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教皇ヨハネ・パウロ2世の「意志」とは何だったのか

マルセル・ルフェーブル大司教が4名の司教聖別をエコンの神学校で行ってから、今日で22年となる。

この行為を「教皇の意志に反して行った」と非難する人は少なくない。もちろん事実としてはその通りで異論はない。

だが、その「意志」の内容については、どのようなものを想定しているのだろうか。

司教聖別を許可しないことにより伝統的な司祭職とミサ聖祭を断絶させようというのが前教皇ヨハネ・パウロ2世の意向であった、と理解していいのだろうか。万が一そうだとしたら、随分と不名誉な話に思われる。

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コボちゃんに妹が誕生したのを歓迎する

聞くところによると、読売新聞朝刊の四コマ漫画「コボちゃん」が連載1万回を数え、この機に主人公の妹を誕生させたそうである。

この知らせを聞いて、個人的にはとても嬉しく思っている。といっても、別に感情移入をしていたわけではなく、常々感じていた不満が一つ解消されたからである。

その不満とは、この家庭にはもう一人子どもがいてもいいのではないか、ということである。それは、産経新聞に連載されている「ひなちゃんの日常」にも感じることだ。

少子化対策のためにマンガがあるわけではない。だが、毎日多くの国民の目に触れるのだから、積極的に新しい家族を誕生させ、その喜びを描くことは大きな意義があると思われる。

小池百合子は保守派の集会にそぐわない2

小池百合子議員のことは先日一通り書いたつもりであったのだが、自民党の新しいポスターの宣伝に登場しているのを見て、もう一言付け加えたくなった(それにしても「いちばん」とかいうキャッチフレーズの割には、手の挙げ方が中途半端だ)。

あの日は多くの自民党議員が登壇していたが、ほとんどが創世日本(旧真・保守政策研究会)の一員として挨拶をしていた。今回改選の山谷えりこ議員ですら、政党色はそれほど出ていなかった。

ところが、小池議員はストレートに自民党への支援を呼びかけたのである。党の広報本部長という立場が勝ったのか、それとも保守勢力の結集には興味がないのか、いずれにしても浮いているように思われた。

小池百合子は保守派の集会にそぐわない

今日の夕方から、砂防会館別館で開かれた「6.9『救国』全国国民総決起集会」に顔を出してきた。

多くの保守派議員や文化人が次々と挨拶をしていったので、教えられること、考えさせられることが無数にあった。それらを強引に要約するならば、菅政権はかつて無いほどの極左政権であり、日本人にとって大変危険なので、何が何でもこれを倒さねばならない、ということになろうか。

さて、この集会には自民党の小池百合子議員が来ていたが、郵政選挙の際に「刺客」「くの一」などとおだてられ、平沼・衛藤・古屋・城内ら保守派議員の追い落としに嬉々として取り組んだことは、もう忘れてしまったのだろうか。

イエジ・ポピエウシュコ神父の列福を祝したかったが

1984年に共産主義下のポーランドで秘密警察によって暗殺されたイエジ・ポピエウシュコ神父の列福式が、今日ワルシャワで行われるというニュースが最近入っていた。

だが、列福式が行われたというニュースはまだ入っていない。時差と言語のギャップを考慮に入れても、日本時間の24時までには何か一報が入るのではないかと思っていたので、少し残念である。

司祭の手と御聖体とについて

御聖体の祝日そのものは既に終わっているものの、今日祝ったところも多々あったはずなのでまだ話題にして良かろうと思う。といっても、御聖体というよりも、御聖体に触れる司祭の手の方が今回の話の中心である。

叙階式に参列して注意深く観察したり、ビデオでその様子を見たりしたことがあるならば知っているであろうが、司教は叙階を受ける者の手に聖香油を塗る。これは、聖ピオ十世会のエコン神学校で行われた叙階式を撮影した動画 Priests for Tomorrow - Part 6 の4分目くらいから確認できる。

叙階式が終わると信徒は新しい司祭からそれぞれ祝福を受ける。ところによっては司祭の両手にキスをすることもある。これはエコン神学校でも行われていて、Priests for Tomorrow - Part 7 の4分目前後でその様子を観ることができる。

この他にも、侍者が司祭とものの受け渡しをするとき、正式には司祭の手にキスをすることになっているなど、特別な扱いである。また、聖フランシスコ・ザビエルの遺体はあちこち切り刻まれて聖遺物となっているが、中でもその右腕には特別な思いが寄せられている。

このように司祭の手というのは特別なものであるが、それでもトリエント典礼ではミサ中に指を洗浄するし、聖変化の後は親指と人差し指が御聖体以外の何物にも触れないように注意しているのである。

しかるにノヴスオルド・ミサでは、略式と呼ぶのもはばかられるほどに司祭の所作が簡略化されている。また、手で受ける御聖体拝領や聖体奉仕者の導入によって、一般信徒が御聖体に手で触れるのは普通のことになっている。恐ろしいことだ。

天安門事件から21年目のこの日に思うこと

今日で天安門事件から21年目となる。自国民に銃を向けた中国共産党政府が今も存在し、そのような政府との友好を唱える日本の国会議員が存在することに、いつもいつもいつもいつも違和感を覚える。

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本来の司祭職に立ち戻れとは言うものの

気が付けばもう司祭年も終わりに近づいている。昨今の司祭の有り様に心を痛め、この機会に本来の司祭職に立ち戻ってほしいと期待する信徒もいたことだろう。

しかし、本来の司祭職に立ち戻るためには、その何たるかを神学校で叩き込まれたという事実がなくてはならぬ。果たしてこの事実は確認できているのだろうか。

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彦左衛門 Eメール (10/09 19:34) 編集・削除

  >しかし、本来の司祭職に立ち戻るためには、その何たるかを神学校で叩き込まれたという事実がなくてはならぬ。果たしてこの事実は確認できているのだろうか。

  彦左衛門曰く:

  現在の、東京神学校は、社会運動の基地のようになっていると、そこで学んだ神学生の親父さんから聞いたことがある。