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ノヴスオルド・ミサはトリエント・ミサではない

トリエント・ミサに与るカトリック信徒のうち何割かは、ハンドミサルという携行用のミサ典書を持参する。

複数の出版社から出ているので、いろいろと種類があるのは当然のこととして、興味深いことが一つある。それは、1962年版はもちろんのこと、1940年代あるいはもっと古いミサ典書まで、どれも「現役」であるということだ。

というのは、この間に祝日の追加や朗読箇所の変更や典文の一部改訂はあったものの、それは小さな変更にすぎないため、結構古いミサルでもかなりの程度使えてしまうからである。

このように、トリエント・ミサは改訂されても依然としてトリエント・ミサ。ミサルもほぼそのまま使える。そういう時代がずっと続いていたのだ。

ところが、第二ヴァティカン公会議後、トリエント・ミサの改訂版ではないミサが造られた。ノヴスオルド・ミサである。そのことがどれだけ異例か理解できるだろうか。

新しい信徒にも古い公教要理書のススメ

渡部昇一氏の『英文法を知ってますか』という本に、次のようなエピソードが紹介されている。

早稲田大学の上田稔先生は戦後の比較的早い時期にイギリスとアメリカで学ばれ、博士号をとられた方である。アメリカの大学におられた頃、教会スラブ語のクラースに出たところ、その担当教授は新言語学の文法書を使ったのだがなかなかわかりにくい。上田先生はその前にイギリスにいた時に、伝統文法による教会スラブ語の文法書を持っていた。それだとわかり易い。クラースの者がそれを見て、「こっちの方がわかるじゃないか」ということになった。その意見を聞いた教授は、「本当は私もその方が便利なんだ」ということで、古い教科書を使うことになったそうである。

この話は、かなり前から繰り返し読んでいたはずなのだが、最近になって、自分の公教要理の体験と重なり合うことに気が付いた。

思えば、求道者だったころ、テキストは散文で書かれた要理書であった。その頃に「昔の問答形式の要理は無味乾燥だから」と聞かされたのが印象に残って、それから長いことそういうものかと思いこんでいた。

そして、洗礼を受けたずっと後になって、興味本位で古い公教要理を買い求めると、簡潔で分かり易いことに驚き、なぜこれを使わないのかと不思議に思ったものである。

まもなく受洗予定の求道者も、すでに洗礼を受けた信徒でも、古い公教要理を知らないならば、いつか借りるか手に入れるかして読んでみて欲しい。おそらくは同じような体験をすることだろう。

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アメリカの聖トマス・アクィナス神学校が窮地に

アメリカ・ミネソタ州には聖トマス・アクィナス神学校 St. Thomas Aquinas Seminary という聖ピオ十世会の神学校がある。同修道会はもとより、他の伝統派修道会からの神学生を受け入れ、これまで多数の司祭を輩出してきた。

だが、ここに来て深刻な問題が生じている。余りにも足りないのである。神学生の寝泊まりする部屋が。

近年増え続けている召命に対して、おそらくは相部屋などの措置でしのいできたものと思うが、もはや限界に達したようである。

増築か分校かを迫られた神学校は、ついに WILL YOU HELP OUR SEMINARY? という案内を信徒宛に出して、その反応からどれくらいの援助が得られそうかを調べた上で結論を出す模様だ。

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こんなところに侍者がいたとは

注文しておいた中古の文庫本が届いたので、早速興味のあるところを拾い読みし始めた。

この文庫本には紙のしおりが挟まっていた。とても薄いので読書の邪魔にはほとんどならず、ある程度読み進めたところでやっと挟む位置を変えようかという気になったほどである。

そのとき、ふとそのしおりを見ると、どこかで見たような格好をした男の挿し絵があった。

スータンにスルプリを着用しているが、ローマンカラーはなく、顔がどことなく幼い。これは少年の侍者に違いない。思わぬ収穫だ。

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