記事一覧

トップ > カトリック > カトリック典礼

エクレジア・デイ委員会がミーティング開催へ

エクレジア・デイ委員会の会合が、今日行われるという情報が入った。議題はもちろんトリエント・ミサの「解放」についてである。反対派と目されるリカール枢機卿も出席する(委員かどうかは未確認)。

ご存じのようにここしばらくは、教皇の自発教令が出るか否かに注目が集まっていた。だが、この委員会がトリエント・ミサが禁止されていないことを確認して、それを公表したとしても同様の意義があるはずだ。そういう意味では期待感がないでもない。

ただ、それは理屈の面では正しくとも、効果の面では弱いのである。例え報道されてもその他のニュースに紛れてしまって、ほとんどの司祭や信徒は知らないままであろう。

related page(s) トリエント・ミサ

トリエント・ミサ「復活」の噂 そのまた後

教皇ベネディクト16世がトリエントミサを「解放」する自発教令を出すという噂は、まだどこまでが本当なのか判らない状況だ。最近は新しい情報もほとんど出てこない状況である。

ただはっきりと言えるのは、この文書が出ようと出まいと、トリエント・ミサを捧げたい司祭は自由に捧げてよい、ということである。なぜなら、聖ピオ5世教皇が永遠のミサとして聖別した以上、トリエント・ミサを禁ずることはできないはずだからだ。実際に、1986年、どの司教もトリエント・ミサを禁ずることができないと、9名の枢機卿が一致して前教皇の質問に答えている。

伝統派カトリック信徒(本当は全てのカトリック信徒は聖書と聖伝を支持する伝統派であるべきなのだが)は、このことをよく知ってはいるが、それでもこの自発教令が出ることを望んでいる。というのも、トリエント・ミサの挙行には地元司教の許可が必要という誤解を解く必要が、この文書によって消失するからである。

related page(s) トリエント・ミサ

トリエント・ミサ「復活」の噂 その後

昨日の更新の時に、トリエントミサ「復活」の噂が再浮上というエントリーをトップページから削除した(このページは全てが手作業である)。その際に、あの噂が流れ出してからもう1カ月近く経ったことに気が付いた。

誰がどういう意図でこの噂を流しているのかは判らない。トリエント・ミサを望みながら叶えられないでいる人たちの欲求不満を解消するため、適度に希望を持たせているのかも知れない。

あるいは、トリエント・ミサの「許可」を出した場合に、どのような反応が返ってくるのかを見定めているのかも知れない。現にフランスでは、新しい伝統派修道会(「良き牧者会」)の処遇も含め、司教団が猛反発している。ちなみに、このフランス司教団は、聖座が聖ピオ十世会と関係を改善したらローマには従わない、と前教皇を脅迫したこともある。

いずれにせよ、この機会にトリエント・ミサについて、また現行ミサの問題について理解を深めておくことは悪くない。典礼秘跡省長官のアリンゼ枢機卿 Cardinal Arinze が問題視する「典礼の陳腐化、非聖化、世俗化」は、もっぱら後者において行われているからである。

2007年度の手帳を作成中

2007年度用の旧典礼暦の手帳を、今年も作成することになった。パソコン上の作業は思いのほかスムーズに進み、ファイルそのものはほぼ完成した。製本作業は手間がかかるので、早く印刷を済ませてしまいたい気もする。しかし、内容の間違いはできるだけ避けたいので、明日もう1度見直してから取りかかることにしようと思う。

トリエントミサ「復活」の噂が再浮上

ネット上に、トリエントミサが全ての司祭に「許可」されるという噂がまた流れ出した。今回は前回に比べるとかなり確からしいとのことだが、随分と躍らされて痛い目に遭ったことがあるだけに、警戒心は去らない。

もともとこの「許可」が出せないのは、教会内リベラルの反対があるから、または反発を怖れているから、とされている。それがこの半年ほどで状況が変わったとは思いにくい。この間は聖ピオ十世会との話し合いも持たれておらず、契機となるものが思い当たらない。

それとも、聖ピオ十世会の司祭や信徒が、100万環を目標に8月から始めているロザリオがそろそろ効いてきて、教皇ベネディクト16世に決断する勇気を与えつつあるのだろうか。

犠牲が足りない

カトリック教会のミサのことを調べようとして、インターネットの検索エンジンで「ミサとは」と打ち込み、検索ボタンをクリックすると、そこそこの検索結果数を得ることができる。

その中でよく見かける説明は、「カトリック教会で行う一番大事な祈りです」といったようなものである。何か元ネタがあるらしく、これと大同小異なものも散見される。また、最後の晩餐を再現するものだという説明も、少なからずある。しかし、残念なことに、どれもこれもカトリック的には十分な説明ではない。

従来カトリック教会は、ミサをイエズス・キリストの犠牲と結びつけて教えてきた。トリエント公会議のカテキズムでは、「ミサ聖祭は真の犠牲である(The Mass Is a True Sacrifice.)」とまで言っている。子供向けのカトリック要理にすら、「ミサはイエズス・キリストさまのおんからだとおん血を神さまにささげる祭りであります。」とある。

従って、もしもある要理テキストが、「犠牲」「いけにえ」「捧げる」といった言葉を使わずにミサを説明しているとしたら、例えカトリックの出版社から出されたものであっても、カトリック信仰を教えているとは言えない。また、現行のミサも、犠牲の概念を大きく後退させており、普通に与っているだけでは、本来のカトリック的な理解に至ることができないのである。

あゝわが主、わが天主よ

旧典礼における今日の福音朗読は聖ヨハネによる福音書の第20章、主の復活を疑う使徒トマにイエズスが現れる場面である。ここでトマが「あゝわが主、わが天主よ」という信仰告白を口にする。

古い祈祷書によれば、司祭が奉挙する御聖体を仰ぎながらこれを心の中で唱えると、七年の贖宥が得られるとのことである。今度ミサに与るときにでも実践してみてほしい。ことによると、聖体の秘跡に於ける主の現存は、これを力説するよりも、このアドバイスの方がもっと容易に信じさせることができるかも知れない。

related page(s) カトリック典礼

聖木曜日にも発表か

あくまで噂の域を出ないが、聖週間のうちに、ベネディクト16世教皇が聖ピオ5世のミサ典書の使用をどの司祭にも認めると言われている。ことによると聖木曜日ではないかという情報もある。しかし、パウロ6世が現行のミサ典書を公布したのが1969年の聖木曜日なので、いくら何でもそれは出来過ぎというものだろう。

期待はするが楽観はできない

今日はベネディクト16世教皇が、キュリアの枢機卿たちと、トリエント・ミサの「解放」について話し合うことになっている。これは聖ピオ十世会との話し合いにも関わるが、教皇自身もともと関心を持っていたことだけに注目される。

「解放」とは言っても、もともと禁止されたという訳ではない。だが、そう思いこんでいる人は少なくない。さらに、司教の許可制になっているところが話をややこしくしている。廃止されたというのも間違いだ。

トリエント・ミサは今も有効であり、どの司祭も捧げることができるはずだ。そのことを確認し明言するのは、理屈から言えば難しいことではない。しかし、これまでなかなか公には認めてこなかったし、反対する勢力も存在する。それだけに、今日のうちにこの話が進展するかどうかは、何とも言い難い。

季節はずれの栄光

今日の主日から典礼暦は七旬節である。カトリック教会のミサでは、これより四旬節が終わるまで栄光誦 Gloria が歌われなくなる。しかし、教会の外では、多くの合唱団がこの時期にコンサートを予定し、演奏曲目としてミサ曲を取り上げ、栄光誦を含めた各曲の練習に励んでいることだろう。日本ではキリスト教が普及していないので、そういったことも仕方ないとは思う。

では、キリスト教国の合唱団がどのような対応をしているのかと言えば、私も詳しくは知らないが、おそらくキリストの受難を題材にした曲を選んでいるものと想像する。ちなみに、死者のためのミサ曲(レクイエム)であれば、もとより栄光誦は省かれているので先ほどのような問題はない。

related page(s) カトリック典礼

ページ移動