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聖ピオ十世会総長にフェレー司教が再選

現在スイスのエコンで開かれている聖ピオ十世会の総会で、ベルナール・フェレー司教が総長に再選された。任期は12年である。これまでの仕事の継続ということもあったろうが、他の司祭たちからよほどの信頼を勝ち得ているのだろう。私が総長にウィリアムソン司教を希望したのは、ある思惑があってのことだが、今にして思えば姑息だったかも知れない。

さて、総長選任の結果を待っている間は、まるで昨年行われたコンクラーベのようであった。コンクラーベと比較すると世間の注目度は高くないが、そのとき選ばれた方はかなり関心を持っていたはずである。何でも、昨日からアルプスで休暇を取っているそうだが、そこはエコンからも近いという話である。偶然にしても面白い。

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聖ピオ十世会総長選出の行方は

先日、聖ピオ十世会と同じくトリエントミサを捧げる(ただし第二ヴァティカン公会議および新しいミサについては妥協的な)聖ペトロ会が、新しい総長を選出した。バーグ神父 Fr Berg といって、信徒の評価も高いようである。年齢は分からないが、経歴からするとかなり若そうな司祭である。

一方、聖ピオ十世会の新しい総長は火曜日か水曜日(現地時間)には選ばれるとのことである。ローマも注目していることだろう。ちなみに、シュミットバーガー神父またはフェレー司教の再選も会憲上可能である。

予想は当たるはずもないので避けておく。誰が選出されても相当の実力者であることは確かだ。ただ、個人的にはウィリアムソン司教が選ばれてほしいと思っている。

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教会ラテン語の予習 [4] 聖霊降臨後第5主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第5主日のミサから。朗読箇所は、ペトロの第一の手紙(3:8-15)と、マテオによる福音書(5:20-24)。

今回は福音書から次の部分を取り上げることにする。ただし、下線部以外の箇所は、必要なときを除いてあまり着目しないことにする。

 (1) Dixit Jesus discipulis suis: ...
 (2) Audistis, quia dictum est antiquis: ...
 (3) Ego autem dico vobis: ...
 (4) Qui autem dixerit fratri suo, raca:
 (5) Qui autem dixerit, fatue:

(1)と(3)については、これまでも触れたので、聞いて意味が取れるだろう。(2)の dictum est は受動態で「言われた」。この形は Et Verbum caro factum est. にも現れる。(4)(5)の文法的なことはまだ把握できていないが、Qui (autem) dixerit で「(しかし)~と言う者は」の意であることは分かる。できれば、この語順のまま理解したいものである。

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夜中にカトリック修道士が大人気

昨晩のアクセスログを見て驚いた。ポーランドのカトリックのページに集中して人が訪問していたのだ。ほとんど全てが検索エンジンからで、主な検索語は「ゼノ神父」「ゼノ修道士」であった。

こういうことは、ラッツィンガー枢機卿が教皇に選ばれたとき以来である。当時一般の人には全く無名だった彼のページを既に(あらかじめ、ではない)作っていたため、多くの人が検索エンジンで当ページを見つけて訪れたのである。もちろん、すぐに去って行ってしまったが。

気にかかるのは、何故それほど話題になったのかである。調べてみたところ、夜中にゼノ修道士のアニメが放映されたらしい。要するに見逃したということなのだが、その作品の存在はもともと知っており、特に興味を持っていなかったので残念ということはない。

しかしながら、ゼノさんのことを知りたい人に多少なりとも情報提供ができたし、彼が神父ではなく修道士であったという記述を、大勢の人にチラと見てもらえただけでも意義があったのではないかと思う。

教会ラテン語の予習 [3] 聖霊降臨後第4主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第4主日のミサから。朗読箇所は、ローマ人への手紙(8:18-23)と、聖ルカによる福音書(5:1-11)。

今週は福音朗読箇所の中に、ad Simonem, ad genua Jesu, ad Simonem, ad terram と ad の前置詞句が4箇所出てくるので、これを取り上げることにする(書簡にも1箇所あるが割愛する)。ちなみに、続く(代)名詞は対格である。

まず、ad Simonem は、その前の動詞 dixit (dico の過去形)と共に理解したい。この動詞は基本的な語であるから頻度ももちろん高い。福音朗読では、(amen) dico vobis 「(まことに)私はあなたがたに言う」という形で頻繁に出てくる。

次の ad genua Jesu の直訳は「イエズスの膝へ」。ちなみに、ここでも dico の分詞形 dicens が使われている。

そして、ad Simonem がもう一度現れる。ここで一緒に使われている ait の用法は今のところ十分に理解していないが、ここでの意味としては dixit と同様に考えていいと思う。

最後の ad terram は、船の方向を表しているので、「岸へ」と読む。これまで天地の「地」くらいしか意味を知らなかったのだが、なるほどと思った。

ついでに、今回の福音には Exi a me, quia ~ という表現があり、以前に取り上げた a と quia が同時に出てくる。

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教会ラテン語の予習 [2] 聖霊降臨後第3主日

今度の主日に行われる聖霊降臨後第3主日のミサから。書簡朗読は、ペトロの第一の手紙(5:6-11)。

ここには、聖務日課の終課で始めの方に出てくるフレーズ (Sobrii estote, et vigilate: quia adversarius vester diabolus, tamquam leo rugiens, circuit, quarerens quem devoret: cui resistite fortes in fide.) が含まれている。

接続詞 quia は confiteor にもあるので、いつも口にしている馴染みの単語である。しかし、いつもその意味を意識していないので、これからは気を付けてみようと思う。

所有形容詞 vester は、基本的な単語の割には祈りやミサの応答で使った覚えがない。だが、よく考えてみたら、侍者としても会衆としても、2人称複数の相手に話しかけることはまずないのだから当然である。

一方、代名詞 vos を含めれば、司祭は頻繁に口にしている単語である。Dominus vobiscum. もその一例である。取りあえず、侍者(または会衆)の confiteor の後に司祭が唱える、Misereatur vestri omnipotens Deus, et dimissis peccatis vestris, perducat vos ad vitam aeternam. のそれぞれの箇所で、自分たちに言及してるものとして実感できたらと思う。

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教会ラテン語の予習 [1] 御聖体の祝日

今度の主日に行われる御聖体の祝日のミサから。書簡朗読は、コリント人への第一の手紙(11:23-29)。ざっと本文に目を通したところ、「主」を意味する Dominus とその変化形が目に付いたので、これを取り上げることにする。

主格 Dominus は、Dominus Jesus という形で現れる。「主イエズス」と意味は明瞭だが、これが主格であることを意識したい。対応する述部については、今回は欲張らないことにする。

属格 Domini は mortem Domini, calicem Domini, corporis et sanguinis Domini, corpus Domini と4回出てくる。ラテン語は語順が自由ということになっているが、それでも慣用というものがあって、属格は名詞の後に置くことが多い。Domini が聞こえたら、その前の名詞の意味が分からなくても、「主の何とか」という程度は把握したい。

奪格 Domino は、a Domino と、前置詞句の形で登場する。これと似たような形は、主祷文の最後の一文、Sed libera nos a malo. にもあるので、意味は把握できる。ついでに、Domino と malo の語尾が同じなので、もしやと思って調べてみると、やはり主格は malus であった。

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新連載「教会ラテン語の予習」

これから毎週末に、ミサのラテン語を予習し、気が付いたことを「教会ラテン語の予習」と題して書いていこうと思う。どうせならば、ラテン語のタイトルを付けた方が格好が付くだろうけれど、書いている当人が予習レベルではそうもいくまい。公開する以上は読者を意識して書くが、解説ではないことをあらかじめ断っておく。

目標は非常にささやかなものである。書簡や福音の朗読中に、ある単語を聞き取って、これを理解できるようにすることである。ただし、対応する日本語が分かるというレベルではなく、その部分だけでもラテン語を身につけた人と同程度の反応をしたいと考えている。もちろん、そのためには反復練習も欠かせないことは言うまでもない。

掲載日は特に定めてはいない。あえて言えば「週末」、遅くとも日曜の朝である。それまでに間に合わなかったら、予習をさぼったと思われても仕方がないと覚悟している。

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カトリックの聖人と祈りとについて

6月13日はパドゥアの聖アントニウスの祝日である。カトリック信徒の言い伝えに従って、なくした物が見つかるよう聖人に祈ったところ実際に見つかったことを、これまでの日記で2回ほど書いたことがある。今日、聖人伝を読み直していたら、捜し物の他に、よい結婚相手云々という記述も見つけた。少し気になるところではある。

さて、このように取りなしのため聖人に対して祈ることを、プロテスタントは非難する。聖人と共に祈ってもらうのだと説明しても納得しない。どうやら、祈る対象は神のみ、という固定観念があるようだ。

そのような人には、主祷文を、ギリシア語やラテン語でなくても、英語でいいから、読み直してみることをお勧めしたい。本当は日本語でもいいのだが、文法を意識せざるを得ない外国語の方が適当である。そうすると、文法的には、全てが祈願文と命令文で成り立っていることが分かるはずだ。「命令」と言ってもあくまで文法用語であって、その内容はやはり願いごとをしているのである。

従って、祈ることは、願うことと基本的に同じである。願うという行為は、ただの人に対してもするのだから、聖人に対して行っても問題があろうはずがない。後者を祈りと呼ぶのは、天主と同様に、対象となる相手が地上にいないため、呼びかける方法が異なるからである。

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教皇ベネディクト16世のポーランド訪問で残念だったこと

ポーランドは前教皇ヨハネ・パウロ2世の出身国であるだけでなく、カトリックの巡礼地としても訪れる価値がある。黒い聖母のイコンがあるチェンストホーヴァのヤスナ・グラ僧院や、コルベ神父が亡くなったアウシュヴィッツ収容所などは有名だ。

先週、そのポーランドを教皇ベネディクト16世が訪問していた間、ずっと気にしていたことがあった。果たしてワルシャワで、イエジ・ポピエウシュコ神父の眠る教会を訪問するのかどうか、ということである。いろいろ調べてみたところ、どうもその形跡は見当たらない。

イエジ・ポピエウシュコ神父は、共産主義体制下のポーランドで連帯運動を支持し、信徒を勇気づけていたため、そのカリスマ性を恐れた秘密警察に暗殺されてしまった。彼の墓は聖スタニスラフ・コストカ教会の庭にあり、現在は殉教者として列福調査中である。

せっかくワルシャワを訪れたのだから、ミサとは言わずとも、せめて花束の1つも置いて墓前で祈りを捧げてくれていたらと思う。そのようにして共産主義の犠牲者を追悼しておいたならば、「解放の神学」を擁護したり、左派勢力とつるんでいる司教・司祭を牽制することができただろうに、と悔やまれてならない。