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召命は「われらのうちより」

若いうちは、本気とも冗談ともつかない調子で「司祭になったら」と言われたものである。実年齢よりも若く見える日本人の特権で、それは比較的最近まで続いたのだが、さすがに今となっては限界点を越えたようである。

では、もう召命は他人事なのか、と言えば、断じてそうではないと思う。ただし、思い出のカード上には上があるで触れたような、熟年召命の話ではない。

たとえ歳を取っても結婚しても、「願わくはわれらのうちより、司祭または修道者となりて働く多くの人々を選びて、主の公教会に遣わし給わんことを」(御召を求むる祈)と祈るからには、自らの所属する共同体を召命の温床とすべく、何らかの注意を払うべきである。

具体的には、若い信徒たちがラテン語やグレゴリオ聖歌や聖務日課や公教要理に馴染んでいるかどうか、特に男子なら侍者の務めや練習に励んでいるかどうか、よくよく関心を持っておく必要があるだろう。

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ワールド・ユース・デイには危険が潜んでいる

来年、スペインのマドリードでワールド・ユース・デイが開催されるが、そのプロモーションビデオを YouTube で見つけてしまった。だが、そのリンクをここで紹介しようとは思わない。

というのも、このイベントについては、もともとあまりいい話は聞いていないからである。参加してカトリック信仰を深めるどころか、若い男女が罪を犯して帰ってくるという噂も(真偽はともかく)あったほどだ。

噂よりも証拠・証言があれば確かなことが判るが、このワールド・ユース・デイがカナダのトロントで行われたときの様子を映像で伝えるDVDがある。

これは Catholic Family News のジョン・ヴェナリ氏が取材に行き、撮影したビデオを編集したものだが、その抜粋(Excepts: World Youth Day: Catholicism or Corruption?)だけでもその酷さが伝わってくる。

この動画を見て呆れてしまった人も、以前書いた伝統派カトリック学校の記事(長崎の信徒発見と聖ピオ十世会2)を読んで、いくらか希望を見つけてくれたら、と思う。

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金賢姫は「元工作員」か「元死刑囚」か

大韓航空機爆破事件実行犯の一人である金賢姫が来日した。この女性に対して、国内では「元工作員」と「元死刑囚」と二つの肩書きが使われている。

どちらも間違いというわけではないので、よく考えずに思いついた方を使う人もいるだろう。実際、私もそうしたことがある。

ただ、外国で行われた裁判の判決を受けて、そのまま日本でも「元死刑囚」と呼ぶのは問題があるのではなかろうか。少し気をつけておきたいものだ。

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聖ピオ十世会総本部を紹介するビデオを鑑賞して

スイス・メンツィンゲンにある聖ピオ十世会の総本部とその生活を紹介する動画(A guided tour of the General House)が Gloria.tv にアップロードされていたので、早速観てみた。

総本部というとその機能ばかり考えてしまうが、当然ながらそこにも修道生活があるわけで、その一端を窺うことができるのは有意義だった。

特に印象的だったのは、フェレー総長たちの身の回りの世話をする献身的なシスターたちの姿である。同時に、オーストラリアの神学校で洗濯物を干しながら、ここにシスターがいれば、と冗談ぽく嘆いていた司祭のことを思い出した。

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司祭はいつどこでどのように「転向」するのか

ふと思うのだが、いったい司祭は、何をきっかけにして、天使祝詞の口語訳に問題を感じたり、グレゴリオ聖歌を歌うようになったり、跪きの意義を見出したり、煉獄や地獄について説教しなければと思うようになったりするようになるのだろうか。

例えば、信徒が司祭のもとに行って、教皇の回勅なりトマス・アクィナスなりカテキズムなりの一節を指差して、これこれが正しいのではないかと問いただしたらどうだろうか。その司祭は上手く返答することができないかも知れないが、きっと全面的な同意もしないだろう。

おそらく、司祭が自発的に何かを変えようとすることはまずない。従って、何か強制的な力が働かなくてはならない。

可能性があるとしたら、将来、聖ピオ十世会のミサに多くの信徒が流れて地元司教の脅威となり、同じ日にトリエント・ミサをぶつけて信徒を奪回すべく、司祭を指名してその捧げ方を学ばせるときぐらいだ。その司祭に限っては、伝統的ミサと調和する信仰を期待できるようになるだろう。