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「時代」という名の神様

かなり前、「朝まで生テレビ!」で皇室をテーマに取り上げたときのことだ。民主党の小宮山洋子議員が、皇室を時代に合わせるべきといったような発言をしていた。それは別に初めて聞いたわけでもない、ごくありふれた主張だったが、今でも印象に残っている。

そのとき、その合わせるべき時代というのは一体どういうものなのか、という疑問がわいた。その時代が素晴らしければ、合わせることに何かの意味があるかも知れない。だが、時代の良し悪しを吟味することなしに、なぜいきなり「時代に合わせよ」という主張ができるのだろうか。

そして、時が経つにつれ、その「時代」の正体もだんだんと判ってきた。この場合の「時代」とは、つまり「その時代の人間」である。もっと正確に言うならば、「その時代に流行している人間の考え方や気分」ということである。このようなものが、皇室のあり方といったような重大な問題を委ねるに値するかどうか、少なくとも私は疑問である。

ついでながら、この「時代信仰」は、唯一の神を信じるはずのキリスト教会にも蔓延している。一般のキリスト教徒はもちろんのこと、聖職者の中にも、「時代に合わせよ」というスローガンを掲げる者が多い。それは、神の教会を人間に従属させることに他ならないというのに。情けないことである。

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