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司教叙階式の説教とビデオ

ルフェーブル大司教が4人の司教を聖別してから今日で20年になる。この機会に、司教叙階式における説教の日本語訳とビデオを紹介しておこう。

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教様の説教 1988年6月30日エコンにて

Konsekracje biskupie w Ecône (30 VI 1988 r.)

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拉致問題を考える川口市民の集い2

本日「第2回 拉致問題を考える川口市民の集い」が開催された。朝から雨が降っており、定員の半分も集まるかどうかと心配していたが、来客数は予想を遙かに上回る400名となった。埼玉県内で開かれた拉致問題の集会としては、おそらく過去最高ではなかろうか。

私が気に掛けていた新規ボランティアは、5名ほどの方から申し出があった。拉致被害者救出運動を国民運動としていくために多くの人の協力が必要なので、本当にありがたいことである。

拉致問題を考える川口市民の集い

いよいよ明日、「第2回 拉致問題を考える川口市民の集い」の当日を迎える。準備万端とは言えないが、それなりの貢献はできたのではないかと思う。

もともと田口八重子さんが拉致されて30年となる節目の日に企画したものだが、この直前にアメリカが北朝鮮へのテロ支援国家指定解除に動きだしたこともあって、緊急集会のような性格を帯びたことは確かだ。マスコミも注目しているらしい。

主催者側の一人として、どれだけの人が集まるかということは無論気にかけている。だが一週間後に行われる月例の署名活動のために、新たなボランティアをどれだけ獲得できるかということも、とても気がかりだ。

荒らしと認定

例の pinpinkorori 氏からまたコメントがあった。私の指摘を少しは気にしたのか、いくつか修正を入れてから投稿したようだが、これもまた長すぎる。

それ以上に問題だと思うのは、日記の主である私とコミュニケーションを取ろうという気が無さそうだ、ということである。前回のコメントでは、私が説明不足と指摘した箇所以外の質問には全く答えていない。しかも、私の返答を待たずに次を書き込んでいる。

要するに、自分の目的のために他人の日記を利用しているだけなのである。このような書き込みは、荒らし行為と言わざるを得ない。コメントを受け付けている以上、ある程度不快な書き込みも甘受しなければならないとは思うが、他人に利用されるのは御免被る。

これだけでなく、pinpinkorori 氏による、真面目な意図があったとは思えない書き込みが余所でもあったことを公表しておこう。1つは、小野田神父様のブログで、ルフェーブル大司教の伝記 11.3.2. 衰退する司教区(その2)に対するコメントである。もう1つは、FSSPX JAPAN BBS で立てられた、ルフェーブル大司教と題するスレッドである。後者は、私が pinpincorori 氏に返答した10日後に立てられていることに注目して欲しい。

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pinpinkorori Eメール URL (06/28 01:35) 編集・削除

小野田氏は、聡明なのでぜひともHEGELの絶対精神が自らを展開しているのが世界史であり、世界史は真理を自ら運動として表現する」という弁証法論理学をすすめます。そうでないと第2バチカン公会議の論理が理解できないと思います。
イエスキリストの真理は、あるいは教会の絶対性は、Lefevbreや凡庸な人々が考えるような静的で固定化したものでなく、動的な運動のなかで自らを実現するということです。当然自らのうちに対立物をはらみ(いわゆる矛盾をはらみ)それによって発展し統合されるのです。そのなかには新しいものもあり古いものも当然あるわけです。しかし統合されたときには真理が自らを実現したときには一つとなります。この生きた論理が第2バチカン公会議の論理なのです。
たとえば「教会の外に救いはない」と静的に固定化してとらえることは第2バチカン公会議の論理ではなく、と同じく「教会の外にも救いはある」ということを単純かつ平板に固定化して考えることも間違いです。
「教会の外にも救いがある」ということは、教会の内部にいる信者にとってこれまで教会に外面的に属するだけで救いが保証されていたこと(教会の外に救いはないのだから教会の内部にいれば救われる)が、救いの論理が内面化されて外面的に所属するだけでは救いを保証しなくなったことを意味します。キリストのように愛しあいなさい。神を全身全霊で愛し隣人を自分と同じように愛さなければ、救いの保障がなくなったのです。第2バチカン公会議により信者は内面の基準によって(「ほんとうに」(内面から)神を愛したか?)救いが量られることになった。かえって厳しくなったのです。他宗教との関係も相互理解の運動になっています。つまり他宗教への理解が深まれば深まるほど自分のイエスキリストへの信仰が深まるという相互の運動なのです。これをとらえなければ他宗教との対話などは無意味です。もちろんイエスキリストを信じれば早く一気に救われます。これは疑いのないことです。

管理人 (06/28 22:10) 編集・削除

小野田神父様に勧めたいことを、何故小野田神父様のブログではなく、わざわざこの日記に書くのか、凡庸な私にも分かるよう説明してくれますか?

pinpinkorori Eメール URL (06/29 00:18) 編集・削除

はい。ありがとうございます。
小野田神父様の考えかたと似ていると思いましたからです。
小野田神父様のブログにも書いています。
が、以前ここに書いたことがとりあげられていることが、PC不慣れなため2か月半も知らず返答もさしあげられず失礼したからです。それで一気に返答しようとしたからです。議論されて「知的生活」をめざしていられるので参考になればと思いました。しかしご迷惑ならばしません。
概念や思想を死んだ固定の静止状態でなく生きた運動のとらえかたをぜひともおすすめしたかったからです。
たとえば関心をおもちの聖伝についても典礼についても、第2バチカン公会議は一度も否定したことはない事実は「すべてのもの(つまり例外なく)を生きたものにする」という理由があったからです。1988.07.02前教皇は破門直後にいいます。「Lefebvreたちの離教行為の本質は、聖伝についての不完全で矛盾した概念のうちに認定することができます。
1)聖伝についても「生きている」という性質をとらえかたをしないので不完全であります。」と前教皇自発教書4はいう。「聖伝は使徒たちから出てそして教会において聖霊の助けによって「進歩する」。実際伝えられた事柄や言葉の理解は、それを心のなかで思いめぐらす信者の黙想と研究によって、霊的な経験の深い理解によって、司教職の継承とともに真理の確かなカリスマを受けた人々の宣教によって、深まります。(啓示憲章2-8)
2)教皇と司教団によって構成される教会の一般教導権に反対する聖伝という考えは矛盾しています。キリストが教会の一致を託されたところの実際の使徒ぺトロの位置にあるものとの教会的な絆を断絶していながら、同時に聖伝に忠実であることは不可能です。(前教皇自発教令)
「破門についても」「必要の状態についても」「情状酌量についても」(FellayさんはHoyos枢機卿とのやりとりでAssisiの集会の問題性について言及されていませんが?)
すべてのこれまでの議論はHoyos枢機卿の現実の教導権を超えた教導権を認めず、
小野田さんのいう「それは教皇様が(或いは公会議が)この地上では最終的に判断をすることでしょう。」で結論がでているではないでしょうか?
最後に管理人さんに質問します。
教皇を無視して司教を叙階した場合どの教会法の適用なら現在の教会の外にいる状態の破門を自認できますか?(昔なら教皇が破門というだけで済んだと思いますが)

管理人 (06/30 00:11) 編集・削除

>しかしご迷惑ならばしません。

迷惑です。これまでの投稿も迷惑でしたし、おそらく今後の投稿も迷惑でしょう。

この人物は相手にすべきなのか

私が返事をしてから沈黙していた pinpinkorori 氏から、かなり久しぶりにコメントが来た。最近、聖ピオ十世関係で書いたのはカストゥリョン・ホヨス枢機卿のことだったので、その件で何か言いに来たのかと思ったら、どうやら2ヶ月半前の話の続きがしたかったらしい。

ただ、そのコメントときたら、単に長いのみならず、段落分けも改行もない。敬体と常体との混乱が見られる。それに、ルフェーブル大司教の名前を表記するのに、わざわざアルファベットを用いる意図が不明であるし、しかも綴りが常に間違っている。また、前回投稿時のハンドルは pinpincorori と1文字違うのだが、何か意味があるのだろうか。

このようにコメントの内容以前の問題がいくつもあると、普通の話が通じる人なのかどうか少し疑問に思えてくる。もっとも、言い返すことが無いわけではないので、それは何らかの形で書くつもりではあるのだが。

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pinpinkorori Eメール URL (06/28 01:47) 編集・削除

大変失礼しましたが、PCに不慣れなので申し訳なく思います。つまり今気がついたほどです。私でないものもあるようなのですが「荒し」と認定されても仕方がありません。が「荒し」の意味もわかりません。
おわびまで

「神父暗殺」の主題歌がこんなところに

YouTubeで検索をしていたら、"Many crimes of Cain"/ "To kill a priest"という動画が偶然見つかった。

この動画では、「神父暗殺」 To Kill a Priest という映画の主題歌 The Crimes Of Cain が流れている(Many crimes of Cain は歌詞の一節で、正式な題名ではない)。歌っているのはジョーン・バエズという歌手で、その歌声は歌い出しの一語から人の心を捉えるほど強烈である。

一時期、この歌を収録したCDがないかと探していたのだが、見つけることはできなかった。そのようなCDは存在しないという情報もあったし、何となればビデオから録音することも可能だったので、それ以上は追求せずにいたままだった。

それが今回、利用し易いかたちでダウンロードでき、また紹介もし易くなったことは、ちょっとした収穫であった。

読む予定もないのに買ってしまった本

岩下壮一神父に『中世哲學思想史研究』という著作がある。いつかは読みたいと思っていたが、直接にカトリックのことを取り扱った本ではないので、優先順位は高くなかった。

神保町の古書店で見かけて手に取ることもあるのだが、上に述べたような事情があって、結局書棚に戻してしまうのである。本の状態があまりよくなかったことも関係しているかも知れない。

ところが最近、1993年に復刊されたものがネット古書店に格安で出品されていた。コンディションについては詳しく触れてなかったと思うが、間違いなく1948年版よりはいいはずである。いつか買うものであるし、先に他の人に買われては困るので、その場で注文をした。

そうして今、岩下神父の『中世哲學思想史研究』は私の手元にある。帯が少し灼けているだけで、新品と言ってもいいくらいだ。ページをパラパラとめくっただけで手つかずのままだが、これを読む機会は訪れるのだろうか。

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ノートパソコン用コンボドライブの換装

ただでさえ調子の悪かったコンボドライブ(UJDA710)が、先日ついに絶不調となった。もう我慢の限界と、交換することに決めたところ、中古品(UJDA770)が安価で出ていたので、これを購入した。

取り付け前の作業は、ドライブの45ピンと47ピンとをアルミテープでショートするというものである。アルミテープを小さく切って貼り付けるという作業は簡単ではなかったが、何とか完了することができた。

さて、ドライブを取り付けて電源を入れると、IDE #1 ERROR というメッセージが出る。これは、マシンから認識すらされていないということである。おそらくテープがズレたのだろうと、電源を切ってドライブを引き抜いてみるた。

すると、テープそのものは元の位置にあり、ズレてはいない。それではどこがおかしいのか。よく見るとそのテープは千切れており、残りの部分はといえば、コネクタに貼り付いていた。薄くて強度が足りなかったのだ。

そこで、あらかじめテープにテープを重ねてから小片を切り出すことにした。それでピンをショートし、取り付けに再挑戦すると、今度は無事認識されて動作も確認することができた。今のところ安定して動いており、DVDも鑑賞できる。満足できる結果だ。

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カストゥリョン・ホヨス枢機卿は繰り返す2

Vatican Cardinal Ordains Four for Priestly Fraternity of St. Peterという記事によれば、カストゥリョン・ホヨス枢機卿が、先月末に行われた聖ペトロ会の叙階式の際の記者会見で、「聖ピオ十世会の立場を説明するのに、『離教』は正確な言葉か」との問いに、「いや、離教は存在しない」と答え、なぜ離教状態ではないのかという説明も加えたとのことである。

今回もこのように出来事を伝えるだけなのだが、また「反論」とやらがあるのだろうか。

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映画「ラフマニノフ」を観て

ロシア出身のピアニスト・作曲家であるセルゲイ・ラフマニノフを主人公とした映画、その名もずばり「ラフマニノフ」を、封切り前から注目していた。前売り券も買っておいてあった。連日混雑しているらしかったので様子見をしていたのだが、そのうち最終日が迫ってきたので、チケットを無駄にしてはいけないと思い、やっと行ってきた次第である。

事前に調べもせず、プログラムも買わなかったので、ラフマニノフについて余り知らないままに映画を観ることとなった。この手の映画の常として虚実入り混じってはいるようではあるが、大まかなプロフィールは掴めたと思う。

天安門事件を風化させないために

天安門事件から19年。北京オリンピックで中国に関心が集まる今年は、チベット人の虐殺も話題になり、中国共産党の残虐さがいくらか認知されつつあるが、まだ十分とは言えない。

それでも、以前に比べて期待が持てるようになったことがある。それは、この事件の動画が YouTube というサイトに数多く投稿されており、多くの人の目に触れる可能性がある、ということだ。

先ほど、試しに Tiananmen Square をキーワードとして検索したが、その数は1000を超えていた。無関係の動画や重複を除いても、相当の数である。これを上手く活用する方法を考えたい。

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特定失踪者の「認定」を求めたい

日曜日の午後、東京は日比谷公会堂で、拉致被害者家族が出席する集会を開くと、参加者が減る傾向にあるとはいえ、それでも1000人近い支援者が集まる。

それなのに、同じ曜日の同じ時間帯に、東京のすぐ隣の川口で、特定失踪者の家族が署名活動を行うとなると、反応は頗る鈍い。

街頭に立つのが恥ずかしいとか、署名の効果について疑問を抱いているとか、いろいろと事情があるのかも知れない。あるいは、集会のため万障繰り合わせただけで、普段の日曜は都合が悪いのだ、という人もいるだろう。

しかし、本当の理由は違うところにあるような気がしてならない。実のところは、横田夫妻が来ないから、飯塚氏が来ないから、増元氏が来ないから、ではないだろうか。

もしも、支援者と称する人たちの多くが、拉致被害者家族のいわゆる「追っかけ」にとどまっているのであれば、大変残念なことである。今からでも、特定失踪者を「認定」し、その家族を、支援し励ます対象に含めてほしいものだ。

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