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「公会議の精神をねじ曲げた者が悪い!物語」はもう捨てよ

第二ヴァティカン公会議後のカトリック教会の混乱について、公会議の精神を標榜して好き勝手なことをした者たちが悪いということにして、本来の「公会議の精神」に立ち返るべきだ、という議論があるが、果たしていかがなものであろうか。

そこで、このことを考えるために資料を用意した。次の年表は、聖ピオ十世司祭兄弟会関係の年表から抜粋して若干の編集を加えたものである。

1945年 ローマのアンジェリクム教皇庁立大学で、レジナルド師、ガリグ・ラグランジュ師、ラブルデット師などが、イエズス会士のダニエルー師、ド・リュバック師らの新しい神学に対抗して伝統的な神学を擁護する。(-1950年)
1950年 回勅『フマニ・ジェネリス』が発表される。ド・リュバック師などを暗に排斥する。聖庁はコンガール師の著作を危険視する。
1954年 聖庁はシュニュー師が教えることを禁止する。
1952年 2月以降、コンガール師のすべての著作はローマの検閲を受けなければならなくなる。ド・リュバック師の全著作もローマの検閲命令を受ける。
1954年 聖庁はカール・ラーナー師にミサの共同司式について沈黙を命ずる。
1962年 6月7日、聖庁はラーナー師の全著作を検閲することを決定。

ここに挙げられただけでも、何人ものリベラル神学者たちが、教会から異端の嫌疑をかけられ、制裁を受けていたことが分かるであろう。

しかし、これらの「前科者」または「容疑者」たちは、あろうことか公会議の顧問として迎えられ、その期間中に多大な影響を及ぼした。公会議の精神とは、彼らの精神と言っても過言ではない。いつまでこんなものを擁護し続けるつもりなのか。

カトリック教会に蔓延する創価学会的メンタリティ

カトリックから見て仏教というのは異教でしかないので、どの宗派が正しいとかいかにあるべきかとか、そのようなことは本来ならばどうでもいいはずである。

ところが、ある人たちの存在を知って、どうしても興味を抱かずにはいられなかった。きっかけは、世田谷広宣部N君徹底破折 13 本尊義・変節したのはまさに創価という動画である。

彼らの主張は、最初は正しかった創価学会が第三代会長のころから変節してしまったということだ。もちろん、その三代目に心酔する学会員や昔を知らない学会員からは睨まれ非難されている。

この構図は、カトリック教会が第二ヴァティカン公会議で変節したと主張する聖ピオ十世会が、公会議を支持する信徒や公会議前を知らない信徒から睨まれ非難されるのと、結構似ているのではあるまいか。

召命が減ったのを現代社会のせいにしてもいいけれど

カトリック教会の召命は、世界のどこかでは増えているらしいが、先進国では概ね減少傾向にあるようだ。

その原因の一つとして現代社会のあり方を挙げるのは、それほど間違ってはいないだろう。世俗化やら物質文明やら、思い当たることはいくつもある。

しかし、そのような現代社会に対して、「開かれた教会」などというスローガンで迎合したことへの反省はなくてよいのだろうか。

反正平協のカトリック信徒はどこまで反共か

第二ヴァティカン公会議は、ロシア革命後初めての公会議であるばかりでなく、東欧や東アジアに共産主義国家が次々と誕生して間もない時期に行われた。いわゆる「冷戦」の時代である。

このような時代背景を考えれば、共産主義の問題を話し合い、これを断罪するというのは、この公会議が開かれる第一の理由であってもいいくらいのものだ。実際に、司教たちから共産主義を排斥するための文書を起草するよう求める声が挙がり、数百名分の署名を提出している。

しかし、この署名は無視され、無かったことにされた。どのような勢力が公会議をリードしていたかが垣間見える話ではないか。詳しい顛末はルフェーブル大司教の伝記(聖ピオ十世会創立者の伝記 12.3.7.共産主義を排斥しなければならないという要求)を参照されたい。

この記事が反正平協のカトリック信徒の目に触れるのは何ヶ月後か何年後か知らないが、この事実を知ってもなお第二ヴァティカン公会議に疑念を抱かないとすれば、反正平協を気取ってはいてもさほど反共ではないのだろう。

The Rhine flows into the Tiber を知る人知らぬ人

近頃、レヴェイダ枢機卿教理省長官の後任として、ミュラー司教が就任するというニュースがあった。

ところがこの人物については、かつて著書の中で聖変化を否定したとか、聖母マリアの終生童貞を否定したとか、解放の神学の擁護者であるとか、よからぬ噂が入ってくる。

そのため、複数のカトリック信徒が The Rhine Flows into the Tiber という本のことを思い起こしていた。

彼らがこの書名を引いて言わんとすることは何か。それは、「またドイツからローマにリベラル神学者が流れてきてしまった」ということである。

私は読んだことがないので人にも読めとは勧めないが、ドイツの進歩派神学者たちが第二ヴァティカン公会議に多大な影響を与えたとするこの書物の存在くらいは知っておいてよい。

慶応義塾大学で「異端的」神学講座を開催中

カトリック東京大司教区の情報コーナーというページでは、各種の講座・研修会が案内されている。

その中に、「現代カトリック神学研究 ~時代と格闘する神学者たちの思索への巡礼と対話~」と題する連続講座があり、慶応義塾大学で月に1度行われている。

さて、その講座で取り上げられている「神学者たち」だが、かなり問題があると言わざるを得ない。というのも、第ニヴァティカン公会議の前までは異端の嫌疑をかけられ、教会から大なり小なり制裁を受けていた者が多数含まれているからである。

そのうち3名(イヴ・コンガール、アンリ・ド・リュバック、カール・ラーナー)の経歴については、聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)で述べられている。

それを読めば、なぜ「異端的神学講座」という強烈なタイトルをつけたのかも分かることだろう。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実4

異端的神学者たちは、公会議で何をしたのだろうか。どのような影響を及ぼしたのだろうか。

それはとても気になることだが、まずは聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)をもう一度読んで、その面々の名前を復習しておこう。

そこに出てくる名前は、アンリ・ド・リュバック、イヴ・コンガール、ジョン・カートニー・マーレイ、カール・ラーナー、ドン・ランベール・ボドワン、そして(アンニバーレ・)ブニーニである。他にもまだ登場していない重要な名前があるが、ひとまずこれくらいにしておこう。

ともあれ、これらの名に対して何らかの警戒心を抱くようになったら、ポール・クレイマー神父著『悪魔の最後の戦い』(The Devil's Final Battle)より、第6章 その動機が定着するを読み始めよう。神学について何一つ知らなくても、何か拙いことが起きたということくらいは感じられるだろう。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実3

なぜ異端的神学者たちが公会議の主導権を握るに至ったか。彼ら自身の多数派工作もあったが、何より時の教皇ヨハネ23世がそれを許したからである。その経緯は、聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.4. 最初の小競り合いでも読むことができる。

他にも、後任者の教皇パウロ6世が選んだ枢機卿議長4人のうち3人がリベラル派であった(マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会の中への侵入の略史 (その3)参照)ということだけでも、不安を抱かせるに足るだろう。

このように、第二ヴァティカン公会議は「保革逆転」した状態で行われていたのである。このことを多くの自称保守派信徒が知らないのは残念である。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実2

これから引用する話を知っているだろうか。もし初めて知ったならどう思うだろうか。

公会議に参加した人々の中で一番重要な人々名前は、公会議の開かれる約十年前に異端説などで断罪された事がある司祭及び高位聖職者たちの名前なのです。

要するに、第二ヴァティカン公会議の主導権は、異端的な司教や神学者たちが握っていた、ということである。彼らの経歴については、小野田神父様のブログの聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)という記事に中で簡潔に述べられている。

この神学者たちの「前科」を知ってもなお、「ブラックリストに加えるほどではない」と言うような、自称保守派の信徒はいるのだろうか。この続きはまた後ほど書くとしよう。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実

「保守派を自称」といっても、厳密に言えば自称しているかどうかをいちいち確認したわけではないし、他に正統派とか聖座忠誠派などという表現もあるのだが、およそそのようなアイデンティティーを持つ一群のカトリック信徒が存在するということは誰もが認めるであろう。

このような信徒たちは、かなりの程度カトリックの感覚を持ち合わせており、何かおかしなことがあれば、相手が司祭だろうと司教だろうと果敢に批判してみせる。それはそれで頼もしいことである。

だが、できうるならば、その批判の矛先を向けてほしい一連の神学者たちがいる。本田哲郎神父やホアン・マシア神父を断罪するくらいならば、この神学者たちをブラックリストに加えることは、それほど難しいことではないはずだ。

と、前置きだけで長くなってしまったので、この続きは後で書くことにしよう。

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