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正平協問題の根本はどこにあるのか6

今回は、聖ピオ十世会のウィリアムソン司教がアルゼンチンの神学校に異動する直前に書いた書簡「カール・ラーナー、第1の過失者」を紹介したい。信仰が変わると司祭職のあり方まで変わってしまうということが、簡潔に説明されているからである。

以前に正平協問題の根本はどこにあるのか4で紹介したフライヤーは、これを図式化したものであろう。

聖なるマリアの無原罪の御孕りの祝日に

今日は無原罪の御宿りの大祝日であったが、迎える準備ができていたとは、正直なところ言い難かった。

それでも何もしないよりはと、コルベ神父の語録である『無原罪の聖母』(聖母文庫)から、「第一部 無原罪の聖母」に目を通した。

すると、その第八章は、無原罪の御宿りの祝日をどのように迎えるかについて書かれていた。そのため、まるで遅刻をした生徒のように、気まずい思いでそれを読まざるを得なかった。反省せねば。

related page(s) コルベ神父

正平協問題の根本はどこにあるのか5

もしも新しいミサが新しい司祭職に結びついており、新しい司祭職が正平協の活動を助長しているのだとすると、これを断ち切るにはトリエント典礼への回帰が有効なはずである。

トリエント・ミサでは、司祭は基本的に会衆に向き合わない。会衆に聞こえないような小さな声で典文を唱える。信徒による朗読も、平和の挨拶も、共同祈願もない。

こうなると司祭は、会衆よりも天主を意識し、犠牲を捧げる者としての自覚を否応なくさせられることだろう。特に、教会の脇祭壇で、侍者だけがいて会衆のいないミサを行ったならば。

実際に、トリエント・ミサを捧げて初めて司祭職というものが分かった、と告白する司祭もいる。短い引用だけだったので詳しいことは分からないが、そういうことは十分に起こりうる気がする。

related page(s) トリエント・ミサ

ピカールで燭台を磨く2

例の燭台磨きは続いている。ピカール金属磨はまだ1缶目(300g)を使い切らない。

何となく順調に進んでいない気がしていたのだが、少し離れたところから見るとなかなか綺麗になっていることに気が付いた。

さらに、あらかじめ撮っておいた磨く前の写真と比べてみたところ、仕上がりのことについて誰も文句を言わないだろうという確信さえ持つことが出来た。もっとも、磨いたことすら気が付かない人もいるかも知れないが。

ピカールで燭台を磨く

先月の聖ピオ十世会のミサがあった日のことである。ある信徒から燭台が2つ寄贈された。大変シルエットが素晴らしかったので、ミサが始まる直前だったにもかかわらず、直ぐに既存のものと差し替えられた。

さて、問題はその色である。その燭台は、スプレーで塗ったのかと思われるほど一面茶色く変色していた。かろうじて一部だけ原色をとどめていたが、さもなくば茶色の燭台だと思ってしまうほどであった。

これを磨いて光沢を取り戻すには、相当な時間がかかることが容易に予測できた。しかし、あまりにも無惨なその外観を見るに見かねて、よせばいいのに引き取ってしまった。現在、ピカール金属磨で磨いている最中である。どこまで綺麗にできるか、乞う御期待。

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A FOX (12/02 08:19) 編集・削除

もし、あまり綺麗にならないようでしたら、
金属の装飾ペイントスプレーの金色などををふきかけてもいいですね。
先日手芸専門店で色々見かけました。
装飾品もあります。
今度もって行ってみましょう。
蜀台だけでなく他でも使えそうだと思いますので。

でも、磨いただけのほうが、年代物のように見えたりしていいかもしれません。
ちょっとおせっかいな、A FOX でした。