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トリエント・ミサから新しいミサへの移行

詳しいことは知らないが、新しいミサ典書が作成されその使用が許可される数年前、トリエント・ミサは下記の注意書きに従って行われていたらしい。引用は私の持っている「公教会祈祷文」からである。

ミサ聖祭の改正部分についての注意

すべてのミサ聖祭において(私的挙行の場合にも)実施すべき改正(一九六五年三月七日より実施)

(1)詩編(42) Judica me を省く。 “Adjutorium” のときと入祭唱の初めに十字架のしるしをしない。
(2)ミサの直前に他の典礼行為のあった場合、祭壇のもとで唱える祈りを全部省き、何も唱えず祭壇に上ってOsculum をする。
(3)典礼中のことばによる inclinato capitis (頭をさげる)は、イエズス、マリアの名と、そのミサの聖人、福者の名、および現教皇の名の唱えられるとき、また入祭唱の Gloria Patris のとき、さらに四旬節の “Humiliate capita” のときにのみ行う。
(4) “Gloria”, “Credo”, “Sanctus” は合掌したまま唱え、 “Et incarnatus” のとき、ひざまずかずに身をかがめる。これらの祈りの終わりに十字架のしるしをしない。 “Agnus Dei” のとき三回胸を打つ。司祭は個人的にミサを捧げる場合、 “Agnus Dei” は身をかがめて唱える。
(5)ぶどう酒と水を入れるとき、Ablutio (洗浄)のときも、司祭は祭壇の中央に立ったままで行う。奉納の後、手を洗うときには、祭壇の右に行く。
(6)奉納祈願は大きな声で唱える。
(7)カノンの結びの栄唱は、Per ipsum から大きな声で唱え、その間、十字架のしるしをしないで、カリスとホスチアを持ち上げている。「アーメン」の答を待ってから祭壇に置き、パラをカリスの上にのせて、それからひざまずく。
(8)主の祈りの後、「アーメン」を省き、続いて手を上げたまま Libera を唱える。
(9)聖体を授けるとき、「キリストのからだ」と唱えてホスチアを示す。「アーメン」の答えを待ってから十字架のしるしをしないで授ける。
(10)聖体拝領唱と、聖体拝領祈願は祭壇の右ではなく、中央で唱える。
(11)終わりの福音と、レオ十三世のミサの後の祈りを省く。

見ての通り、いくつかの祈りがばっさりと省かれ、十字架のしるしと跪きが減らされている。これではまるで「墨塗り」ミサ典書ではないか。例え新しいミサしか知らない信徒でも、この改正が目指す方向はある程度感じ取れるだろう。

大喜利

今日、衆議院が解散された。だが、その何日も前から幾多の人がこの解散のネーミングを試みており、それはまるで笑点の大喜利のようであった。もう少し真面目にやれと言いたかったが、よく考えてみると自分にも覚えがあるので、これに関しては大人しくしていようと思う。

「正平協問題の根本はどこにあるのか」の後始末

昨年、「正平協問題の根本はどこにあるのか」と題して6つほどの記事を書いた。書いたといっても、ほとんどがリンクによる記事紹介であった。しかも明確に終了が宣言されないまま途絶えている。

ネタ切れということでもなかったのだが、あれ以上続けるとトリエント・ミサや聖ピオ十世会の宣伝となっていくのは確実だった。そのことを避ける理由は全くなかったのだが、そうするとカテゴリ分けの問題が生じるので、同じタイトルでは続けにくい。そのようなことを考えているうちに時間が経過してしまった、というのが実情である。

しかしながら、敢えて宣伝しなくても、聖ピオ十世会が正平協の対極にいることに、一部の人は気がついてくれているようである。そして、無理解な信徒たちが「反抗」と呼んでいるものが、実は正平協的な司祭になってしまわないための「抵抗」である、ということにも。

実際、どの司祭も明確に反共であるし、正統な教え、聖なる典礼、グレゴリオ聖歌、修道服などなど、カトリックの共同体として望ましいもので満ちているのだから、気がつく方がむしろ自然だと私は思うのだが、どうであろうか。

参考:
正平協問題の根本はどこにあるのか
正平協問題の根本はどこにあるのか2
正平協問題の根本はどこにあるのか3
正平協問題の根本はどこにあるのか4
正平協問題の根本はどこにあるのか5
正平協問題の根本はどこにあるのか6

読めなかったDVDを冷蔵庫で冷やしたら

海外からDVDを取り寄せて観ていたところ、途中まで順調に再生できていたのに、突如画面が乱れた。プレーヤーの機能により、読めないところを適当に読み飛ばしてくれてはいるが、それも限界があって、観にくいことこの上ない。その後も断続的に試行錯誤をしたのだが、相変わらずまともに再生することができない。

そんなある日、既にネットでは見つけていたが、「まさか」と疑ってまだ試していなかったやり方に挑戦した。それは、ディスクを冷蔵庫で冷やす、という方法である。科学的根拠は不明だが、成功したという報告も散見された。

人間追いつめられると何をするか分からない。冷えている間は読めるが、常温に戻ると読めなくなる、という話も、何だかもっともらしく思えてくる。水滴がディスクやその記録にどう影響するかがいくらか気になったが、腹をくくって冷凍庫に入れてみた。

十数時間後に取り出して、丁寧に水滴を拭き取ってから読み込ませた。そして、問題の箇所まで飛ばしてみた。すると、信じられないほどスムーズに再生できた。だが、こうして読めるのも、冷えているうちだけかも知れないので、早速バックアップディスクを作成した。他人には奨めないが、私は成功した、とだけ言っておこう。