼ満員程度であった。いくらか減少傾向にあるとはいえ、このような会に集う人が首都圏に100人以上もいるのは喜ばしい。

しかし、同じ首都圏で行われる署名活動には、このうちのほとんどが顔を出していない。最近の家族会が署名活動のような草の根の運動を見直し始めていることを、この人たちが知らないはずはないのだが。

related page(s) 家族会 署名活動

また聖アントニオの出番?

自発教令 Summorum Pontificum が発表されるずっと以前に、ある人が「トリエント・ミサに戻るのは間違っていると思う」といったようなことを書いていたのを読んだ記憶がある。最近、再度確認したいと思っていろいろ検索をしているのだが、どうしても見つからない。

私の友人にその話をしたところ、彼もその記述をかつて読んだことがあり、同じように探したことがあるが見つからなかったそうだ。誰かそのありかを知っていたら、御一報願いたい。

related page(s) トリエント・ミサ

『ファチマの牧童』読了

昨日『ファチマの牧童』(光明社)という本を読み終えた。犠牲の精神に満ちた牧童たちの信仰生活を描いたこの本は、期せずして四旬節に相応しい読書となった。

余談だが、ある御出現が本物であるかどうかは、聖母の姿を見た、声を聞いたという者たちの生活を見れば、ある程度まで判断できると思う。そういう観点からも、この本を薦めたい。

related page(s) ファティマ巡礼

「司祭のための祈」について

日本の聖ピオ十世会では、「公教会祈祷文」から7つほどの祈りをミサ聖祭の後に唱えるが、その中に「司祭のための祈」というものがある。周りに訊いて確かめたことはないが、誰もが自分の関係する司祭らを念頭に置いて、その聖性が保たれるように祈っていることだろう。

司祭のための祈

永遠の司祭にましますイエズスよ、願わくは主の聖心を御身のしもべなる司祭らの避難所となし給え。かしこにては何人もかれらを害うこと能わず。

願わくは日々御身の尊き御体に触るる司祭らの手を潔く保ち給え。御身の尊き御血に染まるくちびるを汚れなく護り給え。

願わくは御身の輝かしき司祭職のいみじき印もて、しるされし司祭の心を清く汚れなく護り給え。御身の尊き愛もてかれらを護り、世の悪習を免れしめ給え。

願わくは豊かなる御恵みの果実もてかれらの働きを祝し、かれらに委ねられし霊魂は、地上にてはかれらの喜び、慰めとなり、天上にては永遠に輝やけるかれらの冠とならんことを。アーメン。

近頃、この「司祭のための祈」を、他のカトリック信徒にも唱えてほしいと思うようになった。この祈りがとてもとても必要な(読者は悟れ)司祭や司教がいるから、ということもあるが主たる理由ではない。たびたび唱えることによって、この祈りに込められた願いを、自分の願いとしてほしいのである。

そうなれば、霊的なものをこれまで以上に司祭から欲するようになるだろう。私自身も大分変わったように思う。今では霊魂の救いを気にかけてくれる司祭に会うと、自分の霊魂が喜んでいるような気がするのである。

続・売られた喧嘩3

コプト教会の件で続きを書いておこう。個人的には新しいカテキズムにいくらか問題ありと感じてはいるものの、異端についての説明に関しては、古い公教要理と同じことを言っているように思われる。どちらの説明に従ったとしても、カトリック教会の教義をたった一つでも(CCCの英語版でも「ある真理」は some truth と単数であった)否定するならば、異端と判断してよいはずだ。

すると、例えコプト教会が単性論の異端ではないということを説明できたとしても、他のところで何かのドグマを否定しているならば、やはり異端であるということになる。

確かにあのエントリーを書いた段階では、コプト教会が単性論を採るとの情報を得て異端と判断し、そこで結論を出した。材料は一つあればよく、それ以上は追究する必要を感じなかったからである。しかし、材料がそれだけだと思っていたわけではない。それ以前に両教会の違いをいくつか列挙したものを読んだことがあったが、単性論の件を除いても、異端の可能性を十分に匂わせるものであった。「どちらから見ても」という言い方に絡んだのは、その可能性について調べたのかという疑問からであった。

そうして調べてみたところ、公式と思われるサイトから一般信徒が質問に答えたものまで幾多のソースから、コプト教会が無原罪の御宿りに否定的であるという情報を得た。Angelic Feline 氏が紹介した「コプトのサイト」と同じドメインにある文書(http://www.coptic.net/articles/OneGodInTrinity.txt)にも次のような記述がある。

The Coptic Orthodox Church does not believe in the notion of an "immaculate conception".

残った問題は、「執拗に」や「否定する」の解釈を詰めることくらいだろうか。もしも、無原罪の御宿りは「神的かつカトリックの信仰をもって信ずべき」真理ではないと主張するならば、話はあらぬ方向へ行ってしまうのであるが。(この項、多分終わり)

related page(s) 聖ピオ十世会