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聖なるマリアの無原罪の御孕りの祝日をいかに迎えるか

主日が過ぎたと思ったら、すぐにも大きな祝日が控えている。この祝日のための準備をどうしたらいいのかと思っていたところ、自分自身で2年前に書いていた(聖なるマリアの無原罪の御孕りの祝日に)ことに気が付いた。

そこで『無原罪の聖母』を探し始めたら、幸いなことに短い時間で見つけだすことができた。祝日まではこの本を手元に置いて過ごすことにしよう。

後は、聖母がご自分の名前を「無原罪の御孕り」と告げた、聖ベルナデッタの伝記映画「聖処女」を、当日までに1回鑑賞できれば、と思う。

今日12月3日は岩下壮一神父の命日

岩下壮一神父は70年前の今日、霊名の聖人の祝日に帰天した。活躍した時期は大正から昭和初期にかけてであり、いわば過去の人である。

だが、その名は私の世代でも結構知っている。というのも、『カトリックの信仰』という著作が講談社学術文庫として一時期出ていたからだ。

残念なことに、これも何年か前から絶版状態となっている。古書も品薄で、当時の定価の2倍程度で取引されている。これでは手を出したくても躊躇することだろう。

しかしながら、どこぞの司祭の講座に金を払って参加するほどの勉強熱心であれば、岩下神父の講義録(900ページを越える)とでもいうべきこの本を、思い切って買ってもいいのではないか、と思う。

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聖フランシスコ・ザベリオの祝日に思う

今日は聖フランシスコ・ザベリオの祝日である。この聖人への祈りが「公教会祈祷文」に載っているので紹介する。

聖フランシスコ・ザベリオにならいて善徳を求むる祈

ああ天主、主は聖フランシスコ・ザベリオの奇蹟と聖役とによりて、わが同胞に主の御教えを伝え給えり。▲願わくは、その栄えある功徳を讃うるわれらをして、その善徳を学ばしめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

こうしてこの祈りの文言を読んでいると、日本のカトリック信徒にとって大恩人とも言うべきこの聖人に対して、自分の関心があまりにも薄いのを恥ずかしく思う。確か、過去に薄い伝記を一回読んだきりではなかろうか。

ついでに、極東の日本にはるばるやってきて福音を伝え、洗礼を授け、ミサを捧げた聖人の右手について、少し言及したことがある(司祭の手と御聖体とについて)ので、興味があれば読んで欲しい。

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司祭はいつどこでどのように「転向」するのか2

この日記では、正平協の問題を、司祭職という観点から考えている。要は、現在神学校で教えられている司祭職そのものに問題があって、それが忠実に実践されているがゆえに、正平協の活動が現象として顕れている、ということである。

今の日本のカトリック教会で司祭職がどのように捉えられているのかは、例えば司祭叙階式の説教を読めば、ある程度分かるだろう。以下は、少し前のイエズス会司祭叙階式説教からの引用である。

現代の荒れ野、現代の砂漠に福音をのべ伝え喜びの便りを告げ知らせるために司祭は叙階されます。

これが現在の司祭職である。ミサ聖祭を捧げる祭司としての要素はほとんど後退している。かくして、福音宣教の名の下に、教会の外に目を向けてばかりの司祭ができあがるのだ。

果たしてこのような司祭たちは、何をきっかけにして伝統的司祭職に目覚めるのだろうか。正平協の分科会に乗り込んで罵声を浴びせたらいいのか。イグナチオ教会の前で抗議行動をすればいいのか。それともただ憂慮してみせればいいのか。

唯一ではないにしても有効なのは、伝統的修道会の司祭と交流の場を持つことであろう。常に修道服を着ている姿を見るだけでも何か感じるところがあるはずだ。

ちなみに、マニラにある聖ピオ十世会の教会には、これまで何人かの司祭や助祭が訪れて、トリエント・ミサの捧げ方を学んだそうである。このような司祭たちの教会なら、きっとグレゴリオ聖歌や跪きが拒まれることはないだろう。

典礼の季節により平日の等級が上がり下がりする謎

いよいよ待降節に入った。この時期の典礼カレンダーを見ていると興味深いことがある。

待降節第1主日を境に、それまで4級だった平日は3級に上がる。そして、待降節第4主日を境に平日は2級となる。まるで、御降誕が近づくにつれて、等級の低い祝日をブロックしているかのようである。

ただ、実際にはブロックされている祝日は皆無である。この時期は毎年待降節と重なるため、祝われる可能性のない祝日は最初から組み込まないでおいたのだろう。

とはいえ、典礼暦におけるこういった平日の取り扱いからも、御降誕に対する教会の意気込みのようなものが感じられて面白い。

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会衆がいなくても捧げられるミサ聖祭

オーストラリアの聖十字架神学校を初めて訪問した年は、クリスマスと司祭叙階式に出席した後、メルボルンへ移動し、そこの教会にしばし滞在することになった。

そこは中規模くらいの教会で、ミサ聖祭の侍者のローテーションも決まっていた。しかし、常駐している司祭の他に、ゲストの司祭たちもミサをするということで、脇祭壇での侍者を急遽依頼された。

ミサの準備はもう誰かが先にしてくれたので、カソックを着て司祭と共に脇祭壇へ向かった。すると、水とワインなどの用意はあったが、ベルだけが置いてなかった。会衆がいないのだから必要ない、ということらしい(厳密には会衆はいるし、脇祭壇の様子は丸見えなのだが、彼らはあくまで主祭壇のミサに与っている)。

このように、トリエント・ミサは会衆がいなくても捧げられる。だが、ノヴスオルド・ミサは会衆がいないと捧げられないことさえあるという。ミサの違いは司祭の意識の違いにさえなっているようだ。

ウィリアム王子の結婚式はなぜ4月29日なのか

イギリス王室のウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんとの挙式が、来年の4月29日に決まったことが報じられている。場所はウェストミンスター寺院とのことである。

ところで、なぜこの日なのか。細かい日取りのことは流石に分からないが、4月の下旬という時期が選ばれた理由ならば、キリスト教徒は大体気が付く。少し鈍い信徒でもヒントを出せばまず分かるだろう。

その鍵は典礼暦にある。典礼の季節によって結婚に相応しくない時期があって、来年の場合なら4月24日の復活祭までの約1ヶ月半がその時期に当たる。裏を返せば、復活祭を迎えたら盛大に祝い事ができる、ということである。

そのようなわけで、まるで待ちかねたかのように、復活祭から間もない29日に結婚式を挙げるのである。以上は推測だが、まず間違いなかろう。

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現行の典礼カレンダーは「革命暦」か

昨日は日本のほぼ全てのカトリック教会で、「王であるキリストの祝日」を祝ったはずである。この祝日で典礼年の最後を締めくくることは一見もっとものように思われるだろう。

しかし、この祝日はもともとこの位置にあったのではない。教皇ピウス11世は、回勅クアス・プリマスの中で、諸聖人の祝日のすぐ前の主日、すなわち10月の最終主日に定めた理由を説明している。

そのような経緯で制定された祝日を移動させれば、当然その意味合いも変わってくる。年間の最終主日に移動されたこの祝日は、教皇の意図から逸れて、今や終末と絡めて説明されている。

このように、「王たるキリスト」は本来の地位を引きずりおろされている。もはや今の典礼カレンダーは「革命暦」ではないか、と言いたくなるほどだ。

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荘厳司教ミサに満足していて本当にいいのか

荘厳司教ミサの通な与り方4の中で、トリエント・ミサから新しいミサへの移行という過去の記事を紹介したが、その引用部に綴りの誤りが見つかったほか、表記の不統一や自分の意図通りでない表示があったので、修正しておいた。

これもいい機会なので、まだ見ていなかったら一読しておいてほしい。ラテン語規範版通りの荘厳司教ミサでさえ、トリエント典礼に比べれば相当に簡略化されたものだということが分かるだろう。

荘厳司教ミサの通な与り方4

「荘厳司教ミサの通な与り方」について、これまで3回ほど書いてみた。ほとんどはミサレットに記載されていない動作かも知れないが、頭を下げるのも跪くのも、独りでできるという意味ではさほど困難ではないと思う。

しかし、御聖体拝領においてもトリエント式を貫こうと思うと、多少心配がある。司祭を相手にするからである。

トリエント・ミサでは、信徒が御聖体を拝領するときに「アーメン」と唱えない。あるいは、唱える必要がない。おそらく、司祭が祈りの結びに「アーメン」と唱えるからと思われる。

さて、もしもここで意固地に「アーメン」と答えなかったらどうなるか。それでも御聖体を授けてくれるとは思うが、きっと変な間ができることだろう。

この不都合を避けるためには、前に進み出たらすかさず目を閉じて舌を出すのがよい。ホスチアを授けないことには次に進まない、という状況になるからである。

それにしても、何でこんな面倒なことになるかと言えば、ミサが変わりすぎているからである。そのことについては、トリエント・ミサから新しいミサへの移行に引用した資料が参考になるはずだ。

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