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保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実4

異端的神学者たちは、公会議で何をしたのだろうか。どのような影響を及ぼしたのだろうか。

それはとても気になることだが、まずは聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)をもう一度読んで、その面々の名前を復習しておこう。

そこに出てくる名前は、アンリ・ド・リュバック、イヴ・コンガール、ジョン・カートニー・マーレイ、カール・ラーナー、ドン・ランベール・ボドワン、そして(アンニバーレ・)ブニーニである。他にもまだ登場していない重要な名前があるが、ひとまずこれくらいにしておこう。

ともあれ、これらの名に対して何らかの警戒心を抱くようになったら、ポール・クレイマー神父著『悪魔の最後の戦い』(The Devil's Final Battle)より、第6章 その動機が定着するを読み始めよう。神学について何一つ知らなくても、何か拙いことが起きたということくらいは感じられるだろう。

ノヴスオルド・ミサで聖変化は起きるのか

カトリック信徒ならば、有効な聖変化を起こすためには、正しい質料、正しい形相、正しい意向が必要なことはご存じだと思う。

トリエント・ミサでは、最後の晩餐の叙述を一度止め、前屈みになって、ホスチアやカリスを見つめながら、一語一語ゆっくりと聖変化の言葉を唱える。Tridentine Votive Mass of the Blessed Virgin Mary (4/6) という動画を観てもらえば、司祭が聖変化を起こす意向を持っていることを、傍目にも判るであろう。

ところが、新しいミサ(ノヴスオルド・ミサ)においては、司祭が聖変化を起こすという意向を持っているのかどうか、疑わしく思えるときがある。

なぜなら、最後の晩餐の叙述の中で、聖変化の言葉はあっさりと読み上げられるだけだからである。そのことは、茨木教会での英隆一郎神父さんの黙想会という動画で確かめることができる。

最後にこの司祭の名誉のために言っておくが、この動画は悪い例として取り上げたのではない。むしろ、ミサ典書の通り端正に捧げられていると思う。ただ、説明のためにちょうど必要な場面だけが写っていたので使わせてもらったのである。誤解無きよう。

正平協だけを叩いてみても

今日はカトリック司教団だか正平協だかを批判する講演会が東京都内であったらしい。信徒ではない知人が知らせてくれたのだが、出かけてみようという気にはなれなかった。

そもそも、この動きがどれだけ盛り上がっても、正平協の活動が大人しくなるというくらいの成果しか得ることができないだろう。そして、典礼や要理教育の正常化は、また別の課題として取り組まなければならないのである。

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保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実3

なぜ異端的神学者たちが公会議の主導権を握るに至ったか。彼ら自身の多数派工作もあったが、何より時の教皇ヨハネ23世がそれを許したからである。その経緯は、聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.4. 最初の小競り合いでも読むことができる。

他にも、後任者の教皇パウロ6世が選んだ枢機卿議長4人のうち3人がリベラル派であった(マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会の中への侵入の略史 (その3)参照)ということだけでも、不安を抱かせるに足るだろう。

このように、第二ヴァティカン公会議は「保革逆転」した状態で行われていたのである。このことを多くの自称保守派信徒が知らないのは残念である。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実2

これから引用する話を知っているだろうか。もし初めて知ったならどう思うだろうか。

公会議に参加した人々の中で一番重要な人々名前は、公会議の開かれる約十年前に異端説などで断罪された事がある司祭及び高位聖職者たちの名前なのです。

要するに、第二ヴァティカン公会議の主導権は、異端的な司教や神学者たちが握っていた、ということである。彼らの経歴については、小野田神父様のブログの聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)という記事に中で簡潔に述べられている。

この神学者たちの「前科」を知ってもなお、「ブラックリストに加えるほどではない」と言うような、自称保守派の信徒はいるのだろうか。この続きはまた後ほど書くとしよう。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実

「保守派を自称」といっても、厳密に言えば自称しているかどうかをいちいち確認したわけではないし、他に正統派とか聖座忠誠派などという表現もあるのだが、およそそのようなアイデンティティーを持つ一群のカトリック信徒が存在するということは誰もが認めるであろう。

このような信徒たちは、かなりの程度カトリックの感覚を持ち合わせており、何かおかしなことがあれば、相手が司祭だろうと司教だろうと果敢に批判してみせる。それはそれで頼もしいことである。

だが、できうるならば、その批判の矛先を向けてほしい一連の神学者たちがいる。本田哲郎神父やホアン・マシア神父を断罪するくらいならば、この神学者たちをブラックリストに加えることは、それほど難しいことではないはずだ。

と、前置きだけで長くなってしまったので、この続きは後で書くことにしよう。

第二ヴァティカン公会議後の混乱はいつまで続くのか

次の文章は、ある司祭が第二ヴァティカン公会議後のカトリック教会について書いたものである。

第ニバチカン公会議は、教会に大きな混乱をもたらした。典礼は母国語化されてわかり易くなったが、もはや美しいグレゴリアン聖歌を聞くことはできない。ミサでは何が起こるかわからない。司祭・修道者の服装は私服化し見分けがつかない。かつてはどの司祭も同じ公教要理を教えてくれたが、今は司祭ごとに意見が違う。教会の規律は緩み、告白の数は激減した。信徒は自分たちこそ教会の主体であると言われるが、むしろ戸惑いを感じて、かえって無気力になる。教会自体がその荘厳さと安定を失い、かつての魅力を持っていない。伝統的キリスト教国ではいわゆる「教会を出る」という現象が相次いでいる。今日の教会にこうした一種の沈滞ムードが漂っていることは否めない。

こういうものを私が引用すると、聖ピオ十世会などの伝統派からの意見に違いない、と思う人もいるだろうが、実はそうではない。これを書いたのは、第二ヴァティカン公会議をこよなく愛する司祭である。そのような立場からでさえ、公会議とその後の混乱との因果関係を認めざるを得ないことを告白しているのだ。

もっとも、この司祭にとっては、このような混乱も過渡期の現象にすぎないらしく、それほど深刻に感じているようには思えなかった。この文章が書かれてから約20年くらい経った今も混乱は続いているように思うが、収束の見通しについて訊いてみたいものだ。

郵便局の方から来たメール

一週間くらい前のこと、United Parcel Service of America (UPS) とかいうところからメールが届いた。

本文には受取人の住所が間違っているから配達できなかった云々とあり、ZIPファイルが添付されていた。それを解凍してみると中身はEXEファイルで、ウィルスの疑いが濃厚である。

調べてみると、FedEx を装ったものなどを含め、この手のメールは以前からあるようだ。誰もが受け取るメールではないかも知れないが、注意はしておきたい。

聖金曜日にインターネットを利用することについて

昨日は聖金曜日であった。伝統派カトリックサイト Angelqueen のフォーラムは、この日には完全停止する。

時差の関係で、この日記を書いている時点ではまだ停止しているところを見ることができる。さっき見てきて、昨日のインターネット利用は、もっと控え目にできたのではないかと反省している。

ちなみに、日記を昨日書かなかったのは、自粛というようなそんな立派な理由からではない。念のため。

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