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教会ラテン語の予習 [15] 聖霊降臨後第16主日

今更ながらこのタイトルの曖昧性に気が付いた。ラテン語を予習する主体は、あくまで私自身である。従って過ちもあり得るし、あらばご指摘いただきたい。

今度の主日に行われる聖霊降臨後第16主日のミサから。朗読箇所は、エフェゾ人への手紙(3:13-21)と、ルカによる福音書(14:1-11)。

さて、今回の福音書には有名な言葉があって、しかもそれは対句になっており、学習の材料としても、暗唱の対象としても適当だと思うので、これを扱うことにする。

 (1) quia omnis, qui se exaltat, humiliabitur, et qui se humilitat, exaltabitur.

語尾 -at というのは、祈願文でよく見かける形である。例えば主祷文に adveniat, fiat という語を見つけることができる。今回は内容的に考えて祈願ではなさそうなので、いい加減な知識を整理するためにきちんと調べてみることにした。すると接続法現在ということであったので、この用法をよく理解することができた。

一方、-abitur という語尾は、et sanabitur anima mea という聖体拝領前の祈りの一節に見つけることができる。調べると受動態の未来形であることが分かった。これで意味も了解できた。

教会ラテン語の予習 [14] 聖霊降臨後第15主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第15主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(5:25.26,6:1-10)と、ルカによる福音書(7:11-16)。

今回の福音で最初の数行に ibat, ibant が現れるので、聞き取るために押さえておこうと思う。

 (1) Ibat Jesus in civitatem, quae vocatur Naim:
 (2) et ibant cum eo discipuli ejus, et turba copiosa.

両方とも未完了過去という時制だが、英訳は過去形となっている。この場合「行った」と訳して差し支えないだろう。ただ、未完了だから、出発したことは確かでも、着いたことは含意していないと思う。

それから、いくつか復習したい命令文がある。

 (3) Noli flere.
 (4) Adolescens, tibi dico, surge.

(3)は禁止を表す noli と併せて「泣くな」、(4)は「立て」である。少ないけれども、これだけ聞き取れればとりあえず満足だ。

教会ラテン語の予習 [13] 聖霊降臨後第14主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第14主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(5:16-24)と、マテオによる福音書(6:24-33)。

今回は福音で否定語が目立ったので、まとめて取り上げてみたい。

 (1) Nemo potest duobus dominis servire:
 (2) Non potestis Deo servire, et mammonae.
 (3) ne ... neque corpori vestro quid induamini.
 (4) Nonne anima plus est quam esca: ... ?
 (5) quoniam non serunt, neque metunt, neque congregant in hornea:
 (6) Nonne vos magis pluris estis illis?
 (7) Nolite ergo solliciti esse, dicentes:

(1)「誰も~ない」。イエズスの有名な言葉なので、この文自体を暗唱してもいいだろう。。(2) 「~ない」。(3)(5) 「~も~もない」。(4)(6) 疑問文に用いて、「~ではないか」。(7) 禁止を表して、「~するな」。ちなみに、復活したイエズスが、自分に向かって身を投げ出したマグダラのマリアに言った言葉は Noli me tangere. である。

ロザリオをラテン語で

最近、ラテン語のロザリオを、もう少し言葉の意味を理解しながら唱えたいと思うようになった。暗唱はしているから、ともかくもラテン語は口から出る。しかし、自分の言葉として口にしたい。また、聴いて理解できるようにしたいのである。

そこで、手始めに『教会ラテン語への招き』を再読することにした。これは、主祷文、天使祝詞、栄唱と、ロザリオの主要な祈りをカバーしているので、この目的には最適の本である。読んでみると、以前に読んだときに比べたら、遥かに分かり易く感じた。文法的理解があやふやなところについても、理解を深めることができたと思う。後は練習あるのみ、というところまでは行かないが、少しはましな練習ができることだろう。

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秋篠宮妃紀子様のために祈らん

明日、秋篠宮妃紀子様が第三子をご出産になる。洗者聖ヨハネの母、聖エリザベトが妊婦の守護聖人であるので、無事出産できるよう、聖人の加護を求めたい。

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教会ラテン語の予習 [12] 聖霊降臨後第13主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第13主日のミサから。朗読箇所は、ガラツィア人への手紙(3:16-22)と、ルカによる福音書(17:11-19)。

今回の福音朗読箇所には、いくつかの命令文があった。安易ではあるが、命令文は短くて分かりやすいので、これを取り上げようと思う。

 (1) Jesu praeceptor, miserere nostri.
 (2) Ite, ostende vos sacerdotibus.
 (3) Surge, vade; quia fides tua te salvum fecit.

全てが -e で終わるので、これを命令文の特徴と短絡的に理解したくなるが、それはさておく。

(1)の miserere は「あわれみたまえ」。なぜ nobis でなく nostri なのかは、すぐには調べがつかないので保留しておこう。(2)はラテン語ミサの締めくくりの言葉 Ite Missa est. で有名。「行け」という意味。次の ostende は「見せよ」という意味。これもミサに出てくる言葉。(3)の surge は、これが他で使われているのを見た覚えがない。「立て」という基本的な単語なのだが。次の vade も「行け」という意味。ヴェルディのオペラ「ナブッコ」の合唱曲に Va, Pensiero, sull’ali dorate というのがあるが、その va の語源になった語であろう。

教会ラテン語の予習 [11] 聖霊降臨後第12主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第12主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第二の手紙(3:4-9)と、ルカによる福音書(10:23-37)。

福音の朗読箇所には、「あなたたちが見たことを見る目は幸せである」という一節があった。

 (1) Beati oculi qui vident qua vos videtis.

「~は幸せである」という表現は、山上の垂訓で有名である。おそらくラテン語でも同じ形であろうと思って調べてみたら、やはりそうであった。他にも何カ所か出てきそうなので押さえておきたい。

教会ラテン語の予習 [10] 聖霊降臨後第11主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第11主日のミサから。朗読箇所は、コリント人への第一の手紙(15:1-10)と、マルコによる福音書(7:31-37)。

書簡の一部が Credo と重なるので、そこだけ取り出してみることにした。読めばおおよそ意味は取れるので、聞いても分かるようにしたい。

 (1) quoniam Chrsitus mortuus est pro peccatis nostris secundum Scripturas:
 (2) et quia sepultus est,
 (3) et quia resurrexit tertia die secundum Scripturas:

(1)の moutuus est は、動詞の活用表からすると、3人称単数の受動態と思ってよさそうなのだが、「死ぬ」という、意味的に自動詞としか感じられない動詞なので違和感がある。こういう表現もあるということなのか。(2)は「埋められた」とか「葬られた」で、文法的には問題なく理解できる。(3) の形の過去形もお馴染みである。他にも文法的に理解しておきたい語句があるが、今日はここまで。

身に覚えのない郵便物

今日、海外からの書籍小包が届いた。アメリカのカトリック出版社である TAN Books からのものであった。だが、注文した覚えはない。また、ギフトをくれるような人にも心当たりがない。納品書は封筒に貼り付けてあったので、中を開けるよりも先に取り出してみた。1冊の本が注文されていることになってはいたが、全額ディスカウントされていて、請求額はゼロになっていた。つまりは出版社からのプレゼントなのだろう。

入っていた本の題名は THINK WELL ON IT といって、18世紀の司教が書いたものである。宣伝をウェブサイトで見たことはあるが、購入を考えたことはない。しかし、送料を負担してまで送ってきたからには、単なる在庫処分ではなく、何らかのリアクションがあるものと自信を持っているに違いない。少しずつ読み進めてみようと思う。

召命が不足する理由

ある掲示板の投稿で読んだ話である。1990年代に、司祭不足に直面したアメリカのある教区で聖職者による会議を行い、司祭の召命をどうしたら増やせるかを話し合っていたそうだ。だが、いくら話し合っても出口は見えなかった。

とうとう、引退した大司教が手を上げ、「召命の多い司教区の事例を研究して参考にしたどうだ」と発言した。すると、司祭たちは顔を見合わせるだけで、関心を示さなかったとのことだ。なぜなら、大司教が例として挙げた教区は、カトリックの正統な教えを実践していたからである。あきれた話としか言いようがない。

また別の投稿によれば、司祭になろうと思ったら、神学校でいくつもの関門を超えなければならないそうだ。まず受付担当のリベラルなシスター、次に同性愛者の教師や同級生、最後に、伝統的信仰を持っていると分かると叙階を一年引き延ばす校長である。似たような話は余所でも聞いたことがあるだけに、全くの作り話でもなさそうだ。

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