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身に覚えのない郵便物

今日、海外からの書籍小包が届いた。アメリカのカトリック出版社である TAN Books からのものであった。だが、注文した覚えはない。また、ギフトをくれるような人にも心当たりがない。納品書は封筒に貼り付けてあったので、中を開けるよりも先に取り出してみた。1冊の本が注文されていることになってはいたが、全額ディスカウントされていて、請求額はゼロになっていた。つまりは出版社からのプレゼントなのだろう。

入っていた本の題名は THINK WELL ON IT といって、18世紀の司教が書いたものである。宣伝をウェブサイトで見たことはあるが、購入を考えたことはない。しかし、送料を負担してまで送ってきたからには、単なる在庫処分ではなく、何らかのリアクションがあるものと自信を持っているに違いない。少しずつ読み進めてみようと思う。

「ユダの福音書」の真実性はいかに

新聞で「ユダの福音書」を宣伝する広告を見かけた。既存の聖書とは違うことが書いてある文書が見つかったというだけなのだが、どういうわけか、こちらの方こそ真実に違いないと思ってしまう人々がいる。現に「ダ・ヴィンチ・コード」のときもそうであった。

あるブログでは、ナグ・ハマディ文書を擁護した人もいた。それで、私はこういう質問をした。「それはいつ誰が書いたものですか?それを書いた人物は、使徒やマグダラのマリアとどのような関係にあったのですか?また、その人が書いたということを、誰か証言していますか?」あれから2カ月近く経ったが、まだ回答はない。

ちなみに、新約聖書の四福音書は、十二使徒またはその直弟子が書いたと言い伝えられるだけでなく、その真実性を証言する人がいたことも確認されている。上の質問の「使徒やマグダラのマリア」をイスカリオテのユダと置き換えれば、「ユダの福音書」に対する疑問としても通用するはずであるが、果たして信じるに足るだけの回答は得られるのだろうか。

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納得できない著者の姿勢

かつて上智大学神学講座の夏期講座でテキストとして使われた、聖書学者レイモンド・ブラウン神父の『旅する教会―使徒たちが遺した共同体』(ドン・ボスコ社)を読み返している。当時は聖書に関する知識がほとんどなく(それでよくこんな講座に参加しようと思ったものだ)、よく理解できないないながらも、著者の視点がユニークで面白い本だという印象が残っていた。

あれから数年経って予備知識も増したが、今読んでみてどうかと言うと、あちこちで違和感を覚えるばかりで困惑している。一応、エキュメニカルな観点から書かれた本だということは承知していた。だが、それでもカトリックなりの主張というものがあるだろうに、このブラウン神父はそれを半ば放棄しているかのようだ。

なるほど現代の聖書研究というものは進んでいて、カトリックとは異なる見解が定説になっているのかも知れない。しかし、初代教父たちの証言によって確かめられている聖伝を、批判的に検証した上でのものなのだろうか。岩下壮一師の『カトリックの信仰』や、リッチョッティ師の『キリスト伝』には、そのような研究に対する反論が書き記されているが、それらを読んだ後では、ブラウン神父のスタンスはどうも納得しがたい。

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TAN Books その後

「その後」とは言っても、その前を知らない人には通じない話なのだが、今年の5月ごろ、TAN Books というカトリック出版社のニュースレターで、会社が破産の危機に瀕しているということを知り、あわてて身の回りの人に周知したことがあった。このサイトでも言及した。

今日、たまたま TAN Books のある出版物の話題になり、そこから例の話の続きはどうしたのかと聞かれた。結論から言えば、会社は今でも存続している。お買い得品情報も毎月メールで送られてくる。

しかしながら、私は続報を伝えていなかった。というのも、これまでのニュースレターに、経営状態への言及がなかったからである。いや、なかったとは断言できない。見落としという可能性がなきにしもあらずだ。そう思って、もう一度過去のメールに検索をかけてみた。

すると、未読のメールが一通見つかった。差出人がいつもの会社名ではなく社長の名前になっていたので、別のフォルダに分類されていたのだ。内容は、みなさんの協力でいつも以上の売上げがあった、まだまだ予断を許さないがとにかく感謝している、といったものであった。

これで一安心といったところなのだが、実は大変なオチがついていた。このメールの日付は、最初に窮状を訴えた、たった一週間後のものだったのである。ずいぶんと長いこと余計な心配をしていたものである。

公教要理を「増刷」へ

自家製本した公教要理がなかなか好評である。こういった書物がなかなか手に入らないだけに、見せただけで興味を持ち、その場で欲しがる。試しに持ってきた分はあっという間になくなってしまった。それだけ需要があるならば、また頑張って作ってみようと思う。

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古書と格闘

岩下壮一神父の 『信仰の遺産』 という本を、久しぶりに引っぱり出して読んでいる。これはもう半年以上も前に買ったはずだが、実際に読むのは延び延びになっていた。とは言っても内容が高度なので、買った頃であったら、読むのは今以上に困難であったろう。歴史的仮名遣いは苦にならないが、いくつか読めない漢字があるので、それを調べてから続きを読もうと思う。

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『眠られぬ夜のために』を再読

カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』を久々に読んだ。著者はプロテスタントだが、かつてこれを集中的に読んでいたころに比べて、カトリック要理の学習がかなり深まった今でも、特に違和感を覚えなかった。いい本であるという評価に変わりはないが、聖人、特に聖母への言及がほとんどないので、カトリック信徒が読むには寂しい気もした。

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公教要理の製本

聖ピオ10世の公教要理詳解はかつて精道教育促進協会から出ていたが、今は手に入らない。インターネットで全文を読むことはできるものの、やはり本の形にした方が便利なので、印刷して自家製本することにした。

しかし、ワープロでフォーマットを整えたり、誤字を見つけては修正したりするうちに、何度か通読したような具合になってしまった。それでも、これから印刷製本するわけだが、しばらくは手に取らないだろう。いったい何のために製本するのやら。

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信徒なら読んでおきたいデンツィンガー

今日は俗に「デンツィンガー」と呼ばれる本を偶然借り受けた。それは、もともとデンツィンガーという名のカトリック神学者によって編集された、文書資料集である。これを読むと、信経や信仰や道徳に関して、これまでカトリック教会が何を決定し、何を排斥したかが判る。最近は、教会が伝統的に教えてきたことと正反対のことを教える司教や司祭がいるので、例え面と向かって反駁する機会がなくとも、そうできるだけの根拠を把握しておきたいと思う。

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