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教会ラテン語の予習 [26] 待降節第2主日

今度の主日に行われる待降節第2主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(15:4-13)と、マテオによる福音書(11:2-10)

洗礼者ヨハネの使いに、イエズスが「自分の目で見聞きしたこと」として列挙する中に、3人称複数の動詞がいくつか出てくるので着目してみた。

 (1) Caci vident,
 (2) claudi ambulant,
 (3) leprosi mundantur,
 (4) surdi audiunt,
 (5) mortui resurgunt,
 (6) pauperes evangelizantur

私の大雑把な理解では、語尾が -nt なら3人称複数である。(1)「見える」(2)「歩く」(4)「聞こえる」(5)「よみがえる」など。さらに -ur が付けば受動態である。(3)「治る(治される)」(6)「福音が告げられている」がそうである。これは何とか聞き取れるのではないかと思っている。

教会ラテン語の予習 [25] 待降節第1主日

今度の主日に行われる待降節第1主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(13:11-14)と、ルカによる福音書(21:25-33)

福音書の最後の一節を見て、ふと思った。これもまた、訳を知っているから格の見当が付くという例ではないか、と。

 (1) Caelum et terra transibunt:
 (2) Verba autem mea non transibunt.

どれもよく知っている言葉であるばかりでなく、これらが使われているフレーズもいくつか思い出せる。しかし、語形から格が分かる、という状態にはまだ達していない。もう少し気を付けながら勉強したい。

教会ラテン語の予習 [24] 聖霊降臨後第25主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第25主日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人への手紙(1:9-14)と、マテオによる福音書(24:15-35)。

今回の朗読箇所は、ミサ典書の聖霊降臨後第24主日の部分である。なぜそのようになるかは前回触れたので繰り返す必要はないだろう。

今回は書簡から、Deus が入っているフレーズを取り上げ、意味がよく理解できているか確認したい。

 (1) ut impleamini agnitione voluntatis Dei
 (2) ut ambuletis digne Deo
 (3) in scientia Dei
 (4) gratias agentes Deo Patri

こうして見ると、(1)(3)の Dei は属格として意味が取れそうだが、直前の名詞に十分反応できるかが怪しい。(4)は類似表現を取り上げたこともあるので何とか理解したい。ただ、(2)については ambuletis が馴染みではないので無理そうだ。

教会ラテン語の予習 [23] 聖霊降臨後第24主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第24主日のミサから。朗読箇所は、テサロニケ人への第一の手紙(1:2-10)と、マテオによる福音書(13:31-35)。

ミサ典書の聖霊降臨後第24主日は同時に最後の主日であるため、聖霊降臨後の主日が24を超えるときは後回しにされ、その間の主日の固有文は御公現後の主日から取られる。従って今回の朗読箇所は御公現後第6主日のものである。

 (1) Simile est regnum caelorum grano sinapis, ...
 (2) Simile est regnum caelorum fermento, ...

福音に「~のようである」という表現が2回出てくるので注目してみた。ちなみに、この表現はこの朗読箇所の後、44~47節にかけてさらに3度出てくる。

教会ラテン語の予習 [22] 聖霊降臨後第23主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第23主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(3:17-20)と、マテオによる福音書(9:18-26)。

書簡も福音もいつもより長めで、どこを取り上げたものやらと思ったが、印象に残っている主の言葉を見ておこうと思う。まだ語順には慣れないが、せめて命令文だけでも聞き取れるようにしたいと思う

 (1) Confide, filia, fides tua te salvam fecit.
 (2) Recedite, non est enim mortua puella, sed dormit.

(1)「信頼せよ」というラテン語は、よく見かけるようではあるが、どこに使われているのかあまり記憶にない。同じ章の2節にはもう1つ用例がある。(2)「みな下れ」は、ペトロに向かって言った「サタン、引き下がれ」とニュアンスこそ違え同じ単語かも知れないと思ったが、こちらは vade であった。

教会ラテン語の予習 [21] 聖霊降臨後第22主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第22主日のミサから。朗読箇所は、フィリッピ人への手紙(1:6-11)と、マテオによる福音書(22:15-21)。

ミサ典書の当該部分を開くと、「チェザルのものはチェザルに」という有名な一節があったので、それを取り上げてみたい。

 (1) Reddite ergo quae sunt Caesaris, Caesari; et quae sunt Dei, Deo.

訳が頭に入っていれば、単語と意味との対応は難しくない。ただ、日本語のリズムでは「チェザルに」が現れるまでに間があるが、ラテン語の原文ではすぐさま現れる。短い文だが、このリズムに慣れるまで読み込む必要がありそうだ。

教会ラテン語の予習 [20] 王たるキリストの祝日

今度の主日に行われる王たるキリストの祝日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人へ手紙(1:12-20)と、ヨハネによる福音書(18:33-37)。

福音書のイエズスとピラトとの会話の場面から、英語の I am ~. You are ~. レベルの表現だけ抜き出してみた。

 (1) Tu es Rex Judaeorum?
 (2) Numquid ego Judaeus sum?
 (3) Ergo Rex es tu?
 (4) Tu dicis, quia Rex sum ego.

語順が一定していないので戸惑うかも知れないが、ego と sum 及び es と tu がそれぞれ並んでいれば、何とか了解できそうである。

教会ラテン語の予習 [19] 聖霊降臨後第20主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第20主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(5:15-21)と、ヨハネによる福音書(4:46-53)。

栄誦には、Sicut erat in principio というフレーズがあり、もちろん意味は分かっているが、erat を過去の動詞として意識できているかというと心許ない。そんな単語が福音の初めに出てきたので、少し学習しておきたいと思う。

 (1) Erat quidam regulus, cujus filius infirmabatur Capharnaum.

(1)の訳は「そこに一人の王官がいた。その人の子はカファルナウムで病床についていた。」である。Erat を聞いた時点で、誰かがいた、何かがあった、ということを意識しないといけないようだ。

教会ラテン語の予習 [18] 聖霊降臨後第19主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第19主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(4:23-28)と、マテオによる福音書(22:1-14)。

書簡の冒頭でいきなり Renovamini という単語と出くわした。この -amini という語尾は以前から気になっていたものである。というのも、来る待降節に歌うグレゴリオ聖歌 Rorate Caeli の歌詞に、Consolamini, consolamini と繰り返す印象的な部分があるからだ。

これはどうやら2人称複数の受動態で、命令形のようだ。この形は、後でもう一つ出てくる。

 (1) Renovamini spiritumentis vestrae, et ...
 (2) Irascimini, et nolite peccare:

(1)はバルバロ訳で「自分を新たにし」ろとなっているが、直訳は「新たにされよ」ということだ。(2)も同様に受動態的な訳語になっておらず、「怒っても」となっている。ただ、辞書では自動詞しか見当たらず、しっくりとはしなかった。とりあえず、(1)だけでも受け身と感じられるようにしたい。

教会ラテン語の予習 [17] 聖霊降臨後第18主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第18主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(1:4-8)と、マテオによる福音書(9:1-8)。

書簡の冒頭のフレーズを見たとき、反応の鈍い自分に慌ててしまった。

 (1) Gratias ago Deo meo ...

難しい単語は何もない。ペーパーテストなら試験時間内に訳を書くことができ、点をもらうこともできるだろう。問題はこんな簡単な表現が自分のものになっておらず、耳で聞いたら意味を取れないに違いないということだ。

類似する Deo gratias. にしても、頭の中では「神に感謝」に対応しているし、ago も一人称単数ということは分かっているのに、自分自身の動作であるという実感がない。こうなると文法はひとまずおいて、練習が必要だ。

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