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ゼロ・トレランスは厳罰ではない

ここ数年、教育のトピックでよく聞くようになった「ゼロ・トレランス」という言葉がある。ときどき「不寛容」と訳されているため、それを厳罰主義と捉えて、あるいは結びつけて考える人たちがいるが、それは間違っている。

厳罰というのは、ある違反行為に相応以上の罰を与えることである。割りに合わない罰を設けることで、その行為をあらかじめ防ぐことを目的としている。しかし、いざ実際に違反行為を行った生徒を前にすると、厳しすぎる罰を与えることを躊躇してしまい、「今度やったら」などと猶予を与えてしまうことが多々ある。その結果、ある生徒は罰を受け、ある生徒は罰を受けないという、ちぐはぐな対応になりやすい。

一方、ゼロ・トレランスというのは、罰の軽重と直接関係はない。単純に、「今度やったら」などというような猶予を与えないことである。この方針のもとでは、違反行為を行った生徒は、すぐに罰が与えられる。従ってゼロ・トレランスは、「必罰」という、昔から日本にあった概念に相当するのである。

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