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聖ジャンヌ・ダルクの祝日に

今日は聖三位一体の祝日であったが、確か聖ジャンヌ・ダルクの祝日でもあったのではと思ったら、果たしてその通りであった(少なくとも旧典礼暦では)。

そこで、イングリッド・バーグマンが主演する、映画「ジャンヌ・ダーク」の廉価版DVDを引っぱり出して観ることにした。

もちろんストーリーは分かり切っていたが、シャルル7世の戴冠式、グレゴリオ聖歌(Veni Creator Spiritus)、異端審問、ラテン語で読み上げられる破門宣告、司祭と侍者たちとが唱える聖マリアの連祷など、興味深いシーンが多々あり、145分はあっという間に終わったという印象だ。

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聖ペトロ会の司祭が日本に来るのはいつの日か

聖ペトロ会のことで気になることがあって調べものをしていたら、興味深いページ(Where are we? Mass and apostolat locations of the Priestly Fraternity of St. Peter)に遭遇した。聖ペトロ会のトリエント・ミサがどこで行われているかを示す世界地図である。

一見して判るように、ほとんどがヨーロッパと北アメリカに集中している。同会がアジア管区(またはアジア・オセアニア管区)を設立するまでに、これから何年かかるのだろうか。日本に司祭を送るまでは、さらに何年かかるのだろうか。

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反カトリック感情を助長してまでやることか

最近、YouTube で「カトリック」をキーワードに検索すると、「反日に狂奔する日本カトリック教団の偽善を糾す」と題した動画が目立つ。

日本のカトリック司教団がこのような非難を浴びるのはある程度自業自得だと思っているので、どうとでもなれ、好きにやってくれ、という気分があることは否定しない。

しかし主催者側は、司教団批判を飛び越えて、反カトリック・反キリスト教的な姿勢を露わにしている。いかに正平協に反感を持つカトリック信徒でも、そう簡単には同調できない雰囲気だ。

そのような性格にも関わらずこの運動と連携する女性のカトリック信徒がいるが、まるで、日本の国会議員でありながら韓国で行われた反日デモに参加した岡崎トミ子(民主党)を見るような思いである。

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コメント一覧

明石 (05/26 21:20) 編集・削除

ある動画で彼女は、何度も「トイレ行きた~い」と街宣用のマイクで車中から絶叫していました。移動中の高速道路上のようでしたが、こういう痴態を演じている人がなんとカトリック教会のオルガニストとは、嘆かわしい限りです。

口語の天使祝詞に違和感を覚えるカトリック信徒へ

口語の天使祝詞を初めて知ったのは、求道中だったか洗礼を受けて間もない頃だったか忘れてしまったが、それが聖イグナチオ教会でのことだったのははっきりと覚えている。

ミサの始まる前に司会の先唱で始まった、耳慣れない祈りがそれだった。そのときは、文語とのあまりの違いに、唱え終わってから天使祝詞だと気が付いた次第である。

さて、この口語の天使祝詞だが、ご存じのように、文語と比較したときのリズムや言葉遣いもさることながら、いくつかの言葉が抜け落ちているのは致命的と思える。そのため、この口語の祈りは保守的なカトリック信徒の間で評判が良くない。中には、断固として文語で祈り続ける決意をしている信徒もいる。

そこで思うのだが、口語の天使祝詞に違和感を覚えるそのセンスでもって、新旧のミサ式次第を見比べてみたらどうだろうか。きっと新しい発見があるはずである。願わくはその鋭敏な感覚が、旧ミサと聞いた途端に鈍ることのないように。

ミサが違っても信仰は同じか2

昔の日記を見返してみて、動画でもっと分かりやすく補足できるではないか、と思った記事がある。それは、ミサが違っても信仰は同じかという、新旧ミサの入祭について触れたものである。

トリエント・ミサの動画を紹介しても良かったが、小野田神父様が YouTube にアップロードした動画(聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画(1)及び聖伝のミサの捧げ方 チュートリアル動画(2))の方が便利だ。肝心な所が2つの動画にまたがってはいるものの、日本語の解説が入っているので補って余りある。

ちなみに、後半の動画で「祭壇の階段を昇りながら、沈黙のうちに Aufer a nobis の祈りを唱える」という解説が入る。この Aufer a nobis の祈りが、古い記事で引用した「主よ、願わくは、われらより罪を遠ざけ・・・」である。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実4

異端的神学者たちは、公会議で何をしたのだろうか。どのような影響を及ぼしたのだろうか。

それはとても気になることだが、まずは聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)をもう一度読んで、その面々の名前を復習しておこう。

そこに出てくる名前は、アンリ・ド・リュバック、イヴ・コンガール、ジョン・カートニー・マーレイ、カール・ラーナー、ドン・ランベール・ボドワン、そして(アンニバーレ・)ブニーニである。他にもまだ登場していない重要な名前があるが、ひとまずこれくらいにしておこう。

ともあれ、これらの名に対して何らかの警戒心を抱くようになったら、ポール・クレイマー神父著『悪魔の最後の戦い』(The Devil's Final Battle)より、第6章 その動機が定着するを読み始めよう。神学について何一つ知らなくても、何か拙いことが起きたということくらいは感じられるだろう。

ノヴスオルド・ミサで聖変化は起きるのか

カトリック信徒ならば、有効な聖変化を起こすためには、正しい質料、正しい形相、正しい意向が必要なことはご存じだと思う。

トリエント・ミサでは、最後の晩餐の叙述を一度止め、前屈みになって、ホスチアやカリスを見つめながら、一語一語ゆっくりと聖変化の言葉を唱える。Tridentine Votive Mass of the Blessed Virgin Mary (4/6) という動画を観てもらえば、司祭が聖変化を起こす意向を持っていることを、傍目にも判るであろう。

ところが、新しいミサ(ノヴスオルド・ミサ)においては、司祭が聖変化を起こすという意向を持っているのかどうか、疑わしく思えるときがある。

なぜなら、最後の晩餐の叙述の中で、聖変化の言葉はあっさりと読み上げられるだけだからである。そのことは、茨木教会での英隆一郎神父さんの黙想会という動画で確かめることができる。

最後にこの司祭の名誉のために言っておくが、この動画は悪い例として取り上げたのではない。むしろ、ミサ典書の通り端正に捧げられていると思う。ただ、説明のためにちょうど必要な場面だけが写っていたので使わせてもらったのである。誤解無きよう。

正平協だけを叩いてみても

今日はカトリック司教団だか正平協だかを批判する講演会が東京都内であったらしい。信徒ではない知人が知らせてくれたのだが、出かけてみようという気にはなれなかった。

そもそも、この動きがどれだけ盛り上がっても、正平協の活動が大人しくなるというくらいの成果しか得ることができないだろう。そして、典礼や要理教育の正常化は、また別の課題として取り組まなければならないのである。

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保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実3

なぜ異端的神学者たちが公会議の主導権を握るに至ったか。彼ら自身の多数派工作もあったが、何より時の教皇ヨハネ23世がそれを許したからである。その経緯は、聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 12.1.4. 最初の小競り合いでも読むことができる。

他にも、後任者の教皇パウロ6世が選んだ枢機卿議長4人のうち3人がリベラル派であった(マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会の中への侵入の略史 (その3)参照)ということだけでも、不安を抱かせるに足るだろう。

このように、第二ヴァティカン公会議は「保革逆転」した状態で行われていたのである。このことを多くの自称保守派信徒が知らないのは残念である。

保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実2

これから引用する話を知っているだろうか。もし初めて知ったならどう思うだろうか。

公会議に参加した人々の中で一番重要な人々名前は、公会議の開かれる約十年前に異端説などで断罪された事がある司祭及び高位聖職者たちの名前なのです。

要するに、第二ヴァティカン公会議の主導権は、異端的な司教や神学者たちが握っていた、ということである。彼らの経歴については、小野田神父様のブログの聖ピオ十世会総長のフェレー司教講話:教会の状況及び聖ピオ十世会とローマとの関係(1)という記事に中で簡潔に述べられている。

この神学者たちの「前科」を知ってもなお、「ブラックリストに加えるほどではない」と言うような、自称保守派の信徒はいるのだろうか。この続きはまた後ほど書くとしよう。