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秋篠宮妃紀子様のために祈らん

明日、秋篠宮妃紀子様が第三子をご出産になる。洗者聖ヨハネの母、聖エリザベトが妊婦の守護聖人であるので、無事出産できるよう、聖人の加護を求めたい。

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カトリックの聖人と祈りとについて

6月13日はパドゥアの聖アントニウスの祝日である。カトリック信徒の言い伝えに従って、なくした物が見つかるよう聖人に祈ったところ実際に見つかったことを、これまでの日記で2回ほど書いたことがある。今日、聖人伝を読み直していたら、捜し物の他に、よい結婚相手云々という記述も見つけた。少し気になるところではある。

さて、このように取りなしのため聖人に対して祈ることを、プロテスタントは非難する。聖人と共に祈ってもらうのだと説明しても納得しない。どうやら、祈る対象は神のみ、という固定観念があるようだ。

そのような人には、主祷文を、ギリシア語やラテン語でなくても、英語でいいから、読み直してみることをお勧めしたい。本当は日本語でもいいのだが、文法を意識せざるを得ない外国語の方が適当である。そうすると、文法的には、全てが祈願文と命令文で成り立っていることが分かるはずだ。「命令」と言ってもあくまで文法用語であって、その内容はやはり願いごとをしているのである。

従って、祈ることは、願うことと基本的に同じである。願うという行為は、ただの人に対してもするのだから、聖人に対して行っても問題があろうはずがない。後者を祈りと呼ぶのは、天主と同様に、対象となる相手が地上にいないため、呼びかける方法が異なるからである。

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またも聖アントニウスに感謝

古いトラベラーズチェックを出そうとしたら、あると思っていたところにはなかった。結構な額になるので、なくしてしまうとかなりの損失になる。周辺をさがしていてもなかなか出てこない。そのうち部屋のあちこちを探したので、そのうちに疲れてしまった。

そのとき、聖アントニウスのことを思い出し、そのありかへと導いてくれるよう短い祈りをし、捜索を再開した。すぐに、というわけではなかったが、それでも一時間経つか経たないかのうちにふと、一度は調べたはずの旅行資料のバインダーをまた引っぱり出そうという気になった。入れておいた覚えはないのだが、念のためよくよく調べてみると、その中に見つかったのである。

またもや聖アントニウスが危機から救ってくれたようである。聖人にはもちろん感謝した。思えば、あるスイス人から聖アントニウスのカードを貰ったのが、この恵みをいただけるようになったきっかけかも知れない。

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聖アントニウスに感謝

長年使っていたキャッシュカードがとうとうひび割れてしまい、再発行が必要になった。銀行に問い合わせると通帳が必要だとのことだが、こんな大事な物をどこにしまったのか、なかなか見つからないでいた。

そのようなときは、聖アントニウスに祈ることにしている。失ったものを探すとき、カトリック信徒に頼りにされている聖人だ。これは教会がそのように教えているというより、いわば民間信仰に近いものである。しかし信徒には絶大な人気があって、要件別にそれぞれの守護聖人がいることになっている。

それで、結果はどうだったかというと、今日たまたま積み重ねた小冊子を持ち上げたら、そこに通帳があったのだ。確かにそれは偶然かも知れない。だが、これまでの実感としては偶然以上のものがある。思い当たるところを片っ端から探しても見つからないのに、あるとき思いも寄らぬそのありかへ導いてくれる、という感じだ。

信徒でない人には異論もあろうが、とにかく私にとっては有り難いことだ。聖人に感謝し、その信心を広めたいと思う。

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聖パトリックはどこに

今日は聖パトリックの祝日である。聖パトリックはアイルランド全土にキリスト教を伝え、また全てのヘビを追い払ったとも言われている。

この日はアイルランドでは休日で、教会ではゲール語のミサが行われる。みんなが緑の服を着たり、あるいは胸にシャムロックのワッペンを付けたりして街を歩く。大通りではパレードが盛大に行われる。だが、主役のはずの聖パトリックが忘れられがちなのは、どこの祭りでも似たり寄ったりである。

せめて自分だけでも、聖パトリックに関する本を読もうと試みたが、なかなか集中できず、どうやら今日中には読み終わりそうにない。でも、明日にはレビューが書けるだろう。

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