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エクレジア・デイ委員会がミーティング開催へ

エクレジア・デイ委員会の会合が、今日行われるという情報が入った。議題はもちろんトリエント・ミサの「解放」についてである。反対派と目されるリカール枢機卿も出席する(委員かどうかは未確認)。

ご存じのようにここしばらくは、教皇の自発教令が出るか否かに注目が集まっていた。だが、この委員会がトリエント・ミサが禁止されていないことを確認して、それを公表したとしても同様の意義があるはずだ。そういう意味では期待感がないでもない。

ただ、それは理屈の面では正しくとも、効果の面では弱いのである。例え報道されてもその他のニュースに紛れてしまって、ほとんどの司祭や信徒は知らないままであろう。

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教会ラテン語の予習 [26] 待降節第2主日

今度の主日に行われる待降節第2主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(15:4-13)と、マテオによる福音書(11:2-10)

洗礼者ヨハネの使いに、イエズスが「自分の目で見聞きしたこと」として列挙する中に、3人称複数の動詞がいくつか出てくるので着目してみた。

 (1) Caci vident,
 (2) claudi ambulant,
 (3) leprosi mundantur,
 (4) surdi audiunt,
 (5) mortui resurgunt,
 (6) pauperes evangelizantur

私の大雑把な理解では、語尾が -nt なら3人称複数である。(1)「見える」(2)「歩く」(4)「聞こえる」(5)「よみがえる」など。さらに -ur が付けば受動態である。(3)「治る(治される)」(6)「福音が告げられている」がそうである。これは何とか聞き取れるのではないかと思っている。

十字のペンダントについて思うこと

日本のキリスト教信徒は人口の1パーセント程度しかいない。だが、十字のペンダントをしている人はその数倍はいるような印象を受ける。

カトリック信徒だと、十字架よりメダイのペンダントをしているという人も多い。すると、街で見かける十字のペンダントはほとんどが非信徒のものだろう。むしろ、非信徒であるしるしとさえ言えるかも知れない。だから、そういう人を見かけると、「多分洗礼は受けてないだろうな」と思うのである。

だが、これが日曜日となると見方は俄然厳しくなる。「今日はちゃんと教会に行ったのか」「教会に興味もないのに、なぜそのようなものを身につけるのか」と訊きたくなる。実際には話しかけて詰問することはないし、当人もキリスト教徒がどう思っているかを知ることはない。そして次の日になれば、また普段の感想に戻るのである。

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教会ラテン語の予習 [25] 待降節第1主日

今度の主日に行われる待降節第1主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(13:11-14)と、ルカによる福音書(21:25-33)

福音書の最後の一節を見て、ふと思った。これもまた、訳を知っているから格の見当が付くという例ではないか、と。

 (1) Caelum et terra transibunt:
 (2) Verba autem mea non transibunt.

どれもよく知っている言葉であるばかりでなく、これらが使われているフレーズもいくつか思い出せる。しかし、語形から格が分かる、という状態にはまだ達していない。もう少し気を付けながら勉強したい。

教会ラテン語の予習 [24] 聖霊降臨後第25主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第25主日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人への手紙(1:9-14)と、マテオによる福音書(24:15-35)。

今回の朗読箇所は、ミサ典書の聖霊降臨後第24主日の部分である。なぜそのようになるかは前回触れたので繰り返す必要はないだろう。

今回は書簡から、Deus が入っているフレーズを取り上げ、意味がよく理解できているか確認したい。

 (1) ut impleamini agnitione voluntatis Dei
 (2) ut ambuletis digne Deo
 (3) in scientia Dei
 (4) gratias agentes Deo Patri

こうして見ると、(1)(3)の Dei は属格として意味が取れそうだが、直前の名詞に十分反応できるかが怪しい。(4)は類似表現を取り上げたこともあるので何とか理解したい。ただ、(2)については ambuletis が馴染みではないので無理そうだ。

トリエント・ミサ「復活」の噂 そのまた後

教皇ベネディクト16世がトリエントミサを「解放」する自発教令を出すという噂は、まだどこまでが本当なのか判らない状況だ。最近は新しい情報もほとんど出てこない状況である。

ただはっきりと言えるのは、この文書が出ようと出まいと、トリエント・ミサを捧げたい司祭は自由に捧げてよい、ということである。なぜなら、聖ピオ5世教皇が永遠のミサとして聖別した以上、トリエント・ミサを禁ずることはできないはずだからだ。実際に、1986年、どの司教もトリエント・ミサを禁ずることができないと、9名の枢機卿が一致して前教皇の質問に答えている。

伝統派カトリック信徒(本当は全てのカトリック信徒は聖書と聖伝を支持する伝統派であるべきなのだが)は、このことをよく知ってはいるが、それでもこの自発教令が出ることを望んでいる。というのも、トリエント・ミサの挙行には地元司教の許可が必要という誤解を解く必要が、この文書によって消失するからである。

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教会ラテン語の予習 [23] 聖霊降臨後第24主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第24主日のミサから。朗読箇所は、テサロニケ人への第一の手紙(1:2-10)と、マテオによる福音書(13:31-35)。

ミサ典書の聖霊降臨後第24主日は同時に最後の主日であるため、聖霊降臨後の主日が24を超えるときは後回しにされ、その間の主日の固有文は御公現後の主日から取られる。従って今回の朗読箇所は御公現後第6主日のものである。

 (1) Simile est regnum caelorum grano sinapis, ...
 (2) Simile est regnum caelorum fermento, ...

福音に「~のようである」という表現が2回出てくるので注目してみた。ちなみに、この表現はこの朗読箇所の後、44~47節にかけてさらに3度出てくる。

教会ラテン語の予習 [22] 聖霊降臨後第23主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第23主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(3:17-20)と、マテオによる福音書(9:18-26)。

書簡も福音もいつもより長めで、どこを取り上げたものやらと思ったが、印象に残っている主の言葉を見ておこうと思う。まだ語順には慣れないが、せめて命令文だけでも聞き取れるようにしたいと思う

 (1) Confide, filia, fides tua te salvam fecit.
 (2) Recedite, non est enim mortua puella, sed dormit.

(1)「信頼せよ」というラテン語は、よく見かけるようではあるが、どこに使われているのかあまり記憶にない。同じ章の2節にはもう1つ用例がある。(2)「みな下れ」は、ペトロに向かって言った「サタン、引き下がれ」とニュアンスこそ違え同じ単語かも知れないと思ったが、こちらは vade であった。

カトリック学校の宗教科教育はどうなっているか

高校必修科目の履修漏れ問題で、数多くの学校の名が挙がった。その中には、恥ずかしいことにカトリック学校の名前もいくつか見受けられる。必修科目でさえ受験に関係ないとして切り捨てられているのだから、宗教科や聖書の時間がどう扱われているのかは、言わずと知れたことだろう。

教会ラテン語の予習 [21] 聖霊降臨後第22主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第22主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(1:6-11)と、マテオによる福音書(22:15-21)。

ミサ典書の当該部分を開くと、「チェザルのものはチェザルに」という有名な一節があったので、それを取り上げてみたい。

 (1) Reddite ergo quae sunt Caesaris, Caesari; et quae sunt Dei, Deo.

訳が頭に入っていれば、単語と意味との対応は難しくない。ただ、日本語のリズムでは「チェザルに」が現れるまでに間があるが、ラテン語の原文ではすぐさま現れる。短い文だが、このリズムに慣れるまで読み込む必要がありそうだ。

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