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トリエント・ミサ「復活」の噂 その後

昨日の更新の時に、トリエントミサ「復活」の噂が再浮上というエントリーをトップページから削除した(このページは全てが手作業である)。その際に、あの噂が流れ出してからもう1カ月近く経ったことに気が付いた。

誰がどういう意図でこの噂を流しているのかは判らない。トリエント・ミサを望みながら叶えられないでいる人たちの欲求不満を解消するため、適度に希望を持たせているのかも知れない。

あるいは、トリエント・ミサの「許可」を出した場合に、どのような反応が返ってくるのかを見定めているのかも知れない。現にフランスでは、新しい伝統派修道会(「良き牧者会」)の処遇も含め、司教団が猛反発している。ちなみに、このフランス司教団は、聖座が聖ピオ十世会と関係を改善したらローマには従わない、と前教皇を脅迫したこともある。

いずれにせよ、この機会にトリエント・ミサについて、また現行ミサの問題について理解を深めておくことは悪くない。典礼秘跡省長官のアリンゼ枢機卿 Cardinal Arinze が問題視する「典礼の陳腐化、非聖化、世俗化」は、もっぱら後者において行われているからである。

グレゴリオ聖歌のCDを購入

先月末、アマゾンギフト券の有効期限が迫っていたので、長らく Wants List に入れておいたグレゴリオ聖歌のCD(Salve Festa Dies: Gregorian Chant for Seasons of the Year)その他を駆け込みで購入手続きをしたのだが、早速今日品物が届いた。 Adorate Deum 同様、典礼暦に沿って表にする作業を行っているところである。

ちなみに、Amazon.co.jpではCDの題名が一字間違っており、拙サイトでも気が付かずにコピーしていた。この際に訂正を申し入れたので、そのうち正しく直されるであろう。

related page(s) Adorate Deum

教会ラテン語の予習 [20] 王たるキリストの祝日

今度の主日に行われる王たるキリストの祝日のミサから。朗読箇所は、コロサイ人へ手紙(1:12-20)と、ヨハネによる福音書(18:33-37)。

福音書のイエズスとピラトとの会話の場面から、英語の I am ~. You are ~. レベルの表現だけ抜き出してみた。

 (1) Tu es Rex Judaeorum?
 (2) Numquid ego Judaeus sum?
 (3) Ergo Rex es tu?
 (4) Tu dicis, quia Rex sum ego.

語順が一定していないので戸惑うかも知れないが、ego と sum 及び es と tu がそれぞれ並んでいれば、何とか了解できそうである。

2007年度の手帳を作成中

2007年度用の旧典礼暦の手帳を、今年も作成することになった。パソコン上の作業は思いのほかスムーズに進み、ファイルそのものはほぼ完成した。製本作業は手間がかかるので、早く印刷を済ませてしまいたい気もする。しかし、内容の間違いはできるだけ避けたいので、明日もう1度見直してから取りかかることにしようと思う。

教会ラテン語の予習 [19] 聖霊降臨後第20主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第20主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(5:15-21)と、ヨハネによる福音書(4:46-53)。

栄誦には、Sicut erat in principio というフレーズがあり、もちろん意味は分かっているが、erat を過去の動詞として意識できているかというと心許ない。そんな単語が福音の初めに出てきたので、少し学習しておきたいと思う。

 (1) Erat quidam regulus, cujus filius infirmabatur Capharnaum.

(1)の訳は「そこに一人の王官がいた。その人の子はカファルナウムで病床についていた。」である。Erat を聞いた時点で、誰かがいた、何かがあった、ということを意識しないといけないようだ。

教会ラテン語の予習 [18] 聖霊降臨後第19主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第19主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(4:23-28)と、マテオによる福音書(22:1-14)。

書簡の冒頭でいきなり Renovamini という単語と出くわした。この -amini という語尾は以前から気になっていたものである。というのも、来る待降節に歌うグレゴリオ聖歌 Rorate Caeli の歌詞に、Consolamini, consolamini と繰り返す印象的な部分があるからだ。

これはどうやら2人称複数の受動態で、命令形のようだ。この形は、後でもう一つ出てくる。

 (1) Renovamini spiritumentis vestrae, et ...
 (2) Irascimini, et nolite peccare:

(1)はバルバロ訳で「自分を新たにし」ろとなっているが、直訳は「新たにされよ」ということだ。(2)も同様に受動態的な訳語になっておらず、「怒っても」となっている。ただ、辞書では自動詞しか見当たらず、しっくりとはしなかった。とりあえず、(1)だけでも受け身と感じられるようにしたい。

トリエントミサ「復活」の噂が再浮上

ネット上に、トリエントミサが全ての司祭に「許可」されるという噂がまた流れ出した。今回は前回に比べるとかなり確からしいとのことだが、随分と躍らされて痛い目に遭ったことがあるだけに、警戒心は去らない。

もともとこの「許可」が出せないのは、教会内リベラルの反対があるから、または反発を怖れているから、とされている。それがこの半年ほどで状況が変わったとは思いにくい。この間は聖ピオ十世会との話し合いも持たれておらず、契機となるものが思い当たらない。

それとも、聖ピオ十世会の司祭や信徒が、100万環を目標に8月から始めているロザリオがそろそろ効いてきて、教皇ベネディクト16世に決断する勇気を与えつつあるのだろうか。

教会ラテン語の予習 [17] 聖霊降臨後第18主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第18主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(1:4-8)と、マテオによる福音書(9:1-8)。

書簡の冒頭のフレーズを見たとき、反応の鈍い自分に慌ててしまった。

 (1) Gratias ago Deo meo ...

難しい単語は何もない。ペーパーテストなら試験時間内に訳を書くことができ、点をもらうこともできるだろう。問題はこんな簡単な表現が自分のものになっておらず、耳で聞いたら意味を取れないに違いないということだ。

類似する Deo gratias. にしても、頭の中では「神に感謝」に対応しているし、ago も一人称単数ということは分かっているのに、自分自身の動作であるという実感がない。こうなると文法はひとまずおいて、練習が必要だ。

十字架像の修理を頼まれる

神父様の使っている十字架像のキリストの両腕が、何の拍子か知らないが折れてしまったということで、修理を頼まれた。一度接着剤で付けようと試みたようだが、また外れてしまったようだ。よく見ると、足を打ち付けていた釘が外れていた。それで全「体重」が両腕にかかって、その重みに耐えきれなかったのではないかと推察される。磔刑がいかに過酷なものかを教えられた気がした。

ともかくも修理が必要なので、まずは穴に合うよう細目の釘を買ってきた。太さは申し分なかったが、少し長めであった。これは奥まで打ち付けなくてはならない。作業は簡単である。しかし、単にお仕事として済ませてはいけないように思う。どのような心持ちでこの作業をすべきだろうか。

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教会ラテン語の予習 [16] 聖霊降臨後第17主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第17主日のミサから。朗読箇所は、エフェソ人への手紙(4:1-6)と、マテオによる福音書(22:34-46)。

主日の第2晩課のアンティフォンは、その日の福音朗読から採られている。ということは、大事なところが抜き出されていると考えてもよいだろう。それで今回注目してみたら、馴染みのある次の文に遭遇した。

 (1) Dixit Dominus Domino meo: Sede a dextris meis.

これは、主日の晩課に現れるフレーズである。Dixit Dominus は「主は仰せられた」。Domino meo は与格で、「私の主に」。Sede は命令で「座れ」。最後の a dextris meis は「私の右に」。Credo の sedet a dextram Patris と語形が違う点については、後で調べたい。