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履修漏れのペナルティーは厳しく、しかし柔軟に

報道によれば、東京で新たに私立高校2校が必修科目の履修漏れを認めたとのことである。履修漏れというとまるで手違いかミスのようだが、本当は意図的な過程表の偽装工作である。当の学校は最初から分かっていて、これまで白状しなかっただけのことだ。私学助成金については、幾らか減額するのが妥当だろう。

他の学校についても、本気で調べようと思えばいくらでも方法はある。例えば、生徒が購入した副教材のリストや、実習費を徴収した記録などからも、かなりの実態が把握できるはずだ。

もちろん、正直に認めた学校だけが馬鹿をみるようなことがあってもいけない。高校野球部の不祥事について書いたときにも触れたが、こういうものは先に手を上げるほどペナルティーが軽くなるような仕組みがあってもいいと思う。

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女子校の制服について思うこと

電車の車内広告で私立女子校の募集案内を見た。中学と高校の募集要項とともに、制服を着た生徒の大きな写真が掲載されていた。

その写真を見ればすぐ分かることだが、この学校では中学と高校とで制服が違う。つまり、中学に入学した後、高校に内部進学するときには、制服を買い換えなくてはならないのである。

制服の相場など知る由もないが、一式揃えると数万円といったところであろう。そんな無駄な出費をしなくても、中学生と高校生でスカーフやボタンなどの色を分ければ済むことのはずである。学校側は、保護者の負担に対して、もう少し敏感であってもよいのではなかろうか。

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ゼロ・トレランスは厳罰ではない

ここ数年、教育のトピックでよく聞くようになった「ゼロ・トレランス」という言葉がある。ときどき「不寛容」と訳されているため、それを厳罰主義と捉えて、あるいは結びつけて考える人たちがいるが、それは間違っている。

厳罰というのは、ある違反行為に相応以上の罰を与えることである。割りに合わない罰を設けることで、その行為をあらかじめ防ぐことを目的としている。しかし、いざ実際に違反行為を行った生徒を前にすると、厳しすぎる罰を与えることを躊躇してしまい、「今度やったら」などと猶予を与えてしまうことが多々ある。その結果、ある生徒は罰を受け、ある生徒は罰を受けないという、ちぐはぐな対応になりやすい。

一方、ゼロ・トレランスというのは、罰の軽重と直接関係はない。単純に、「今度やったら」などというような猶予を与えないことである。この方針のもとでは、違反行為を行った生徒は、すぐに罰が与えられる。従ってゼロ・トレランスは、「必罰」という、昔から日本にあった概念に相当するのである。

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「カンニング」という言葉の意味について

埼玉県の所沢高校で「カンニングを疑われ」自殺した生徒の母親が、県を相手取り損害賠償を求める提訴をしたという新聞記事を昨日読んだ。答案を覗き見たかどうかという水掛け論かと思いきや、物理の時間に日本史のノートの縮小コピーを見ているのを、監督の教員に見つかったのだという。

日本史はその前の時間の試験教科だったということなので、この行為が物理の答案作成に影響したということはないだろう。そして、これがいわゆる「カンニング」に当たるかどうかだが、この点を争うことはあまり意味がない。と言うのは、一般に認識されている「カンニング」の意味は、試験を有利にするために不正をすること、といったところであろうが、学校側が不正行為と見なす範囲はもっと幅広いからである。

通常、定期考査では、筆記用具以外のものは机の上に出さない、机の中にも入れないことになっている。だから、メモが見つかったという事実があれば、他教科であろうが、まだ答案に書き写す前であろうが、学校側はこれを不正行為と見なすはずだ。

しかし、この生徒にとっては、自分の取った行動は「カンニング」ではなかったわけである。提訴した母親も同じように考えているようだ。もちろん、これは思い込みに過ぎない。学校側は、生徒の行為が客観的にどのような意味を持つのかを説き、淡々と処分を通告すべきであった。これで自殺が未然に防げたかどうかは分からないが、今回の提訴までには至らなかったのではあるまいか。

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英語指導者の発音について

先頃自伝を発表した、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏だが、地元佐渡の小学校で英語の指導をしたということも報じられた。佐渡でネイティヴ・スピーカーの英語に接する機会が全くないとは思わないが、東京より珍しいことは確かだろう。児童らにとって良い経験になったものと思いたい。

ただ、ジェンキンス氏の英語の発音がどうなのか、というのは気になるところであろう。米国南部(ノースカロライナ州)の出身であるだけでなく、半世紀も祖国を離れており、その間海外の放送を聴取することもままならなかったからである。

しかし、どれだけジェンキンス氏の発音が悪かったとしても、それを反復練習して完全に真似てしまう児童はいないはずである。また実際の指導も、児童の発音を聞いて、ネイティヴに通じにくい発音を修正させるにとどまったろう。何も心配することはないのである。

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加害者を異常と呼んで済む問題ではない

高知の明徳義塾高校で、男子生徒が同級生を刺すという事件が起きた。例によって学校側は認識していなかったかも知れないが、原因はいじめだろう。殺意を抱き、かつ実行に移すくらいだから、軽度だとしても執拗な嫌がらせがあったに違いない。

冗談でも人をからかえば、両者の間には緊張が生じる。しかし、そこで相手に謝ったり、文句の一つでも言わせたり、適当な仕返しを許容したりすれば、緊張が緩和し関係を元通りにすることができる。いじめにおいては、必ずしも関係が修復されるわけではないが、やはりどこかで過度な緊張は避けるものである。

だが、この世代では、そういったバランス感覚が欠如しているのではないか。実際、いじめていて歯止めがきかなくなる、ということも聞かないではない。そうして人を一方的にからかって、緊張を残したままにしてしまう傾向があるように思う。もしそうならば、このような事件が昔より頻繁に起きることの説明もできよう。

ナイフで刺すというのは、いじめの仕返しとしては過剰なことは確かだ。だが、動機は単純なものであるのだから、加害者生徒のささいな異常性を取り上げて答とするのは安易すぎる。むしろ、この世代の人間関係の作り方に焦点を当てた分析を拝聴したいものだ。

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いじめの仕返しは予見できるか

山口の県立高校で生徒が爆発物を投げ、多くの怪我人が出た。いじめが原因では、という見方もあるようで、この高校で開かれた臨時の保護者会でも、「兆候が分からなかったのか」という質問があったという。

これは、いじめを苦に自殺するようなケースならば、なおのこと問われることである。毎日我が子を見、話をする立場にあったのに、予見ができたはずと学校や教師を訴える親などは論外だが、今回のケースでも学校の管理責任を問うのは無理がある。

仮に今回の事件はいじめが原因だとしよう。その場合、仕返しを一番予見し易い立場にあるのは、いじめた側の生徒であるはずだ。いじめを受ける生徒の反応を最も良く観察しているのは、彼らだからである。その生徒たちですら気付くことができなかった兆候に、教師が気が付くわけがない。予見の可能性を問題にするならば、このようなことを考慮すべきである。

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