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枝の主日の聖歌について

Liber Usualis は、ミサ中に歌うグレゴリオ聖歌をほとんど網羅している、分厚いがとても便利な聖歌集である。カトリック信徒必携、ということはないが、近々支給される定額給付金で購入するのを検討してみてはどうだろうか。

さて、網羅しているとはいっても、「ほとんど」というところが厄介である。例えば、枝の主日の福音朗読箇所は、司祭と聖歌隊とが交互に歌うようになっているのだが、Liber Usualis にはラテン語本文があるだけで、ネウマ譜は省略されている。

それならば、Liber Usualis しか持っていない聖歌隊員たちが、どのようにしてその部分を歌うのかと言えば、聖週間用の聖歌集などをコピーして、それを使っているようだ。ただ、コピーが劣化していて見にくいとのことであった。

私自身はそのような聖歌集を持っていないのだが、古い版のものをスキャナーにかけてPDF化したものがインターネット上にある。サンプルとしてこれを印刷して見せたら、見易いという反応であった。それで、さらに複数部作ってみた。当日、家に忘れてしまわないようにしたいものだ。

ルフェーブル大司教の命日に2

またルフェーブル大司教の命日がやってきた。聖ピオ十世会と、そのミサに集う信徒にとって特別な日ではあるが、生前に会ったことのない人を偲ぶのは、正直なところ少々難しいところがある。伝記のそのあたりの部分を読み返すのがいいのかも知れない。

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ノートパソコンの電源が突然落ちる理由を考えた

昔、ノートパソコンの電源が突然落ちるトラブルに悩まされた。アダプターを接続しているのに、徐々にバッテリーの残容量がなくなって、ついには電源が切れてしまうのである。この症状は、バッテリーを交換してもあまり改善されなかった。

しかし、後になって別のアダプターを手に入れて組み合わせてからは、そのような問題には悩まされなくなった。従って、原因はアダプターにあったと推定される。

確かに、これまで使っていたアダプターは、接続すると電気も通るし、OSも立ち上がる。普通の感覚で言えば、「動いていた」ことは間違いない。だが、接続中にバッテリーを充電するどころか残容量の維持もできない。これもまた確かなことであった。

結局のところ、アダプターに故障未満の不具合があったというのが真相ではあるまいか。ただし、これは憶測であるからして内容の保証はできかねる。

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カルデロンのり子さんのことについて

もはや旬ではない話題かも知れないが、忘れ去られる前に少しだけ書いておきたいことがある。

先頃大騒ぎとなっていた、いわゆる「フィリピン人一家(または家族)強制退去問題」についてだが、本当は「フィリピン人夫婦不正入国(または不法滞在)問題」と呼ぶのが相応しいのではないか、という気がしてならない。

そして、現在のカルデロンのり子さんと同じ中学一年生(当時)のときに北朝鮮に拉致され、30年以上も家族から引き離されている横田めぐみさんについて、もっとバランスの取れた同情と関心とが寄せられてもよいのではないか、と思わずにはいられない。

「元死刑囚」は評判が悪かった

先日、金賢姫のことを「元死刑囚」と表記したが、どうもこの言い方は評判が悪いようである。「救う会」副会長の島田洋一氏は、二度も(おかしな肩書―金賢姫「元死刑囚」及び主流メディアより意識の高い「麻生メールマガジン」)ブログで取り上げていたほどである。厳しい人は厳しい。

その一方で私がなぜ「元死刑囚」を選択したかと言えば、恐らく直前に見ていたマスメディアの使った表現を、そのまま用いたからだと思われる。他には、死刑判決を逃れたおかげで今回の面会が実現したという思いもあっただろう。もちろん、「元工作員」でも構わなかった。不用意だったかも知れないが、とにかく他意がなかったのは確かである。

もっとも、指摘している島田氏の方も、面会の翌日の酒の席で話題になったとのことだから、それほど敏感に反応したという訳ではなさそうである。

金賢姫元死刑囚との面会へ

いよいよ明日、北朝鮮に拉致された田口八重子さんの家族が、金賢姫元死刑囚と面会をすることとなった。拉致問題を考える川口の会を通じ支援してきた者として、とりあえずは嬉しく思う。

さて、『母が拉致された時 僕はまだ1歳だった』というコミックによれば、長男の耕一郎さんは、母のことを知りたいと、2003年に金賢姫宛に手紙を書いたものの、2006年の時点では返事を受け取っていないそうである。恐らく現在でも音沙汰は無いと思われる。そういう事情を考えると、手紙から面会へと形式こそ変わったが、これで長年の望みが叶うと言ってもよいだろう。

だが、もしかすると、この面会には思ったほどの時間が与えられないかも知れない。他の被害者の情報までは得られないかも知れない。マスコミにはすぐに話せないこともあるかも知れない。いろいろ心配はあるが、少なくとも家族にとって有意義な時間となることを望むものである。