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この支配からの卒業2

先月、身近にいる「ボス」の目を気にして聖ピオ十世会のミサに来られない信徒がいるのではないかという思いから、この支配からの卒業なる記事を書いてみた。今回はその第2弾である。

例の「ボス」は、聖ピオ十世会に否定的な見解を示して以来、他のところでトリエント・ミサに与れるよう何かしてくれたのだろうか。あるいは、小教区でラテン語ミサが行われるように、グレゴリオ聖歌が歌われるように、何か骨折ってくれたのだろうか。

もしかすると、その「ボス」のせいで、トリエント・ミサへの興味が満たされることのないまま、何年何ヶ月かの年月が虚しく流れてしまっただけではないのか。

今週末も大阪と東京でミサ聖祭があるので、すぐにも自問自答してみてほしい。

貯まったポイントをそこまでして使わせたいのか

ポイントカードの類は、もう10年以上使っているだろう。普段はポイントを貯めておき、適当なところで使う、というのが店員と客との間の暗黙の了解だったように思う。だから、そのやりとりは、「お貯めでよろしいですか」「はい」で済んでいた。

しかし最近は、「ポイントをお使いになりますか」と訊いてくることが増えてきた。「いいえ」と答えれば済む話だが、何度も繰り返していると不愉快になってくる。

確かに、いつかどこかで貯まったポイントを使うことだろう。ただ、それまでの全ての接客機会に客の望まないことを提案して、「いいえ」という反応を引き出すことは、商売の上であまり得策とは言えないのではないだろうか。

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SR (03/24 18:34) 編集・削除

「お貯めでよろしいですか」「いいえ」もあるのでは?
ようはその時の気分ですよ。
ポイントをなかなか使いづらい人にはいいと私は思いました。

管理人 (03/24 20:11) 編集・削除

>「お貯めでよろしいですか」「いいえ」もあるのでは?

ありますよ。「適当なところで使う」と書いたではないですか。

>ようはその時の気分ですよ。

気分屋なんですね。

>ポイントをなかなか使いづらい人にはいいと私は思いました。

何か使いづらい理由がありますかね?

聖ヨゼフの祝日に思い出すこと

聖ヨゼフといえば、受洗して2年くらいの間はそれほど馴染みがなかったように思う。福音書に少ししか現れないということもあったろうし、誰からも聖ヨゼフへの信心を教わった覚えがなかった。

その後、アイルランドのカトリック書店で、幼きイエズスを抱く聖ヨゼフのカードを手に取った。TANBooks から出ているものをバラで売っていたのだ。この聖人に興味を持つようになったのは、それがきっかけである。

ところで、このカードだが、聖ヨゼフの表情がとても優しく、またイエズスも美少年に描かれている。似たようなカードをあちこちで探してみたのだが、これ以上のものは見つからず、後に100枚一束で取り寄せることになったのである。

related page(s) カトリック聖人伝

長崎の信徒発見と聖ピオ十世会2

今度はルルドでカトリック信徒を「発見」した話である。

ある司祭がルルドに巡礼中、聖ピオ十世会が関係するドミニコ会のシスターらに率いられた女子児童や女子生徒の一群を見かけ、その身なりがきちんとしていることに感銘を受けた。

後日、彼女らが聖堂の前で集合しているのを見かけ、中ではトリエント典礼の準備がされているのが分かると、急いでホテルに戻り、ビデオカメラを取ってきた。そして、ミサの様子を撮影しながら、生徒たちの敬虔な姿やラテン語の聖歌に、またしても感銘を受けたのだ。

その司祭が自身のブログに写真とビデオを載せている(Multicultural Youth Mass at Lourdes)ので、興味があったら訪問してみるといい。カトリック信徒を「発見」できるかも知れない。

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A FOX URL (03/18 01:17) 編集・削除

アヴェマリア!

現代のカトリック信徒発見のニュースはインターネットであっという間にひろがってゆくのですね。
ネットサーフィンでカトリック信徒を探していたらここにたどり着きました。(笑)

この記事とは関係ない記事のレスですが...
>スパゲティー大盛りでなぜいけないのか
30%増量であれば、たとえば”少なめ”とか、いわゆる”小ライス”は、30%減量と言ってどんな反応か試してみたくなりました。

ax (03/25 15:18) 編集・削除

カトリック信者は服装じゃないでしょうね。
身なりもちゃんとしていたほうがいいが、それだけではない。

ピオ十世会の支持者は、神への信仰に熱心なあまり、身近な人への人助けは軽視する人が多すぎます。
あの世がよければ、この世はどうでもいいのでしょうか。

でも、それは現代ではカルトの論理では?

管理人 (03/25 21:25) 編集・削除

>カトリック信者は服装じゃないでしょうね。
>身なりもちゃんとしていたほうがいいが、それだけではない。

司祭がカトリックらしさを感じた要素は3つ紹介しました。服装とミサ中の態度とラテン語の聖歌です。後者2つを見落とすほどの長文を書いたつもりはありません。どうして「それだけではない」と指摘するのでしょうか?

>ピオ十世会の支持者は、神への信仰に熱心なあまり、身近な人への人助けは軽視する人が多すぎます。

「多すぎます」とありますが、まずサンプルの総数は何人ですか?

そのうち、「身近な人への人助けは軽視する人」は何人ですか?

そのように判断した根拠は何ですか?人助けを軽視するような発言ですか?それとも、人助けの話題が少ないからですか?

私も人間なので、人の賞賛を求めて自分の善行を日記に書いてしまうことがあります。でも、単なる自慢話になってしまわないよう敢えて書かないこともあれば、忘れてしまって書かないこともあります。そのような事情があっても「軽視」と言われなければいけないのでしょうか?

>あの世がよければ、この世はどうでもいいのでしょうか。

>でも、それは現代ではカルトの論理では?

こちらが言ってもいないことを、こちらの主張として勝手にでっち上げないで下さい。

「いいのでしょうか」と質問しておきながら、その回答を得る前に、「いい」という前提で質問するのはおかしくないですか?

私だったら、「でも」の代わりに「もしそうだとしたら」を使いますけどね。

長崎の信徒発見と聖ピオ十世会

カトリック信徒を発見した話としては、今日3月17日に記念日を迎える長崎の信徒発見が有名であるが、これとは違った意味でカトリック信徒を「発見」した話を紹介したい。

ローマにいるある聖省の長官は、2000年の聖年の時に私たちの巡礼行列を見てこう叫びました。「やっぱり、彼らはカトリックだ。私たちは彼らのために何かしてやらなければならない」と。

これは聖ピオ十世会のフェレー司教がインタビューの中で語ったことである。あの年、世界中から押し寄せた巡礼団の中で、この巡礼行列が良い意味で異彩を放っていたということであろう。

そのときの写真は、聖ピオ十世会 大聖年ローマ巡礼の記念写真(その2 聖ペトロ大聖堂にて)で見ることができる。これを見る人もカトリック信徒を「発見」できるだろうか。

イギリスからの郵便物を待ちわびて

先月、聖週間用のグレゴリオ聖歌集をイギリスの古書店に注文した。だが、エアメールでのおよその所要日数をはるかに過ぎても届かないので、船便で送られた可能性も考えた。もしもそうだとすると、聖週間までに間に合うかどうかが心配であった。

仕方がないので、保険としてもう1冊をアメリカの古書店に注文することも検討した。こちらは郵送方法として航空便が指定できるが、先に頼んだ本の倍以上はする。なかなか決断ができずにいたところ、待ちに待った書籍小包が届いた。

見ると、その表には BY AIR MAIL という青地に白文字のシールが貼ってあった。最初からエアメールだったのだ。ならばもっと早く来てもらいたかった。しかし、聖週間に余裕を持って間に合ったことを多としよう。

百寿のお祝い

母方の祖母が今日で百歳の誕生日を迎えた。遠く北海道に住んでおり、会う機会も少なかったので、どこか他人事みたいな心持ちだが、やはり書かずにはいられない。

スパゲティー大盛りでなぜいけないのか

最近行ったファミリーレストランでのこと。

メニューを広げ、スパゲティーを候補の中に入れた。さらにページをめくり、また戻ってきたときに「増量」という文字に気が付いた。

プラス100円で麺を30%だったか多くしてくれると言うのだ。ならば、と注文を決めて、テーブルにあるボタンを押すと、ウェイトレスがやってきた。

しかしながら、生まれてこの方「増量」なんて言葉を注文の際に使った覚えはない。こんな慣れない言葉を使うのは抵抗があったので、敢えて「大盛り」と言ってみた。

すると、復唱こそしなかったが意味は通じたようで、後ほど注文通りの品が出てきた。ならば最初から一般的な言葉をメニューに使って欲しいものである。

「日本カトリック神学院の養成理念と指針」を読んでみた2

「日本カトリック神学院の養成理念と指針」の第一部はABCと分かれている。一番関心のあることは、その中の「C司祭の役務に向けて」に書かれていた。

この部分では、司祭の任務を、預言職、祭司職、王職と分けて説明している。そして、この順番がそのまま優先順位となっているのは、「1預言職に向けて」の冒頭にある一文からも明らかである。

司祭は何よりも、キリストに倣ってすべての人に神の福音を告げる者である。

ならば、司祭にとってミサ聖祭を捧げることは二番目かそこら、ということになろう。そのような考え方に基づいて養成された司祭が正平協の活動に勤しんだとして、何の不思議があろうか。

related page(s) カトリック典礼

「日本カトリック神学院の養成理念と指針」を読んでみた

カトリック中央協議会から、『キリシタン時代の司祭像に学ぶ』という小冊子が出ている。

それだけだったら見向きもしないが、「日本カトリック神学院の養成理念と指針」という文書が付いているということなので、興味を抱いた。だが、200円程度の小冊子を、送料と送金手数料をかけてまで取り寄せるものでもあるまい。

その後、何の気なしに四谷のドン・ボスコ書店を訪れたとき、この小冊子が平積みになっていたのを見つけ、めでたく手にいれることができた。今のところパラパラと目を通した程度だが、そのうち内容について書きたいと思っている。

related page(s) カトリック教会

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itan Eメール (08/31 20:00) 編集・削除

このようなものを続けることを禁じる

従わない場合、呪われよ