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言い訳を考案するよりも祈るが易し

四旬節には四旬節の祈りがあったはずと、公教会祈祷文を手に取った。ページを開いて、そういえばこんな祈りだったと思い出した。

主よ、願わくはわれらの心に聖寵を充たし、われらにおのが罪を嘆き、祈りと善業とをもってこれを償うを得しめ給え。そは来世において永遠に罰せらるゝよりも、この世においてこれを償うをまされりとすればなり。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

四旬節の間中毎日唱えるのが望ましいが、とても短い祈りなので、祈れないという言い訳を考える方が時間がかかることだろう。

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灰の水曜日のつぶやき

灰の水曜日に断食するのはいいことだが、空腹が辛かったなどと日記で自慢するのは避けたいものである。

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異端どもとともにささげるミサ

現在のカトリック教会では、プロテスタントとの合同礼拝が、私が思っている以上によく行われているようである。

しかし、片や一・聖・公・使徒継承の教会であり、片や異端や離教である。普通に考えれば、両者が合同礼拝などしようものなら互いに教義上の問題が生じるはずである。

この合同礼拝が両者の抵抗もなく行われるのは、現行のノヴスオルド・ミサが、カロリー控え目ならぬカトリシズム控え目に改竄されている典礼だからである(ノヴスオルド・ミサの出生秘話ミサ典書から閉め出された諸聖人参照)。

私はこれを「異端どもとともにささげるミサ」と呼びたいくらいであるが、不適切であろうか。

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cuirass (02/18 22:47) 編集・削除

ブログ主殿の気持ちは痛いほどわかるが、アルビジョワ十字軍じゃあるまいし「異端ども」はちょいヤバイかと。ピオ十世兄弟会が誤解されますぜ。

管理人 (02/18 23:41) 編集・削除

言うまでもなく「子どもとともにささげるミサ」をもじっただけですから、特別な感情を込めて「異端ども」と言ってるわけではありません。

また、誤解する人はどうやっても誤解するので、日記の書き手としましては諦めの境地です。

Viarofka (04/11 01:15) 編集・削除

お尋ねしたいのですが、プロテストが異端というのはどのような根拠に基いてそう言われるのですか?

異端かそうでないかは三位一体の神を信じているか否かと思いますので、そう考えれば、プロテスタントが異端というのはいかがかと思いますが。

管理人 (04/11 09:33) 編集・削除

異端については、カトリック教会の公教要理に定義が書いてあるので、私はそれに従っています。

詳しくは小野田神父様のブログの、次の記事に詳しいのでお読み下さい。

異端とは何か? 離教とは何か?:ダブルスタンダード?! 聖伝主義に対する態度とエキュメニズム
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/0944a1347860e9197bb57912b172cfe6

次の記事も、ルターの異端と、このエントリーのテーマであるミサについて考えるのに有用だと思います。長いですけれど、併せてお読み下されば幸いです。

ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/4e0145d8785ef35e9a5bde2375135256

伝統的な堅振式にあって新しい堅振式に無いもの

カトリック関連の動画を探していたら、南山教会で行われた堅振式の動画を見つけた。現在の堅振の秘蹟がどのように行われているか気になって少し観たものの、あまりにも簡略化された儀式に、残念な気持ちになっただけだった。

それよりは、フランスの聖ピオ十世会の教会で行われた堅振式の模様(Confirmations)を観た方がずっといい。

動画を観ればすぐ判ることだが、堅振の秘蹟の締めくくりに、司教は信徒の頬を叩く。これは新しい儀式書では消えてしまった所作である。

別に自分が叩かれたり人が叩かれるのを見たりして悦ぶ趣味はないのだが、これはきちんと意味のあることなのだから、簡単になくすべきではない。そういうことを含めて、古い公教要理で、堅振の箇所だけでいいから学ぶことをお勧めする。

ちなみに、「堅信」でなく「堅振」という言葉を用いる理由については、昔の拙文(堅振の秘跡の有効性について)を参照してほしい。

この支配からの卒業

聖ピオ十世会のトリエント・ミサに与る信徒の数が増えていることは以前にも触れたが、潜在的にはもっと多くの信徒がこの伝統的なミサ聖祭に与ることを希望しているのではないかと思われる。

その中には、所属する教会や勉強会やネットのコミュニティーで、ボスのような人たちから「あんなところに行ってはいけない」と言われ、くじけてしまっている信徒もいることだろう。

しかし、小野田神父様のブログなどを通じて、身の回りの誰よりも聖ピオ十世会のことを知っているのに、なぜよく知りもしない「ボス」の意見に振り回されているのか。新しいミサの問題点を誰よりも知っているのに、どうして「ボス」に気兼ねして与り続けなければいけないのか。

今月のミサも近づいているので、すぐにも自問自答してみてほしい。

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北朝鮮・拉致問題サブカテゴリーで恥ずかしながら暫定1位

この日記が参加しているブログランキングにほんブログ村に、北朝鮮・拉致問題というサブカテゴリーが新しく作られた。

これは、以前から要望を出し続けてきたのが、やっとのことで実現したものである。

とはいえ、昨年に川口の会を退会しただけでなく、最近拉致問題関連の話題を取り上げてないこともあって、今更エントリーするのも気が引けた。

だが、過去には30ほどの記事を書いているのだし、呼び水にでもなれば、という思いで、暫定1位の座に就いている。

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埼玉の夜叉 (02/09 14:02) 編集・削除

決して拉致問題解決を願う気持ちが薄れたのではないと信じていました。
「私、良いことしているのよ」と誇らしげなボランティアさんもおられます。そして、自分の無力さに涙し、ただひたすら、しっかりとした根っこを育てようと些細な笑われそうなことを続けているおばさんが一人います。

お願いです。時には指針になる意見を述べてくださいませんか?
組織に所属しないからこそ、思い切った発信を。
お待ちしています。

加藤哲史 (02/10 12:17) 編集・削除

少なくとも貴兄の存在自体が、単なる拉致問題レクリエーション集団と化している、川口の会や東京ブルーリボンの会よりは、拉致問題の敢然解決に寄与すると、自分には思えます。
上記二団体はレクリエーションを楽しみたいのであれば、他の事でもやってて欲しい。

藤田隆司 Eメール (02/11 04:52) 編集・削除

 川口の会の藤田進の弟です。
 1点だけ。貴殿から、直接川口の会からの退会の話は承ってはいません。川口の会の入退会は本人の自由ですので、それを止めることはできませんが、少なくとも「退会」を「川口の会」の関係者に伝えることが先決ではないでしょうか?
 ブログで「退会を決断」されても、本人から直接話がないので、こちらも困っています。

管理人 (02/11 09:02) 編集・削除

ネット上の日記とはいえ退会を公に宣言し、活動から一切手を引いている人間を、引き続き会員と見なすかどうかは川口の会の自由ですから好きにして下さい。

アイルランドのカトリック紙のサイトを久々に訪問して

アイルランドに The Irish Catholic というカトリックの週刊紙がある。一時期はサイトがかなり縮小され、この先どうなってしまうのかと心配したものだった。

最近久々に訪問したら、持ち直したどころか、立派な総合サイトにまで発展していて驚いた。部数は調べなかったが、紙媒体もまだ健在のようである。

嬉しかったのは、かつて編集長だった David Quinn 氏が寄稿を続けており、それをブログ形式で発信しているということだ。私の興味とは少しずれているのだが、勉強だと思って読んでいきたい。

動画で見るルフェーブル大司教

先月、ルフェーブル大司教のドキュメンタリー映画が製作中であることを紹介したが(ルフェーブル大司教の映画製作に協力を)、予告編の英語字幕版が、予定より遅れながらも公開された(Update: English Trailer Now Available!)。

さて、楽しみに待っていた英語字幕版だが、ある意味で期待はずれだった。つまり、オリジナルのフランス語版だけでも、既にかなりの情報が自分に伝わっていたために、字幕によって判った内容はそれほどのインパクトがなかったのである。

しかしその分だけ、映像のチカラは大きいとも言える。これまでルフェーブル大司教のことは活字や写真程度でしか伝わっていなかったが、新たな切り口として映画というメディアに期待したい。

26聖人のことを少しだけ考える

日本の26聖人殉教の日が終わろうという今頃になって、『日本26聖人物語』(聖母文庫)という本を引っ張り出した。寝る前に少し読んで、残りはまた明日以降だ。

祈りの言葉を暗記するのが苦手な人のために2

ロザリオに必要な祈りと各玄義の文言とを全て1枚の紙の面に載せるプロジェクトは着々と進行し、栄えの玄義に加え、喜びの玄義と苦しみの玄義の分も出来上がった。ちなみに、光の玄義の分を作る予定はない。

さて、何かいいネーミングはないかと考えてみた。思案の末にやっと思いついたのが「めでたシート」である。私自身はあまり気に入っておらず、別の名称を模索しているのだが、困ったことに、時間が経つにつれて慣れてきている。

祈りの言葉を暗記するのが苦手な人のために

ロザリオを祈るときに祈祷書を必要とする人は、いつも小さな我慢をしなければならない。というのも、使徒信経を含む基本的な祈りは前の方のページにまとめられ、ロザリオの各玄義の文言は中程のページにあり、ファティマの牧童の祈りはまた別のページにあるため、あちらこちらに移動しなければならないからだ。

その程度のことが面倒ならば暗記・暗唱してしまえばよい、と言ってしまえばそれまでだが、なかなかそうもいかない。

もしも、すべての言葉が一枚の紙に収めてあったら、きっと便利なはずである。さらに、それぞれの玄義を描写する絵が添えてあったら、黙想の助けにもなるだろう。もっとも、そこまですると、あまり小さくすることはできないけれども。

そこで、とりあえず栄えの玄義の分だけ作成にとりかかった。頭で思い描いたレイアウトがワープロ上ですんなり実現し、基本的な形は出来上がった。あとは仮名(文語体なので必要な人のために)を振って、少し見栄えを整えれば、人前に出せるようになる。

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