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Kの悲劇

カトリック信徒なら、ミサ通常文の Kyrie が実はラテン語ではなくてギリシア語であることはご存じであろう。

それは、ラテン語のミサにおいてすら訳されることなかった、元の言葉が尊重された、ということでもある。

ところが、国語化されたミサ典書にはこの態度は見られず、どこの言語でもギリシア語は保持されていないようだ。

しかも、Kyrie eleison. Christe eleison. Kyrie eleison. は、それぞれ3回ずつ唱えられていたのに、新しいミサでは2度ずつに削られている。

もしかすると信仰の内容を変えるほどの違いではないのかも知れない。しかし、何か意図があったのではないかと思わずにはいられない。

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「超伝統主義」の「超」とは一体何か

ロイターという通信社は聖ピオ十世会に対して、枕詞のように ultra-traditionalist すなわち「超伝統主義」というレッテルを貼る。

こんな書き方をすれば、よく知りもしない読者が、「きっと極端な方向に走っていった修道会だろう」と思い込んでも不思議はない。

しかしながら、聖ピオ十世会は走るどころか歩きもしなかったのが事実だ。それまでカトリック教会が何世紀にも渡ってやってきたことを、そのまま続けているだけなのだから。

だとしたら、ロイターの記者たちは、単なる「伝統主義」と一線を画す「超」の要素をどこに見出したというのだろうか。

いくつかの記事を読む限り、traditionalist と ultra-traditionalist の厳密な使い分けはないようである。わざわざ「超」を付け足したのは、マスコミにありがちな印象操作の疑いが濃厚だ。

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カトリックが伝統主義で何が悪いのか教えて欲しい

いつだったか、カトリック新聞が聖ピオ十世会のことを「伝統主義団体」と書いていたのを見かけたことがある。

修道会と分かっているのをわざわざ「団体」と呼ぶあたり、「正式な修道会とは認めないぞ」という意志があるのではないか、と勘ぐりたくなった(ちなみに聖ピオ十世会は教会法に基づいて設立された正式な修道会であり、その正式さは、聖座が手続きによって廃止を目論んだことがあるほどだ)。

それはさておき、「伝統主義」の方もどことなく否定的なニュアンスで使われているような印象がある。

しかし、そもそもが啓示宗教であり、聖書と聖伝とを信仰の源泉とし、使徒継承を重んずるカトリック教会で、もしも「伝統主義」がある種の差別用語になっているとしたら、それは異常事態と呼ぶほかない。

とりあえず、用例がこれだけでは断定するわけにはいかないので、今後もカトリック新聞の言葉遣いを注視していきたい。もっとも定期購読などする気にはなれないが。

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ヴァティカンに訴えようと思うなら知っておくべきこと

日本のカトリック教会で起きているトラブルのことで、ときおり「ヴァティカンに訴えてみてはどうか」と口走る人がいる。問題の深刻さにもかかわらず、日本の司教団が問題視しないだろう、解決しようとしないだろう、という理由からと思われる。

それが、教会内ヒエラルキーの上位に立つ者の権限や強制力といったものを頼みとしてのことならば、とやかく言う必要は感じない。

しかし、もしも、ローマなら正統信仰の持ち主が結集していて正しい裁きを下してくれるだろう、という期待からのものであるならば、それは幻想だと言っておこう。

最近も、教理省から審問されたらよさそうな人物が教理省の長官に就いている有様だ(The Rhine flows into the Tiber を知る人知らぬ人を参照)。

それよりも何よりも、複数のドグマを公然と否定していることで世界的に有名なスイス人神学者ハンス・キュンクを、いつまで経っても異端者として破門しようとしないのを、どう考えたらよいのだろうか。

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通りすがりですが (09/13 22:08) 編集・削除

キュングさんは、既に数十年前に破門されたようですが。

管理人 (09/13 23:01) 編集・削除

一般論として、破門されたなどというのは、本文はもちろんのこと見出しにだって使われておかしくない(例えば Excommunicated Theologian says ... とか)、欠くべからざるプロフィールです。

しかし、ハンス・キュンクについて言えば、破門者として紹介する記事に出会った覚えがありません。

できれば、西暦何年に誰により何のかどで破門されたのか、その事実はどこで確かめられるのか教えて下さい。

昨日投稿した者です (09/14 22:21) 編集・削除

1980年頃(1979年と記述されているのも1件見つかりましたが)に聖職停止になったそうですが、日本語版ウィキペディアでは破門(聖職停止を破門と混同した?)と記述されてあります。 外国語版では破門の記述が見つからなかったので、日本語版を書き込みをした人が間違えて記入しているのかもしれません。事実でないのなら訂正した方が良いと思います。

管理人 (09/14 22:56) 編集・削除

「電車が遅れました」
「あなたが遅れたんです」

こんなやりとりを思い出しました。

協力求む

この日記は更新頻度も高くないし、内容も簡単なことしか書いていない。ブログランキングの順位も、相応か、多少高すぎるくらいである。

しかし、書いている以上はもう少し多くの人に読んでもらいたい。また、読んでもらうためにはもう少し注目される必要がある。

というわけで、もしもこの日記を読んで、「今日はいつもより出来がいい」とか「これはもう1人くらいには読ませたい」と思ったら、そのときだけで構わないので、ランキングに協力していただければ幸いである。

「時代」を崇拝する聖職者や信徒には要注意

先月末亡くなったマルティーニ枢機卿が生前、カトリック教会は200年遅れているという言葉を遺していたそうだ。200年かどうかはともかく、「時代遅れ」を嫌がる現代人から幅広い賛同を得られそうな発言である。

しかし、その言葉が客観的に意味するのは、神の教会がその時代の人間(の気分や流行)に従属すべきだということだ。例えば、時代の人々が中絶や同性婚を望むなら、教会もそれを認めていくべきだ、ということになる。

神ではなく人間を中心とするこの怖ろしい考えは、カトリック教会内にも侵食している。例えば、「昔のミサでは司祭が会衆に背を向けていた」などといったような言い方がそれだ。このような人たちでも主観的には神を信じていると思っているのだから厄介である。

カトリック信徒たるもの、「時代に合ってない」などと言われても怯まない確固たる信仰を持ちたいものだ。

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あっちこっちフェスタ

トリエント典礼の1962年版ミサ典書に基づくカレンダーによれば、今日は聖ピオ十世教皇の祝日である。

ところが現行の典礼暦では、この祝日は8月21日に移されている。一応、聖人の命日の翌日なので、全く根拠がないというわけではない。

9月3日はその代わりにどれほどの聖人が入ったかといえば、大聖グレゴリオ一世教皇である。なるほど、聖ピオ十世を押しのけるくらいの格はある。

しかし、こちらは命日の3月12日からの移動だ。これではどこに一貫性があるのかよく判らない。

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召命が減ったのを現代社会のせいにしてもいいけれど

カトリック教会の召命は、世界のどこかでは増えているらしいが、先進国では概ね減少傾向にあるようだ。

その原因の一つとして現代社会のあり方を挙げるのは、それほど間違ってはいないだろう。世俗化やら物質文明やら、思い当たることはいくつもある。

しかし、そのような現代社会に対して、「開かれた教会」などというスローガンで迎合したことへの反省はなくてよいのだろうか。

コルベ神父についての講演動画を発見

聖ピオ十世会ポーランド管区長のシュテーリン神父(Ks. Karol Stehlin)はいくつもの講演を動画で残しているが、残念なことにみんなポーランド語である。

かねてより、そのうちの1つか2つくらい英語で話したものがないだろうかと思っていたところ、最近になってようやく見つけることができた。

それもそのはず、その動画(St. Maximilian Kolbe & the Militia Immaculata)は今年の6月にローマで開かれた国際ファティマ会議で撮影された、比較的新しいものだったのだ。

約1時間の動画なので、いつかゆっくり時間を取って、メモ帳を片手に聴いてみようと思う。それまでは聞き流しの要領で。

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正平協には正平協の辻褄がある2

伝統派のカトリック司祭や信徒はときどき、「ノヴスオルドの司祭」という言い方をする。

これは、単に「ノヴスオルド・ミサを捧げている司祭」を意味するものではない。罪・贖い・ミサ聖祭・秘蹟・司祭職などについて、伝統的養成とは異なる体系を身につけた司祭という含みがある。

こうして、「昔のミサでは司祭が会衆に背を向けていた」「これからは教会の外に目を向けなければいけない」などと教えられ、受け入れてきた司祭たちなら、正平協の活動に聖職者としての使命を感じることすらあるだろう。

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