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確かに日本があぶない

これまで民主党のポスターといえば、キャッチフレーズがどことなく嘘っぽいというのが恒例であった。例えば、「国民の生活が第一」などは、すぐさま「どこの国の国民か」「(中国)人民の間違いではないか」と言いたくなるような代物だった。

ところが、過去に使われたポスターで、今頃になってその文句がフィットするようになったものがある。当時もそのような読み方は可能だったのだが、今が一番しっくりとする。

そのポスターとは、代表選を前にして最も話題の議員を大写しにしたこれのことである。きっと見覚えがあるだろう。

浅草サンバカーニバルにもの申す

今週末にも浅草でサンバカーニバルなるものが開催される。

そのサンバはいいとして、「カーニバル」の名称は適当とは思えない。というのも、本来の謝肉祭が行われる時期から約半年もずれているからである。

これを「祭り」や「フェスティバル」に替えても差し支えは無いように思うが、楽しんでやっている人たちは、そのような議論をきっと好まないだろう。

自分の読者じゃあるまいに

ブログや掲示板を訪問したとき、コメントやレスポンスに長い長い投稿を見かけることが多々ある。

これがブログ主や掲示板管理者の書いたものなら、いくらか我慢できる。コメントをも含めてその人の文章を読むために訪問しているからである。ときには、たっぷり読めるのでむしろ歓迎という場合もあるだろう。

これがゲストの「大演説」となると、人にもよるし、内容にもよるのだが、大抵はうんざりさせられる。読まない、相手にしない、という対抗手段があるものの、それでは当人に何も伝わらない。それどころか「何も反論できないのだ」と増長することさえあるから厄介だ。

あのグレゴリオ聖歌をもう一度歌ってはどうか

昨日は聖母被昇天の祝日ということで、この日ばかりは一部のカトリック教会で、普段歌わないグレゴリオ聖歌を歌ったのではないかと思われる。

それがミサ通常文を Cum jubilo で歌ったということであれば、来る聖マリアの汚れなき御心の祝日にも歌ったらよいだろう。もしもそのような予定がないなら、すぐにでも聖歌隊の指揮者に話を持ちかけるべきである。

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スピードラーニングで英会話はできるようになるか

最近やたらと宣伝が目立つ「スピードラーニング」という英語教材がある。あれだけ広告を打てば、もはや知らない人の方が少ないくらいだろう。

さて、ただ聞き流しているだけで英語が身に付くというような宣伝も疑問だが、特に気になったのは、それが「幼児が言葉を覚えるのと同じ原理」だという説明である。

確かに、赤ん坊や幼児はまず聞くことから入って短期間のうちに語学を習得する。しかし、それは「聞き流し」のような散漫なものではなく、むしろ親の話す言葉を懸命に聞いて真似ようとする集中学習に近いものではあるまいか。

この教材を使って成果を挙げる人がいたら、おそらく宣伝文句とは違って、徹底的に聞き込み、話す練習を積んだ結果だろうと思われる。

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一番悪いのはアメリカではないのか

本日8月6日は広島に原爆が落ちた日ということで、追悼式典や各種集会が行われたことだろう。

追悼は大切なことであるし、反核も反戦もそれなりに必要とは思う。だが、アメリカ軍の原爆投下による一般市民の大量虐殺は重大な戦争犯罪である、という一点がもっと強調されてもいいのではないだろうか。

典礼破壊を批判するビデオの紹介

昨年ほんの軽く紹介したビデオ What We Have Lost の動画が、現在 Google ビデオで視聴できることが判った(What We Have Lost... and the Road to Restoration)。

当時もインターネット上にはあったが、YouTube ではぶつ切りだったり、また別のところではファイルサイズが大きすぎたりしたために不便があった。今回紹介するのは、その点では程良いのではないかと思う。

それでもオリジナルの DVD をご所望ならば、注文は In the Spirit of Chartres Committee まで。

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召命は「われらのうちより」2

前回、召命は「われらのうちより」出るものという気構えを持って、共同体のあり方に注意するようにと書いた。

それは召命一般についての話であったが、特に司祭の召命について言えば、「侍者のうちより」出るものだという認識が必要である。

考えてみれば当然のことで、侍者の務めに熱心でない者、まして経験のない者が、一生涯ミサ聖祭を捧げる司祭を志すということは考えにくい。司祭の召命は、侍者として司祭の一挙手一投足を見つめていた者のうちから生じるのが普通だ。

したがって、少年や若い男性信徒が侍者の練習も始めず、いつまでも会衆としてミサに与っているような状況があるならば、責任者に改善を促す必要があるだろう。もちろん、相応しい男性がいるのにもかかわらず女性に侍者をやらせているようなのは論外である。

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彦左衛門 Eメール (07/28 20:42) 編集・削除

仰るとおり、全面的にご意見に賛成。

召命は「われらのうちより」

若いうちは、本気とも冗談ともつかない調子で「司祭になったら」と言われたものである。実年齢よりも若く見える日本人の特権で、それは比較的最近まで続いたのだが、さすがに今となっては限界点を越えたようである。

では、もう召命は他人事なのか、と言えば、断じてそうではないと思う。ただし、思い出のカード上には上があるで触れたような、熟年召命の話ではない。

たとえ歳を取っても結婚しても、「願わくはわれらのうちより、司祭または修道者となりて働く多くの人々を選びて、主の公教会に遣わし給わんことを」(御召を求むる祈)と祈るからには、自らの所属する共同体を召命の温床とすべく、何らかの注意を払うべきである。

具体的には、若い信徒たちがラテン語やグレゴリオ聖歌や聖務日課や公教要理に馴染んでいるかどうか、特に男子なら侍者の務めや練習に励んでいるかどうか、よくよく関心を持っておく必要があるだろう。

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ワールド・ユース・デイには危険が潜んでいる

来年、スペインのマドリードでワールド・ユース・デイが開催されるが、そのプロモーションビデオを YouTube で見つけてしまった。だが、そのリンクをここで紹介しようとは思わない。

というのも、このイベントについては、もともとあまりいい話は聞いていないからである。参加してカトリック信仰を深めるどころか、若い男女が罪を犯して帰ってくるという噂も(真偽はともかく)あったほどだ。

噂よりも証拠・証言があれば確かなことが判るが、このワールド・ユース・デイがカナダのトロントで行われたときの様子を映像で伝えるDVDがある。

これは Catholic Family News のジョン・ヴェナリ氏が取材に行き、撮影したビデオを編集したものだが、その抜粋(Excepts: World Youth Day: Catholicism or Corruption?)だけでもその酷さが伝わってくる。

この動画を見て呆れてしまった人も、以前書いた伝統派カトリック学校の記事(長崎の信徒発見と聖ピオ十世会2)を読んで、いくらか希望を見つけてくれたら、と思う。

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