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回勅「フマネ・ヴィテ」から40年

「フマネ・ヴィテ」研究会のウェブサイトにつながらない状態が、もう何ヶ月も続いている。回勅「フマネ・ヴィテ」40周年を迎える今日、この名を冠する研究会のウェブサイトが存在していないのはとても残念なことである。

既に制作者の手を離れて、無名の有志の方がネット上に公開して下さっていたと聞くが、とうとうドメインを更新せず放棄したようである。維持費が負担であれば協力してもよかったし、もっと安く済ます方法も教えられたし、私なりの方法でよければ管理してもよかったのだが、今となっては仕方がない。

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映画の中のトリエント・ミサ

映画「マイケル・コリンズ」には、わずかだがトリエント・ミサのシーンがある。場所はロンドンの刑務所で、服役中のイーモン・デ・ヴァレラ(アラン・リックマン演)が侍者を務めている。カトリックの国アイルランドで制作された映画ではあるが、果たしてこのシーンの出来映えはどうであろうか。

最初はミサの最中、ホスチアの聖変化の場面である。司祭役の俳優は形相の言葉を Hoc est enim corpus meum.(実に、これは私の体である)と正確なラテン語で唱えているし、動きも正しい。しかし、日本語音声ではこれを「主よ、我らを、どうか見守り給え」としてしまっている。もっとも、英語字幕が無かった部分でもあり、日本語版制作者側の限界も理解できるので、これは仕方がないとしよう。

次にミサの後の片づけのシーンに移るが、ここではとても拙い画がある。デ・ヴァレラがカリスを素手で持っているのである。本来、カリスやパテナは一般信徒が触るものではない。侍者などが片づけるときには、手袋をはめて取り扱うことになっている。何も映画に完璧を求める訳ではないが、やはり残念に思う。

有楽町で署名活動を応援

今日は夕方から有楽町で、拉致被害者を救うための署名活動に参加してきた。実のところ、応援を頼まれたことはあっても、応援に来てもらった覚えのないグループの主催だったので、気持ちよく応じたわけではない。しかし、先月の市民集会に出演していただいた家族会の増元俊子さん経由の依頼なので、義理はしっかりと果たしてきた。

それにしても、次回の署名活動の日時は特に告げられなかったが、定期的な活動にする意向はないのだろうか。余所のグループのことながら、少し気にかかる。

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トリエント・ミサが日本の教会で広まらないのは何故か

自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」が出されてから1年になる。今のところ、日本のカトリック教会にそれほど大きなインパクトはなかったように思われる。

祭壇やミサ典書や聖具の用意、侍者の訓練といった条件の問題もあるだろうが、そもそも司祭がトリエント・ミサを捧げてみようという気にならなければ何も始まらない。

しかし、多くの司祭は、これまで新しいミサの利点をさんざん説いてきたことであろう。中には過去に跪き台を撤去させた者、ラテン語聖歌を禁止した者もいるだろう。だとしたら、信徒の手前、どうして今更古いミサができようか。

このような悪条件の中でもいくらか期待が出来るのは、旧典礼を「捨てた」経験のない若い司祭くらいだと思われる。それとて、誰かがトリエント・ミサの魅力を粘り強く説かなければならないが。

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コメント一覧

そら (07/08 20:34) 編集・削除

質問させていただいてよろしいでしょうか?
トリエント・ミサというのは
カテドラルで年一回ある ’荘厳ミサ’とは違うものなのでしょうか?

管理人 (07/09 23:18) 編集・削除

ご質問ありがとうございます。

現在、トリエント・ミサと言うと、1962年版のミサ典書に基づいて行われる伝統的なミサを意味します。一方、カテドラルの荘厳ミサとは、現行のミサ(1969-)をラテン語で行うものです。どちらも俗に「ラテン語ミサ」と呼ばれますが、両者は異なるものです。

そら (07/10 14:58) 編集・削除

ありがとうございました。
1969年以前のごミサ、幼かったので
「長かった」という記憶しかないのですが
違いを 今度勉強してみます。
昔のごミサの話がでると
どこが変ったかなあ、と漠然と思うだけだったので
いいチャンスになりました。

管理人 (07/10 22:19) 編集・削除

トリエント・ミサと新しいミサとの違いについては、小野田神父様のブログより、「パウロ六世には、カトリックのミサをカルヴィン派のミサに近づける意向があった」という記事をお読みになることを提案いたします。ちなみに私も、何とかの賑わいでコメントを数回つけております。

http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/36b55e7e9e0b620b12fa02393bf7c439

たにし (07/17 15:17) 編集・削除

私は数年前にプロテスタントのある教派から改宗できました者です。典礼聖歌による、現在多く行われている形のミサしか知りません。その現行のミサも、段々変化してきているようで、先日説教の中で神父様が口ずさんだ歌が、プロテスタントの新しい団体で普及している歌だったので驚きました。
「カルヴィン派のミサ」という言葉が目にとまりましたので、浅学の身ながら山の賑わいにと投稿しましたが、カルヴィン派ならそもそも「聖変化、御聖体」ということを認めてはいないはずで(詳しい理論は知りません)、本当にそれに近づくなら困ったことではないのかと思いました。

管理人 (07/17 23:56) 編集・削除

はい、困ったことです。

このようにしてカトリックの要素を後退させ、プロテスタントとの親和性を増した典礼が、カトリックのミサとして現在通用していることは、大きな問題だと思います。