記事一覧

トップ > 教育

履修漏れのペナルティーは厳しく、しかし柔軟に

報道によれば、東京で新たに私立高校2校が必修科目の履修漏れを認めたとのことである。履修漏れというとまるで手違いかミスのようだが、本当は意図的な過程表の偽装工作である。当の学校は最初から分かっていて、これまで白状しなかっただけのことだ。私学助成金については、幾らか減額するのが妥当だろう。

他の学校についても、本気で調べようと思えばいくらでも方法はある。例えば、生徒が購入した副教材のリストや、実習費を徴収した記録などからも、かなりの実態が把握できるはずだ。

もちろん、正直に認めた学校だけが馬鹿をみるようなことがあってもいけない。高校野球部の不祥事について書いたときにも触れたが、こういうものは先に手を上げるほどペナルティーが軽くなるような仕組みがあってもいいと思う。

related page(s) 教育

せっかくならば国語教育の強化を

伊吹文科大臣が、小学校での英語必修化に否定的な見解を表明した。これまでの否定論は「まず日本語を」というのが多かったのだが、「美しい日本語を話せないのに」というのは新鮮に思えた。安倍首相の『美しい国へ』を大臣が意識したかどうか、それは定かではない。

ただ、「美しい日本語」のために何をするのかというと、それは見えてこない。そこまで深く考えた発言ではなかったのだろう。しかし、大臣がそういう意識を持っていることは嬉しいことである。できることならば、国語教育や言葉遣いの躾についても、何か方針を打ち出してほしいものだ。

related page(s) 英語教育 国語教育

女子校の制服について思うこと

電車の車内広告で私立女子校の募集案内を見た。中学と高校の募集要項とともに、制服を着た生徒の大きな写真が掲載されていた。

その写真を見ればすぐ分かることだが、この学校では中学と高校とで制服が違う。つまり、中学に入学した後、高校に内部進学するときには、制服を買い換えなくてはならないのである。

制服の相場など知る由もないが、一式揃えると数万円といったところであろう。そんな無駄な出費をしなくても、中学生と高校生でスカーフやボタンなどの色を分ければ済むことのはずである。学校側は、保護者の負担に対して、もう少し敏感であってもよいのではなかろうか。

related page(s) 教育

地方裁判所は非常識

「また地裁か」と思わずにいられなかった。東京地方裁判所が、学校の式典において、国旗に対し起立したり、国歌を斉唱することを教員に命ずる通達に対し、違憲判決を下した。

その理由の一つが「日の丸・君が代は中立的ではないから」だと聞いて、あきれてしまった。自国の国旗国歌を偏ったものと見る国が一体どこにあるのだろうか。例えいくつかあったところで、日本もそれに倣うほどの普遍性があるのだろうか。

憲法は思想・良心の自由を認める。だから一般論としては、国旗・国歌を嫌う思想も尊重する必要がある。だが、公立の学校において、そんな反国家的思想と、国旗・国歌を尊ぶ思想とが、等価値などということはありえない。控訴審ではもっとまともな判決が出ることを期待したい。

related page(s) 偏向教育

子どもの就寝時間今昔

「のこいのこ」という歌手がいる。顔はほとんど知られていないが、「エバラ焼き肉のたれ」「オノデン」など、数多くのCMソングや子ども向けの歌を歌っている。それをまとめてCDとして出すという話は、何週間か前だと思うが、聞いていた。

その彼女が先日ライブを開き、その姿を現したということで、その様子の一部がテレビで放映された。「パタパタママ」が代表作の1つだったようで、これを観客と握手しながら歌っていた。それを聞きながら思い出したことがある。

子どもの頃、この歌はそれほど好きではなかったが、歌詞の一部ははっきり覚えていた。「もう8じ そろそろぼく パジャマをきて おやすみさ」という部分である。8時は少し早いかなとは思っていたが、この頃の幼稚園から小学校低学年くらいの子は、だいたい遅くとも9時くらいまでには寝ていたのだ。

今では、夜10時を過ぎても、子どもを連れて歩く親をときおり見かける。外に出歩かなくても、この時間まで起きている児童はざらにいるだろう。いくらあの頃と今とでは生活スタイルが違うとはいっても、子どもの体には無理をさせているのではないかと危惧する。

related page(s) 教育

ゼロ・トレランスは厳罰ではない

ここ数年、教育のトピックでよく聞くようになった「ゼロ・トレランス」という言葉がある。ときどき「不寛容」と訳されているため、それを厳罰主義と捉えて、あるいは結びつけて考える人たちがいるが、それは間違っている。

厳罰というのは、ある違反行為に相応以上の罰を与えることである。割りに合わない罰を設けることで、その行為をあらかじめ防ぐことを目的としている。しかし、いざ実際に違反行為を行った生徒を前にすると、厳しすぎる罰を与えることを躊躇してしまい、「今度やったら」などと猶予を与えてしまうことが多々ある。その結果、ある生徒は罰を受け、ある生徒は罰を受けないという、ちぐはぐな対応になりやすい。

一方、ゼロ・トレランスというのは、罰の軽重と直接関係はない。単純に、「今度やったら」などというような猶予を与えないことである。この方針のもとでは、違反行為を行った生徒は、すぐに罰が与えられる。従ってゼロ・トレランスは、「必罰」という、昔から日本にあった概念に相当するのである。

related page(s) 教育

「カンニング」という言葉の意味について

埼玉県の所沢高校で「カンニングを疑われ」自殺した生徒の母親が、県を相手取り損害賠償を求める提訴をしたという新聞記事を昨日読んだ。答案を覗き見たかどうかという水掛け論かと思いきや、物理の時間に日本史のノートの縮小コピーを見ているのを、監督の教員に見つかったのだという。

日本史はその前の時間の試験教科だったということなので、この行為が物理の答案作成に影響したということはないだろう。そして、これがいわゆる「カンニング」に当たるかどうかだが、この点を争うことはあまり意味がない。と言うのは、一般に認識されている「カンニング」の意味は、試験を有利にするために不正をすること、といったところであろうが、学校側が不正行為と見なす範囲はもっと幅広いからである。

通常、定期考査では、筆記用具以外のものは机の上に出さない、机の中にも入れないことになっている。だから、メモが見つかったという事実があれば、他教科であろうが、まだ答案に書き写す前であろうが、学校側はこれを不正行為と見なすはずだ。

しかし、この生徒にとっては、自分の取った行動は「カンニング」ではなかったわけである。提訴した母親も同じように考えているようだ。もちろん、これは思い込みに過ぎない。学校側は、生徒の行為が客観的にどのような意味を持つのかを説き、淡々と処分を通告すべきであった。これで自殺が未然に防げたかどうかは分からないが、今回の提訴までには至らなかったのではあるまいか。

related page(s) 教育

小学校からの英語必修化について

最近、小学校高学年で英語を必修化するという話が持ち上がっている。考えられる理由は、語学学習は早くから始めれば効果が上がる、という単純で素朴な期待に違いない。しかし、その前に考えなければならないことがある。

まず、ここ十数年の英語教育で行われた数々の試みの総括をしなくてはならない。ゆとり教育・週5日制による授業内容と授業時間の削減がどれだけ影響したか、会話重視で編集された教科書の使用、文法軽視のカリキュラム、新科目オーラル・コミュニケーションの導入が、どのような効果をもたらしたか、きちんと検証されているのだろうか。

それに、世間の期待と生徒の学力(本当は学習態度も入れておきたいが)の現実との間で板挟みになっている、現場の教師たちの声を聞かなくてはいけないはずだ。彼らが仕事をする際に感じている困難を、言い訳だと初めから排斥しないで、虚心坦懐に聞き取るべきである。

その上で、生徒の学習開始年齢が遅いことが最大の問題である、という結論が出たのならば、今回のような英語必修化を考えてもいいだろう。だが、これで効果が上がらなかったら、そのときもまた開始学年を繰り下げそうな気がする。そのうち全学年で必修になり、それでいて効果が上がっていないという事態にはならないでほしいものだ。

related page(s) 英語教育

携帯電話の向こう側にいる不審者を警戒せよ

昨日、有害サイトから子どもを守るためのフォーラムが開かれたそうだ。記事によれば、携帯電話を通じて小児性愛者が接触してくる可能性もあるという。

携帯電話を持たせていればいつでも連絡が取れるから安心だと言う人もいたし、またそのように印象づける宣伝も見たことがある。子どもの位置が追跡できる機種もあるという。しかし、携帯電話がどれだけ進化しても、それ自体は子どもを危険から守るわけではない。まずその当たり前のことに気が付かなくてはいけない。

また、昔から子どもには、知らない人についていってはいけないと教えてきた。不幸にも誘拐事件が起きた地域では、保護者が毎日登下校に付き添っている。そのことを考えれば、携帯電話が子どもと見知らぬ人との接触を容易にしている事実に、警戒心を持たないのはおかしい。

related page(s) 教育

全国一斉のリスニング試験は無理

今日からセンター試験が始まったが、英語のリスニングで早速トラブルがあったようだ。今年は IC プレーヤーが使われると聞いていたが、プレーヤーの数を考えれば、そのうちどれかが故障しててもおかしくないと思うのが普通だろう。

もともとセンター試験でリスニングがなかなか導入されなかった理由の一つは、全受験生に均一な条件で音声を聞かせることが無理だったからである。昔のように、各大学の各学部単位の試験であれば、もう少し対処のしようがあっただろうに。

related page(s) 英語教育

ページ移動