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ミサ聖祭中のパドレ・ピオの写真について

ピエトレルチナのパドレ・ピオのことを伝記などを通じて知っているならば、あるいはその年代だけでも頭に入れているならば、聖人が生涯捧げたミサがトリエント典礼であることは分かるだろう。

しかし、インターネットでミサ聖祭中のパドレ・ピオの写真を探すと、一目でトリエント・ミサだと判るものは少ない。

というのも、多くの写真が、横側から撮ったものであったり、会衆へと向きを変えたとき(ミサ中数度ある)のものであったり、あるいは晩年に行った対面式のミサのものであったりするからである。

意識的に見るならば決して判断が難しいわけではないが、指摘されるまでは気がつかない人が結構いるのではないか。機会があったら確認してみてほしい。

ヨゼフ・ピタウ大司教のコラムを探したら

元上智大学学長のヨゼフ・ピタウ大司教とは、大聖年の年末にローマでお会いしたことがある。あれから9年。思えば随分時間が経ったものだ。

その大司教のコラムが読売新聞で始まるということを、先週、とあるニュースメールで知った。読売は購読していないが、ネットで読むことができるだろうと高をくくっていたら、検索しても見つからない。今のところは掲載されていないようである。

しかしながら、検索の途中で、3年前の記事が見つかった。立命館大学の「現代社会と宗教 世界編」というリレー講義に登場していたのだ。記事は講義詳報とはあるが、講義全体からすれば要約のはずである。ともあれ、第2ヴァティカン公会議の大まかな内容を短い時間で把握するのには役に立つだろう。

大司教はその公会議を絶賛しているようだが、私は同意しかねる。そこに書いてあることの一々が、正平協を含めた、カトリック教会内に起きている様々な問題の、直接間接の原因だと思うからである。

ヴァティカンと聖ピオ十世会とが教義問題を話し合う

以前から聖ピオ十世会が聖座に求めてきた、教義についての話し合いが、いよいよ今日から始まる。その中で、第二ヴァティカン公会議の問題点が必ず取り上げられるはずである。

この途中経過がどのように知らされることになるのか全く分からないが、興味のある人は、小野田神父様のブログをブックマークしておくと良いだろう。

第二献金袋を作成する

この間の聖ピオ十世会の主日ミサでは、台風の被害に遭ったフィリピン人たちのために第二献金が行われた。その際、他に適当な袋がなかったのか、もともと別の目的のために用意した巾着袋が使われていた。

別にその袋が相応しくないということはなかったが、今後のためにも第二献金のための袋があってもよかろう。そのようなわけで、ひとつ袋を作っておこうと思った。

作るとはいっても、針もミシンも使うことはない。市販の無地の巾着袋にアイロンプリントを貼り付けるだけのことだ。既に印刷は済んでおり、明日の朝まで乾燥させてから作業に取りかかる予定である。

related page(s) 聖ピオ十世会

スクラップを免れたプリンター

家に使えなくなったインクジェットプリンター(Canon PIXUS 560i)があって、捨てないまま何ヶ月か放置していた。だが、もういい加減に捨てようと、プラスチックと不燃物とに分けるべく分解することにした。

まずはカバーを外し、ドライバー片手にどこから取り外そうかと見回した。すると、給紙口のあたりにプラスチックの破片(用紙幅ガイドのつまみが折れたもの)が見えた。

それと同時に、明るい希望も見えてしまった。

というのも、当初このプリンターを使えないと判断したのは、給紙ができなくなったからであって、他に故障個所はない。そして今、原因が判明して、問題の破片も取り除いた。これでプリンターを捨てる必要がなくなった。

折角なので、これにトレイガイドユニットを差しっぱなしにして CD-R や DVD-R のレーベル印刷専用機にすることを思いついた。だが、それは給紙が出来ないままでも可能だったというオチがついた。お後がよろしいようで。

related page(s) プリンター

誰も跪いてはならぬ

トリエント・ミサに与る信徒は、とにかく跪くことに慣れている。御聖体を拝領するときはもちろんのこと、祈りを始めるとき、司祭からの祝福を受けるときなど、スムーズに跪きの姿勢を取ることができる。

それはいいのだが、必要のない時にまで跪くのを見かけることもよくある。例えば灌水式で聖水を受けるときや、香炉係から香を受けるときなどである。

いくら祝別されているとはいえ、対象は水や煙である。或いは司祭や香炉係に対する礼として起立するのかも知れないが、いずれにしても跪きは行き過ぎである。この日記を読んでいる信徒だけでも気を付けてほしい。

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A FOX URL (10/15 08:23) 編集・削除

おはようございます。

記事の条件に当てはまりましたので(笑)
(余談ですが、こちらに訪問するのは、アクセス件数上げるためのクリックの目的がほとんどです。)

私の場合、ある経験なお年寄りから、
そのようにするとアドヴァイスをいただきました。
おそらく、香を受けるとき、聖水を受けるとき、
そのようにして主に敬意を表していたのかもしれません。
もしくは、単なる勘違いかもしれません。
今となっては、確認することもできません。
そのご老人は、
親切のつもりでアドバイスしてくださったので感謝しています。
以後気をつけます。
失礼いたしました。

祈りのうちに

A FOX (10/15 20:04) 編集・削除

訂正

ある”敬虔”なお年寄りから
でした。

ミサ聖祭のチカラ

神学校の最大のイベントが司祭叙階式であることに異論はないだろう。オーストラリアにある聖ピオ十世会の聖十字架神学校でも例外ではない。全豪だけでなくニュージーランドからも大勢の信徒が集まるため、屋外に大きなテントを張り、祭壇を設置し、椅子を並べて、大がかりで行われる。

もちろん司祭たちも、新しい司祭の誕生を祝うため駆けつけてくる。それぞれが叙階式の前後に自らミサを捧げるので、校内のあちこちにある大小の聖堂全てが使われる。掲示板には時間割表が貼られ、司祭が名前を書き込むと神学生もまた名前を書き込んで侍者を申し出る、といった具合だ。

「これはすごいパワーだよ。」

ある司祭がその時間割を指さし、私にそう言った。そのときまでは沢山のミサがあるくらいにしか思っていなかったが、言われてみれば確かにその通りで、捧げられる犠牲の総和を考えると、さすがに大変な瞬間に立ち会っている思いがした。

一方で、多くの司祭が集まって一つのミサを捧げる共同司式は、一体どれだけの力を持ちうるのだろうか。それぞれの共同司式司祭たちは、その前後に自分でミサを捧げているのであろうか。そのようなことを疑問に思う今日この頃である。

伝統的なノヴスオルド・ミサ?

今日は東京のカテドラルでカトリックアクション同志会主催の荘厳司教ミサが行われたはずである。行ってないから確認はできていないが、まさか中止ということはあるまい。

さて、その荘厳司教ミサは、現行のノヴスオルド・ミサのラテン語規範版であって、伝統的なトリエント・ミサではない。多くの参加者はそのことを理解しているだろう。

しかし、主催者側の説明は、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」以降使われるようになった「通常形式」という語を加えているものの、依然としてすっきりしない。

カトリックアクション同志会では、カトリックの伝統的なミサのひとつであるグレゴリオ聖歌を歌って行なわれる、ラテン語ミサ (荘厳司教ミサ)を通常形式で主催しています。

ラテン語とグレゴリオ聖歌で捧げられるこのミサを「ラテン語ミサ」と呼ぶことはできるだろう。しかし、ノヴスオルド・ミサを「伝統的なミサ」とするのはどうであろうか。

他にも、読唱ミサと歌ミサとをそれぞれ「ひとつ」として数えているとか、東方典礼を含めた伝統的典礼の中の「ひとつ」であるとか、いろいろな解釈を試みてみたが、どうしても引っかかってしまう。

もしかしたら、辻褄の合う解釈ができる頭脳明晰な人がどこかにいるかも知れない。だがその場合でも、この説明に改良の余地があることは同意してくれるものと思う。

related page(s) カトリック典礼

司教叙階に関する知能テスト

これからテストをしてみたいと思う。実話が題材ではあるが、教皇ヨハネ・パウロ2世、岡田大司教、幸田補佐司教、ルフェーブル大司教といった固有名詞は、一時忘れて読んでほしい。

ある教皇の治下で、ある教区に60歳代の大司教がいた。大司教は、信徒の堅振と司祭叙階のために教区内を回っていたが、多忙のために補佐司教を聖座に求めた。すると、すぐに1名の司教叙階が認められた。

時は遡るが同じ教皇の治下で、ある修道会に80歳代の大司教がいた。大司教は、信徒の堅振と司祭叙階のために20を越える国々を飛び回っていたが、多忙のために、また健康上の理由から複数の補佐司教を聖座に求めた。すると、長い交渉の末に1名の司教叙階だけが認められた。

どうだろうか。固有名詞が頭に残っている場合を除き、これを不公平と感じないならば、算数の力がかなり劣っている可能性があるので気を付けてほしい。

related page(s) 聖ピオ十世会

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海風 (10/06 22:55) 編集・削除

再度です。このテストは、自分には、ある教区と、ある修道会、の違い、と映ります。というのは、部外者の信者だから、こんな返答になるのでしょう。
すでに内部で、その組織形態の中から、然るべき対象者に質問されてる訳ですから、自分のような者、すなわち老いたプロテスタントは、意外でしょう。
自分は、非常に興味ある方が、載っていたので、何か引き出せるのではないか、という意識です。
祈りと共に、はるばるファティマまで行かれたのですから、教皇ヨハネ・パウロ2世での大事件、それが係わり在る事は、すでに教皇庁公式見解で明らかです。
部外者の信者も、未信者も、等しく知った訳です。
聖ピオ十世会のことも読ませてもらいました。カトリック教会の分類一覧も、今年以降は同様に。異端の定義なるものをも。祈りの次第も。
別のネットでは、マリア様の祈りも、すでに、言い方が失礼かも知れませんが、解禁になっているようです。
左様に、21世紀を痛感した次第です。
貴会も、オーストラリア大陸での布教に邁進する、という映像を浮かべました。

海風 (10/11 17:13) 編集・削除

すでにご存知とおもいますが、Wikipediaにて検索すると、聖ピオ十世、の項目があり読みました。
あのジャンヌダルクを列福された教皇ですね。
日本でも去年、長崎にて列福式が挙行されたこと、新聞やネットでも報道されました。自分もかってその地を訪ね、浦上天主堂、大浦天主堂、そして原城址にも行きました。