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「東京裁判史観」と「エクレジア・デイ史観」

「東京裁判史観」という言葉がある。これは揶揄なので明確な定義があるわけではないが、極東国際軍事裁判の判決を正しいものとして、有罪判決を受けた日本人を断罪する立場、と言えばそれほど外れてはいないだろう。

この史観を奉ずる者は、開戦までの経緯について日本にも言い分があることや、この裁判そのものに問題があることは認めない。また、欧米による何百年もの植民地支配やアメリカやソ連の戦争犯罪との比較を試みることもない。とにかく「日本は悪いことをした」としておきたいのである。

同じように、カトリック教会の中には「エクレジア・デイ史観」とでも呼びたくなるような考え方がある。つまり自発教令「エクレジア・デイ」による裁きを正しいものとして、ルフェーブル大司教を断罪する立場である。

この史観を奉ずる者は、司教聖別までの経緯についてルフェーブル大司教にも言い分があることや、この教令における教会法の適用の仕方に問題があることは認めない。また、聖座が非合法的に聖ピオ十世会を廃止しようとしたことや、中国の天主愛国協会の司教聖別に対する聖座の対応との比較を試みることもない。とにかく「ルフェーブル大司教は悪いことをした」としておきたいのである。

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知らないうちに始まり終わっていたキリスト教一致祈祷週間

この時期、キリスト教一致祈祷週間なるものがあるとは聞いていたが、いつの間にか終わっていた。あまり関心を持っておらず、カレンダーにも記録しておかなかったためである。

だが、もともとカトリック教会は「信仰の一致」のために祈っていたのではないか、と思いつつ調べてみると、やはり公教会祈祷文に「信仰の一致を求むる祈」というのが見つかった。しかも、「一月十八日より二十五日迄、信仰の一致の祈願週間に唱える」とある。

きっと、信仰の一致の祈願週間から「信仰」が抜け落ちてしまったものが、現在のキリスト教一致祈祷週間なのだろう。

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パウロ (02/22 05:38) 編集・削除

最近、なまけてやせんか?

管理人 (02/22 22:09) 編集・削除

それがどうかしましたか?

エクレジア・デイ傘下の修道会が日本に来る可能性はあるか2

もしも、エクレジア・デイ委員会傘下の伝統派修道会を教区内に受け入れるとどうなるか。

その小教区の信徒の堅振は、教皇パウロ6世によって改訂された現行のやり方ではなく、伝統的なやり方で行うことになるだろう。すなわち、司教が自らトリエント・ミサを行い、そのミサの中で堅振式も行うのである。

そうなれば大変結構なことだが、果たして司教の方にそれだけの覚悟ができるのかは疑問である。

エクレジア・デイ傘下の修道会が日本に来る可能性はあるか

既に、聖ペトロ会の司祭が日本に来るのはいつの日かで書いたように、現在の状況からすると、近い将来に聖ペトロ会の司祭が日本に来ることは考えにくい。他の小さな修道会ではなおのことである。

これだけでも絶望するのに十分だとは思うが、他にも重大な問題がある。

これら伝統派の修道会は修道生活を重視しており、司祭を常駐させるときは基本的に3人以上、最低でも2人と決めている。従って、それだけの人的資源を割くに相応しい数の信徒がいることが大前提である。

また、月に1度というようなペースで司祭を派遣する場合にしても、渡航費と滞在費の問題を解決しなければならない。やはりこれも、それなりの信徒数を必要とするだろう。

エクレジア・デイ傘下の修道会で叙階された邦人司祭が休暇で帰国中に行うトリエント・ミサを除いては、今のところ望みが薄いとしか言いようがない。

エクレジア・デイ委員会はどこまで信頼できるのか

トリエント・ミサを希望して、エクレジア・デイ委員会に期待をかけているカトリック信徒がいるようだが、残念な結果になりそうな気がしてならない。

そもそもこの委員会はトリエント・ミサを広めるためにあるのではない。確かにトリエント・ミサの挙行は許可するが、実は一方で少しずつノヴスオルド・ミサを受け入れさせる工作をしていたのである。

例えば、聖ペトロ会の第2代総長を選挙で選ばせず、ノヴスオルド・ミサ容認派司祭を任命したり、聖ヨハネ・ヴィアンネ会の総長をノヴスオルド・ミサの共同司式に参加するよう仕向けたり、ということが実際にあった。

それもそのはず、この委員会には日常的にトリエント・ミサを行うような枢機卿や司祭はいなかった。カストリョン・ホヨス枢機卿がときどき傘下の修道会で叙階式を行っていたが、他の委員に至っては噂すら聞かない。2009年になってようやく伝統派修道会からの委員が2名加わったというのが実状だ。

ちなみに、信仰教理省の長官にしてエクレジア・デイ委員会の長も兼ねるレヴェイダ枢機卿は、かつて大司教であったとき、教区内でのトリエント・ミサを許可しなかったそうである。

聖ピオ十世会のナンバーツーが来日中

現在、聖ピオ十世会の総長第一補佐であるフルーガー神父が来日しており、明日は東京でミサ聖祭を捧げ、午後には講話を行うことになっている。

当日都合の悪い人のために、二年前の講話(Fr. Nicholas Pfluger - SSPX)と、今年の説教(All Saints Day - 2010 - SSPX commemorates 40 Years)の動画を紹介しておく。

さて、フルーガー神父のプロフィールについては、フェレー司教が総長に再任されたときの聖ピオ10世会総長から信徒の方々へのお手紙に短い紹介があるのでご覧頂きたい。

その文中に「司祭として働いている二名の兄弟と二名の甥」とあるが、オーストラリアの神学校にいる同姓の司祭がそのうちの1人ではないかと思っている。

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天使祝詞を語るならミサ典文のことも語ってみてはどうか

新しい口語の天使祝詞「アヴェ・マリアの祈り」の試用が始まってから1週間になる。その間に主日のミサもあったから、あちこちでこの祈りが話題になったに違いない。

その議論を集約すると、冒頭の「アヴェ」に違和感がある、抜けていた語が補われたのは一歩前進だ、あれこれの訳語にはまだ問題が残る、といったところではなかろうか。

そうやって祈りの文言についていろいろと語るだけの見識があるならば、是非ともノヴスオルドのミサ典文についても語ってほしいものだ。いかにラテン語規範版に忠実に訳されていたとしても、トリエント典礼と比較すると驚くほど内容が落ちているからである。

例えば、ミサ聖祭の初めにある告白の祈りから、聖人と大天使の名前がごっそり削られていること、御血の聖変化の言葉から「信仰の神秘」が切り取られて、別の所で唱えられていること、御聖体を信徒に授けるごとに唱える祈りが、ほとんど原形をとどめていないこと、読誦ミサの後に唱えられていた「聖会のための祈」が削除されていること、などなどの問題点が見つかるはずだ。

とりあえず今日のところは、過去のエントリーより、トリエント・ミサから新しいミサへの移行ミサ典書から閉め出された諸聖人大天使聖ミカエルの祝日に思う大天使聖ミカエルの祝日に思う2あたりを読んでみるといいだろう。

無料で手に入れることができる2011年度典礼カレンダー

来年度のトリエント典礼のカレンダーを手に入れようと思っても、日本のカトリック書店にはまずない。だからといって海外から取り寄せるのは時間がかかる。下手すると、届くのは来年になってからだ。

少し長い目で見れば、1月にカレンダーが届いても決して遅くはない。しかし、それでは落ち着かないという人のために朗報がある。

近頃、オーストラリア・ブリスベンにある聖ピオ十世会の教会が来年度の典礼カレンダーを編集し、PDFファイルとしてアップロードした。現在、クイーンズランド地区のページよりダウンロードできる。

祝日など、あくまでオーストラリア国内用であり、かつ教区用ではあるが、注文したカレンダーが届くまでの一時しのぎには使えるだろう。

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「アヴェ・マリアの祈り」を批評してみようかと思ったが

これまで口語の天使祝詞として使われてきた「聖母マリアへの祈り」が不評のため、これに代わる改正案「アヴェ・マリアの祈り」が作られ、試用が始まったそうである。

そこで、この新しい祈りについて批評をしてみようかと思ったのだが、やめておくことにした。

仮に、やれここがおかしい、こう直すべきだと提案したとしよう。さらに、それが受け入れられて、正式版に反映されたとしよう。

そうなったら、その理想的な祈りを使うことにするだろうか。一応は評価しつつも何やかや理由を付けて、文語の祈りを使い続けるのではないだろうか。

それくらいなら、さらっと「まだ文語の方がいい」と言ってみせるのがスマートだろう。

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エキュメニズムはインマクラータ(無原罪の聖母)の敵である

昨日までの数日間、マキシミリアノ・コルベ神父のことば集である『無原罪の聖母』を読み返していたが、反省することばかりで辛い読書であったことを告白しておく。

さて、聖母の祝日は過ぎてしまったが、この機会に、小野田神父様のブログより、インマクラータ vs エキュメニズムという記事を読むことを奨めたい。引用2点のほんの短いエントリーなのでそれほど時間はかからない。

これを読んでもまだエキュメニズムに未練があるならば、拙記事で恐縮だが救霊の観点からエキュメニズムを考えるとを読んでもらいたい。何か思うところがあったらコメントを書いてもらって結構である。

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