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保守派を自称する信徒が知らない第ニヴァティカン公会議の真実

「保守派を自称」といっても、厳密に言えば自称しているかどうかをいちいち確認したわけではないし、他に正統派とか聖座忠誠派などという表現もあるのだが、およそそのようなアイデンティティーを持つ一群のカトリック信徒が存在するということは誰もが認めるであろう。

このような信徒たちは、かなりの程度カトリックの感覚を持ち合わせており、何かおかしなことがあれば、相手が司祭だろうと司教だろうと果敢に批判してみせる。それはそれで頼もしいことである。

だが、できうるならば、その批判の矛先を向けてほしい一連の神学者たちがいる。本田哲郎神父やホアン・マシア神父を断罪するくらいならば、この神学者たちをブラックリストに加えることは、それほど難しいことではないはずだ。

と、前置きだけで長くなってしまったので、この続きは後で書くことにしよう。

第二ヴァティカン公会議後の混乱はいつまで続くのか

次の文章は、ある司祭が第二ヴァティカン公会議後のカトリック教会について書いたものである。

第ニバチカン公会議は、教会に大きな混乱をもたらした。典礼は母国語化されてわかり易くなったが、もはや美しいグレゴリアン聖歌を聞くことはできない。ミサでは何が起こるかわからない。司祭・修道者の服装は私服化し見分けがつかない。かつてはどの司祭も同じ公教要理を教えてくれたが、今は司祭ごとに意見が違う。教会の規律は緩み、告白の数は激減した。信徒は自分たちこそ教会の主体であると言われるが、むしろ戸惑いを感じて、かえって無気力になる。教会自体がその荘厳さと安定を失い、かつての魅力を持っていない。伝統的キリスト教国ではいわゆる「教会を出る」という現象が相次いでいる。今日の教会にこうした一種の沈滞ムードが漂っていることは否めない。

こういうものを私が引用すると、聖ピオ十世会などの伝統派からの意見に違いない、と思う人もいるだろうが、実はそうではない。これを書いたのは、第二ヴァティカン公会議をこよなく愛する司祭である。そのような立場からでさえ、公会議とその後の混乱との因果関係を認めざるを得ないことを告白しているのだ。

もっとも、この司祭にとっては、このような混乱も過渡期の現象にすぎないらしく、それほど深刻に感じているようには思えなかった。この文章が書かれてから約20年くらい経った今も混乱は続いているように思うが、収束の見通しについて訊いてみたいものだ。

聖金曜日にインターネットを利用することについて

昨日は聖金曜日であった。伝統派カトリックサイト Angelqueen のフォーラムは、この日には完全停止する。

時差の関係で、この日記を書いている時点ではまだ停止しているところを見ることができる。さっき見てきて、昨日のインターネット利用は、もっと控え目にできたのではないかと反省している。

ちなみに、日記を昨日書かなかったのは、自粛というようなそんな立派な理由からではない。念のため。

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聖ヨゼフの祝日に思い出すこと

聖ヨゼフといえば、受洗して2年くらいの間はそれほど馴染みがなかったように思う。福音書に少ししか現れないということもあったろうし、誰からも聖ヨゼフへの信心を教わった覚えがなかった。

その後、アイルランドのカトリック書店で、幼きイエズスを抱く聖ヨゼフのカードを手に取った。TANBooks から出ているものをバラで売っていたのだ。この聖人に興味を持つようになったのは、それがきっかけである。

ところで、このカードだが、聖ヨゼフの表情がとても優しく、またイエズスも美少年に描かれている。似たようなカードをあちこちで探してみたのだが、これ以上のものは見つからず、後に100枚一束で取り寄せることになったのである。

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イギリスからの郵便物を待ちわびて

先月、聖週間用のグレゴリオ聖歌集をイギリスの古書店に注文した。だが、エアメールでのおよその所要日数をはるかに過ぎても届かないので、船便で送られた可能性も考えた。もしもそうだとすると、聖週間までに間に合うかどうかが心配であった。

仕方がないので、保険としてもう1冊をアメリカの古書店に注文することも検討した。こちらは郵送方法として航空便が指定できるが、先に頼んだ本の倍以上はする。なかなか決断ができずにいたところ、待ちに待った書籍小包が届いた。

見ると、その表には BY AIR MAIL という青地に白文字のシールが貼ってあった。最初からエアメールだったのだ。ならばもっと早く来てもらいたかった。しかし、聖週間に余裕を持って間に合ったことを多としよう。

「日本カトリック神学院の養成理念と指針」を読んでみた2

「日本カトリック神学院の養成理念と指針」の第一部はABCと分かれている。一番関心のあることは、その中の「C司祭の役務に向けて」に書かれていた。

この部分では、司祭の任務を、預言職、祭司職、王職と分けて説明している。そして、この順番がそのまま優先順位となっているのは、「1預言職に向けて」の冒頭にある一文からも明らかである。

司祭は何よりも、キリストに倣ってすべての人に神の福音を告げる者である。

ならば、司祭にとってミサ聖祭を捧げることは二番目かそこら、ということになろう。そのような考え方に基づいて養成された司祭が正平協の活動に勤しんだとして、何の不思議があろうか。

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「日本カトリック神学院の養成理念と指針」を読んでみた

カトリック中央協議会から、『キリシタン時代の司祭像に学ぶ』という小冊子が出ている。

それだけだったら見向きもしないが、「日本カトリック神学院の養成理念と指針」という文書が付いているということなので、興味を抱いた。だが、200円程度の小冊子を、送料と送金手数料をかけてまで取り寄せるものでもあるまい。

その後、何の気なしに四谷のドン・ボスコ書店を訪れたとき、この小冊子が平積みになっていたのを見つけ、めでたく手にいれることができた。今のところパラパラと目を通した程度だが、そのうち内容について書きたいと思っている。

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itan Eメール (08/31 20:00) 編集・削除

このようなものを続けることを禁じる

従わない場合、呪われよ

言い訳を考案するよりも祈るが易し

四旬節には四旬節の祈りがあったはずと、公教会祈祷文を手に取った。ページを開いて、そういえばこんな祈りだったと思い出した。

主よ、願わくはわれらの心に聖寵を充たし、われらにおのが罪を嘆き、祈りと善業とをもってこれを償うを得しめ給え。そは来世において永遠に罰せらるゝよりも、この世においてこれを償うをまされりとすればなり。われらの主キリストによりて願い奉る。アーメン。

四旬節の間中毎日唱えるのが望ましいが、とても短い祈りなので、祈れないという言い訳を考える方が時間がかかることだろう。

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灰の水曜日のつぶやき

灰の水曜日に断食するのはいいことだが、空腹が辛かったなどと日記で自慢するのは避けたいものである。

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異端どもとともにささげるミサ

現在のカトリック教会では、プロテスタントとの合同礼拝が、私が思っている以上によく行われているようである。

しかし、片や一・聖・公・使徒継承の教会であり、片や異端や離教である。普通に考えれば、両者が合同礼拝などしようものなら互いに教義上の問題が生じるはずである。

この合同礼拝が両者の抵抗もなく行われるのは、現行のノヴスオルド・ミサが、カロリー控え目ならぬカトリシズム控え目に改竄されている典礼だからである(ノヴスオルド・ミサの出生秘話ミサ典書から閉め出された諸聖人参照)。

私はこれを「異端どもとともにささげるミサ」と呼びたいくらいであるが、不適切であろうか。

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cuirass (02/18 22:47) 編集・削除

ブログ主殿の気持ちは痛いほどわかるが、アルビジョワ十字軍じゃあるまいし「異端ども」はちょいヤバイかと。ピオ十世兄弟会が誤解されますぜ。

管理人 (02/18 23:41) 編集・削除

言うまでもなく「子どもとともにささげるミサ」をもじっただけですから、特別な感情を込めて「異端ども」と言ってるわけではありません。

また、誤解する人はどうやっても誤解するので、日記の書き手としましては諦めの境地です。

Viarofka (04/11 01:15) 編集・削除

お尋ねしたいのですが、プロテストが異端というのはどのような根拠に基いてそう言われるのですか?

異端かそうでないかは三位一体の神を信じているか否かと思いますので、そう考えれば、プロテスタントが異端というのはいかがかと思いますが。

管理人 (04/11 09:33) 編集・削除

異端については、カトリック教会の公教要理に定義が書いてあるので、私はそれに従っています。

詳しくは小野田神父様のブログの、次の記事に詳しいのでお読み下さい。

異端とは何か? 離教とは何か?:ダブルスタンダード?! 聖伝主義に対する態度とエキュメニズム
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/0944a1347860e9197bb57912b172cfe6

次の記事も、ルターの異端と、このエントリーのテーマであるミサについて考えるのに有用だと思います。長いですけれど、併せてお読み下されば幸いです。

ミサ聖祭とは何か?ミサがいけにえであるということを誰が否定したのか?
http://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/4e0145d8785ef35e9a5bde2375135256