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大斎の日の神学校での食事風景

1962年のミサ典書による典礼暦によれば、今週の水曜・金曜・土曜は四季の斎日である。聖ピオ十世会では、修道会の方針として四季の斎日には大斎を守ることにしている。

これは一般信徒にも勧められているものの、義務ではない。それでも、聖ピオ十世会の司祭らと共に行動しているときは、お付き合いすることになってしまうのだが。

さて、かつて聖十字架神学校にゲストとして滞在したときにも大斎があった。朝ミサの後、神学生たちは食堂の自分の席でそれぞれ祈りを唱え、立ったまま無言で朝食を取る。紅茶だけであったり、食べても食パン1枚くらい。食べ終えるとまた祈り、使った食器を持って一人また一人と去っていった。その雰囲気は前日までとはまるで異なっており、今でも強烈に印象に残っている。

この他にも伝統的神学校生活の一端を垣間見たいなら、Holy Cross Seminary にアクセスするとよい。他にも St. Thomas Aquinas Seminary がある。

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インド人司祭からのメール

昨年末、聖ピオ十世会のある司祭に、叙階1周年をお祝いするメールを送っておいたら、今日になって返事が届いた。

彼は逃げたインド人神学生たちの末路という記事中にある、聖十字架神学校でめでたく叙階された方のインド人司祭である。

現在フィリピンに常駐しているとのことなので、いつ再会できるか分からないが、できるならいつの日か日本を訪問してミサを捧げてもらいたいものである。

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聖十字架神学校での司祭叙階式

先週の19日、オーストラリアの聖十字架神学校で司祭叙階式が行われ、2人の新しい司祭が誕生した。

今年の叙階式は例年より1週間早く、そのために参加を断念せざるを得なかった。最初は何故こんな日にと思っていたが、『毎日のミサ典書』によれば、昔のカトリック教会では叙階式はこの日(待降節の四季の土曜日)に行うものだったらしい。

行けなかったのは残念だったが、今日になってウェブサイトが更新されているのを見つけ、そのページにある何点かの画像を見て多少の慰めとした。いつか日本を訪れてミサ聖祭を捧げてくれたら、と切に願う。

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ミサ聖祭のチカラ

神学校の最大のイベントが司祭叙階式であることに異論はないだろう。オーストラリアにある聖ピオ十世会の聖十字架神学校でも例外ではない。全豪だけでなくニュージーランドからも大勢の信徒が集まるため、屋外に大きなテントを張り、祭壇を設置し、椅子を並べて、大がかりで行われる。

もちろん司祭たちも、新しい司祭の誕生を祝うため駆けつけてくる。それぞれが叙階式の前後に自らミサを捧げるので、校内のあちこちにある大小の聖堂全てが使われる。掲示板には時間割表が貼られ、司祭が名前を書き込むと神学生もまた名前を書き込んで侍者を申し出る、といった具合だ。

「これはすごいパワーだよ。」

ある司祭がその時間割を指さし、私にそう言った。そのときまでは沢山のミサがあるくらいにしか思っていなかったが、言われてみれば確かにその通りで、捧げられる犠牲の総和を考えると、さすがに大変な瞬間に立ち会っている思いがした。

一方で、多くの司祭が集まって一つのミサを捧げる共同司式は、一体どれだけの力を持ちうるのだろうか。それぞれの共同司式司祭たちは、その前後に自分でミサを捧げているのであろうか。そのようなことを疑問に思う今日この頃である。

上には上がある

オーストラリアの聖十字架神学校を初めて訪問したときのことである。何日目だったか、スータンを着た白髪の男が私に近づいて、自己紹介をし、そして尋ねた。

「司祭にはならないの?」

私は司祭になろうとも、なりたいとも、なれるとも思ったことがない。神学校には来ているが、クリスマスと叙階式のためにゲストとして滞在しているだけである。そこは適当に言い逃れようとして、「もう歳だから」と答えた。これでことは済むはずだった。

しかし、その時、予期せぬリアクションが返ってきた。

「おいおい、そんなこと言ったら僕はどうなるんだい?」

年齢や風貌から考えて、私は彼のことをてっきり司祭だと思っていたが、実は違っていた。以前にも紹介したが、年齢制限を越えていながら特例で入学を認められた神学生(副助祭)だったのだ。齢は言い訳にはならなかったのである。

このエピソードは神学校の司祭たちに伝わり、今でもちょっとした笑い話として語り継がれているらしい。

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逃げたインド人神学生たちの末路

とあるブログを訪問して、ある記事にショックを受けた。私の知る3人のインド人神学生たちが未だに叙階されていない、とあったからである。

彼らはもともとインドの神学校に所属する神学生だったが、あまりにもリベラルな教えに嫌気がさして、後に聖ピオ十世会の聖十字架神学校(オーストラリア)へ入学した。そのとき、最初の過程からやり直すことについて、「誤謬を何年も学ばされたので、真理を6年間学ぶことは厭わない」と答えた。ここまではいい話である。

だが数年後、4人のうち3人が休暇の間にインドへ帰り、そのまま戻ってこなかった。実は、密かに地元司教と連絡を取っていて、元の神学校への受け入れの約束ができていたらしい。理由は定かには知らないが、その方が早く司祭になれるからではないかと推測している。聖十字架神学校側では、無断で去ったことよりも、偽りの誓願の更新をしたことを問題視している。

それから3年、残る1人は聖十字架神学校で司祭に叙階された。逃げた3人も司祭になっている頃なのではないかと思っていた。それがこの有様である。本当にやり切れない思いだ。

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思い出のカード

聖ピオ十世会の神学校では、司祭が叙階されるとき、信徒に配るための記念カードを印刷する(余所でも同じかも知れないが、私は知らない)。表に御絵などが、裏に叙階の記録があり、さらに新司祭の好きな聖句などが添えられている。私の手元には7名分のカードがあるのだが、とりわけ印象的だったのは、とある年輩の司祭のものである。

彼はかつて司祭を目指していたものの、近代主義に染まった神学校に馴染めず、一度はこの道を断念した。しかし、長い年月ののちに特例で聖ピオ十世会の神学校に入学し、晴れて司祭に叙階されたのである。

その記念のカードに書かれた聖句は、マテオによる福音書第20章6節と7節から切り取られたもので、彼の境遇を非常によく表していた。

五時ごろ、主人は「お前たちも私のぶどう畑に行け」と言った。

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神学校から戻る

昨年末にオーストラリアの聖十字架神学校を訪問し、3週間の滞在ののち、数日前に日本に戻ってきた。3度目の滞在ということもあって顔なじみも多く、また新たに知り合った人たちとも楽しく過ごすことができた。クリスマスのことや叙階式のことなど、いくつか紹介したいこともあるが、とりあえずは帰国の報告まで。

コメント一覧

THERESIA Eメール (04/01 21:50) 編集・削除

はじめまして

カトリック関係のブログを探していて、こちらにたどり着きました。実は私の知人がそちらの神学校にいるはずなのです。彼とはフィリピンの神学校を出てオーストラリアに行くとの連絡を受けて以後、音信不通になっています。岡村という日本人ですが、滞在中にお見掛けになりませんでしたでしょうか?

管理人 (04/01 23:30) 編集・削除

小さな神学校ですから、見かけたどころではありません。私の滞在中、多くの時間を一緒に過ごしていました。

神学生のインターネット利用には制限がありますので、連絡を取ることをご希望でしたら手紙をお勧めします。

司祭叙階式の写真

少し古い話だが、昨年12月にオーストラリアの聖十字架神学校で叙階式が行われた。その報告自体はすでにサイトに掲載されているのものの、当日の写真の方はまだである。今回は参加することができなかったので、余計に様子が知りたい。

それで更新を待っていたところ、DICIというサイトに掲載されているのを発見した。拡大画像を見るためにいちいちサムネイルをクリックしなければならなかったけれども、数々の懐かしい顔を見ることができた。

この叙階式では1人の司祭叙階があった他に、3人の副助祭が助祭となった。今年の末、彼らが司祭に叙階されるときは、できうるならば行って祝福したいと思っている。一方で、新司祭からの初祝福を受けてくることにもなるのだが。

ただ、再会したときには、これまでのようにファーストネームで呼ぶという訳にはいかない。叙階式の前までは Reverend、後からは Father と呼びかけなければならない。ぎこちなくなりそうだが、その戸惑いもまた喜ばしいものだろう。

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