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Angelqueen.org が面白い

ここ2ヶ月ばかりずっと訪問している(このサイトで言えば★★★に相当)にも関わらず、まだ紹介していないサイトがある。Angelqueen.org といって、伝統派カトリック信徒が運営するトリエントミサに関する総合サイトだ。

以前は Free Republic という掲示板でカトリックに関する論争を読んでいた。それは大いに勉強になるのだが、質の悪い投稿者への対応で脱線・消耗している印象があった。一方、Angelqueen のフォーラムは、和気藹々として安心して読むことができる。今では RSS リーダーに登録して、新規のスレッドや投稿がある度に見に行くことにしている。

P.S. この日記を書いた翌月、10月分のアクセス統計が発表された。日本からのアクセスが比較的多いことに管理人が驚いていた。

カトリック用語今昔

カトリック典礼関連用語の表記について、昔と今とではだいぶ様変わりしているとの教示を受けた。例えば、「アレルヤ唱」はもともと「アレルヤ誦」、といった具合である。新しい表記が間違いというわけではないが、伝統的なものに統一することにして、既に作った文書の手直しをしていた。

ただ、「誦」の字は漢字変換しようとしてもなかなか候補に現れない。やっとそれらしき字が現れたので、思わず変換したら「踊」であった。似てはいるけれども、祈りのことばが足偏のはずがない。あらためて候補を探すと、最後の方に言偏の「誦」を見つけることができた。

そのうち、拙ウェブサイトには「御誦」を載せていることを思い出した。こちらは漢字を間違えていないだろうか、と思って見てみたら、しっかり「御踊」と表記していた。

もし言い訳が許されるなら、これはアマゾンのページにあったタイトルをそのままコピーしたから、と言っておこう。ちなみに、CD の方が間違っていて、楽譜の方は合っている。もちろん自分のページは修正して、遅まきながら格好がついた。しかし、誤字で検索したために私のページに辿りつく人も少なからずいたことを思うと、複雑な心境である。

公教要理を「増刷」へ

自家製本した公教要理がなかなか好評である。こういった書物がなかなか手に入らないだけに、見せただけで興味を持ち、その場で欲しがる。試しに持ってきた分はあっという間になくなってしまった。それだけ需要があるならば、また頑張って作ってみようと思う。

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フェレー司教来日予告

先月末に教皇ベネディクト16世と謁見した聖ピオ十世会総長ベルナール・フェレー司教が、来月に来日することを確認した。

related page(s) 聖ピオ十世会

古書と格闘

岩下壮一神父の 『信仰の遺産』 という本を、久しぶりに引っぱり出して読んでいる。これはもう半年以上も前に買ったはずだが、実際に読むのは延び延びになっていた。とは言っても内容が高度なので、買った頃であったら、読むのは今以上に困難であったろう。歴史的仮名遣いは苦にならないが、いくつか読めない漢字があるので、それを調べてから続きを読もうと思う。

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聖アントニウスに感謝

長年使っていたキャッシュカードがとうとうひび割れてしまい、再発行が必要になった。銀行に問い合わせると通帳が必要だとのことだが、こんな大事な物をどこにしまったのか、なかなか見つからないでいた。

そのようなときは、聖アントニウスに祈ることにしている。失ったものを探すとき、カトリック信徒に頼りにされている聖人だ。これは教会がそのように教えているというより、いわば民間信仰に近いものである。しかし信徒には絶大な人気があって、要件別にそれぞれの守護聖人がいることになっている。

それで、結果はどうだったかというと、今日たまたま積み重ねた小冊子を持ち上げたら、そこに通帳があったのだ。確かにそれは偶然かも知れない。だが、これまでの実感としては偶然以上のものがある。思い当たるところを片っ端から探しても見つからないのに、あるとき思いも寄らぬそのありかへ導いてくれる、という感じだ。

信徒でない人には異論もあろうが、とにかく私にとっては有り難いことだ。聖人に感謝し、その信心を広めたいと思う。

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『眠られぬ夜のために』を再読

カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』を久々に読んだ。著者はプロテスタントだが、かつてこれを集中的に読んでいたころに比べて、カトリック要理の学習がかなり深まった今でも、特に違和感を覚えなかった。いい本であるという評価に変わりはないが、聖人、特に聖母への言及がほとんどないので、カトリック信徒が読むには寂しい気もした。

related page(s) 霊的読書

伝統的ラテン語ミサの復興はいつの日か

本日、聖ピオ十世会総長のフェレー司教が、教皇ベネディクト16世に謁見する。これまでローマと聖ピオ十世会の間では、和解に向けた話し合いが断続的に行われてきた。今回の謁見は交渉というより、新しい教皇への挨拶という意味合いが大きいと思うが、伝統的ミサを望むカトリック信徒にとって明るい兆しが見えてくるよう願いたい。

司教なしでも、カテドラルでなくても

今日はカトリックアクション同志会主催の荘厳司教ミサの案内が届いた。恒例の行事が今年もまた行われるのは、確かに喜ばしいことには違いない。

しかし、この企画は年に一度でとどまってよいのだろうか。これがイベント、すなわち非日常である限り、ラテン語ミサやグレゴリオ聖歌が信徒のものになったとはとても言えないはずだ。もっと小規模でもいいから、頻繁に行われないものだろうか。これまでのスタイルに拘る必要はないように思われるのだが。

正平協と教科書

昨日杉並区で、中核派の妨害にもかかわらず、扶桑社の歴史教科書が採択されたことを伝えた。そう言えば、正平協(カトリック正義と平和協議会)も採択に反対してたはず、と思ってウェブサイトを見たら、案の定「不採択のお願い」なる文書をあちこち送りつけている。こんな暇があったら、世界史の教科書に載っている「免罪符」という間違った歴史用語や、カトリックの家庭観と相容れない家庭科の教科書の記述を改めさせるべく努力してほしいものだ。